「天城越え」と湯ヶ島温泉 - NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん

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「天城越え」と湯ヶ島温泉

詳細

天城越え

今回はがらっと変わって演歌である。

「天城越え」は言わずとしれた石川さゆりの出世作である。私はカラオケには行かないのだが、行く人によると、この曲はたとえば若い女性が好んで歌ったりすると言う。しかしこの歌の歌詞を分析してみれば分かることだが、そんな軽い気持ちで歌える曲ではない。

隠しきれない 移り香が いつかあなたに 浸みついた 誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか
寝乱れて 隠れ宿 九十九折り 浄蓮の滝 舞い上がり 揺れ落ちる 肩の向こうに あなた・・・山が燃える
何があっても もういいの くらくら燃える 火をくぐり あなたと越えたい 天城越え
口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子・・・・・

この歌詞から推測されることは、二人は不倫関係である。男は別れたがっている。しかし女には男に対する猛烈な執着心があり、別れるつもりは毛頭ない。男には別の女ができたのか。二人は伊豆の湯ヶ島温泉に来ている。男はここで別れ話を切り出すつもりであろう。しかし・・・

誰かに盗られる くらいなら あなたを殺していいですか

男は多分、遊びのつもりで人妻である女を誘ったのであろう。しかし女があまりにのめり込んでしまったので、手を焼いている。女は男を離す気はない。それよりは、いっそ、今晩、男を刺し殺して、自分も死のうという気持ちである。結局はこのあとは、悲劇に終わるであろう。

「あなたと越えたい 天城越え」の意味を考えあぐねていた。二人で逃げようという意味かと最初は思っていた。しかし今では「あなたと越えたい」というのは、一緒に死のうという意味であると解釈している。「何があっても もういいの」、「戻れなくても もういいの」というのは、自暴自棄になった女の心情であろう。「くらくら燃える 火をくぐり」というのは、血の海を連想させる。

ところで「あなたと越えたい 天城越え」の「越え」とは峠のことである。要するに天城峠という意味である。

それでは本家本元の石川さゆりの「天城越え」をどうぞ。石川さゆりの振りは、女の狂気を表現して鬼気迫るものである。

この曲は作詞者の吉岡治、作曲者の弦哲也、編曲者の桜庭伸幸の3人が湯ヶ島温泉に滞在して作ったと言われる。その作曲家の弦自身がギターの弾き語り歌ったものである。後半は本家の石川が歌っている。作曲家がやたらうまいと思ったが、この人は本来、歌手として出発して、売れなかったので作曲家に転向したという。

 

この曲はたくさんの歌手にカバーされている。坂本冬実のものを紹介しよう。

次は島津亜矢の天城越え。私は島津亜矢にも注目している。まず声がよいし、歌がうまい。もっともこの人は、男歌がとくいなので、女の情念を歌うこの曲にどれほど迫れるか。

次は五木ひろしをどうぞ。

 

 

やはりこの曲は女性が歌う演歌である。小柳ルミ子の情念はすさまじい。この人は私生活においても、まさにこれと同じ状況に陥ったと推測される。

 

小柳ルミ子は水上勉原作の小説を映画化した「白蛇抄」に主演している。小柳ルミ子はアカデミー賞最優秀女優賞を獲得している。あまりに壮絶な男女の愛欲物語である。主人公のうた(小柳ルミ子)は若狭にある寺の住職懐海の後妻である。うたは愛する夫と子供を火事でなくし、身投げしたところを住職に救われて、寺に住み着いたのだ。住職の懐海は寝たきりであるが、あちらのほうは盛んで、毎晩うたを抱いている。その寺にうたの遠縁の女子中学生のまつのがもらわれてくるところから話は始まる。夜な夜な聞こえる怪しい声を不審に思うまつの。住職とうたの痴態を覗く高校生の息子の昌夫。やがてうたと昌夫は男女の関係にのめり込む。一方、中学生のまつのも昌夫を愛しはじめ、身体を投げ出すが取り合ってもらえない。さらにうたに横恋慕する刑事の村井。うたと昌夫の現場を見た懐海を昌夫は殺してしまう。二人は自殺し、それを見たまつのは寺に火をかけて去る。三角関係、四角関係、五角関係である。寝たきり老人、自殺未遂女、高校生、中学生、悪徳刑事入り乱れての愛欲物語である。

 

 


湯ヶ島温泉と天城越え

ちなみにこの歌の舞台になった伊豆湯ヶ島温泉といえば、川端康成の「伊豆の踊子」の舞台でもある。伊豆の踊子といえば、山口百恵の伊豆の踊子である。一高の学生である主人公と、伊豆大島からやってきた旅芸人の娘の淡い恋。踊り子一行と主人公はともに天城を越える。

以前「京都文学散歩3」で取り上げた梶井基次郎であるが、彼は三高を卒業した後、東大に進学した。その途中で結核の療養のために、伊豆湯ヶ島温泉に滞在している。尊敬する川端康成を頼ってきたのである。そこで梶井は名作「冬の蠅」を書いている。湯ヶ島温泉からバスに乗り、天城隧道を通ったが、途中でバスを降りてしまい、夕闇が迫るなか、山道を歩くという話である。「歩いて歩いて歩き殺してしまえ」自暴自棄になった青年の天城越えである。

「天城越え」という映画がある。これは演歌の「天城越え」とは、何の関係もない。松本清張の小説「天城越え」の映画化である。田中裕子が主演で娼婦の役を演じている。家出をした16歳の少年と、旅の娼婦ハナ。二人は湯ヶ島温泉でしりあい、一緒に天城越えを越えて下田に行くことにしたのだ。彼女の客に嫉妬した少年は、客を殺す。少年の犯罪とそれをかばい身代わりになる娼婦の悲しい話だ。

「意気地なしい」彼女に引かれながらも、彼女に手を出しかねている少年をからかった彼女の言葉である。しかし、警察に引かれていく彼女を見ながら、殺人を自白して彼女を救えなかった少年は、意気地なしである。小説では、何十年か後に、事の真相を知った刑事が、今や印刷社を経営する少年を訪れ、事の真相を記した本の印刷を依頼する。

   
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