活動報告 - NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん 知的人材の活用を通じて、科学技術の発展に寄与することを目的に設立されたNPO法人です。 https://jein.jp/fon/activity-report.feed 2024-04-27T16:52:44+09:00 Joomla! - Open Source Content Management We love ふくしま in 関西 実施報告 2015-03-13T08:30:41+09:00 2015-03-13T08:30:41+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1201-wfp2014kansai-report.html JEin事務局 <div class="feed-description"><p>以下は、2015年2月28日に開催された、<a href="event/1148-150122.html">We love ふくしま in 関西「私はわたし、きれいは自信:自分を輝かせる化粧を学ぶ」</a>のイベント報告です。</p> <p align="left">本イベントは、総勢19名(子ども:5名・大人14名)で、賑やかな会となりました</p> <p align="left">今回残念だったのは、この会を企画し、ナリスとつなげてくださった宇野さんが、北海道に講演に行って、雪で滑って骨折され、療養中だったことです。宇野さんはとても残念がっておられました。宇野さんがこられていれば、「化粧をすると免疫力が上がる」というデータを紹介されたことでしょう。常日頃、「ストレスが一番免疫力を下げる。放射線が含まれているといって、もう測定済みの安全なはずの果物や野菜を食べない、避難生活で運動不足、というのが一番困る。みんな元気になるには、免疫力を上げる取り組みが必要」といわれます。私はそれに対して「その証拠はどれくらい信用できるか」と詰め寄りますが、そんな議論もしたかったです。なによりなリスの方と宇野さんにお礼を申し上げたいと思っています。</p> <p style="padding-left: 30px;" align="left">報 告1:馬杉さんの感想です<br />報 告2:王さんの感想です<br />報 告3:企画のリーダー宇野さんの報告です<br />報 告4:谷都美子さんの感想です</p> <p>なお、坂東理事長の感想は、<a href="blog-bando.html">理事長ブログ</a>「<a href="blog-bando/1200-blog119.html">We love ふくしま in 関西を終えて(ブログ その119)</a>」をご覧ください。</p> <hr title="報 告1" alt="報 告1" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> <strong>「We love ふくしま in 関西」に参加して </strong></p> <p>私は、普段ほとんどお化粧をしないのですが、子どもの相手も理科実験教室のお兄さん達がして下さるということ、また坂東先生から福島支援のお話を聞いて、もっと知りたいという気持ちから、「参加者の対象としてふさわしくないのでは?」という半信半疑のまま、参加させていただきました。</p> <p>谷さまの、福島支援への熱意が伝わるお話を聞き、お肌のお手入れのレッスンがはじまります。美顔器のようなものは、これまで正直信じていなかったのですが、片側だけあてていただいて左右を比べ、あれれ、私の小さな目がなんかぱっちりしたよ!と、お互いの顔を覗いたりしながら、楽しくすすんでいきました。次に、波多江さまによるレッスンが続きます。ベースつくりだけでなくお化粧の方法についても、いろいろなアドバイスをお互いに出し合ったり、同じメークを試したのに、人によって雰囲気が違うのを楽しんだりしました。お化粧をすることで自分がきれいになるだけでなく、コミュニケーションのツールとしても役に立つということが新たな発見でした。</p> <p>避難者の会代表の佐藤さまともお話することができました。坂東先生がなさっている、放射線レベルについて正しく一般の人に知らせるという活動は、福島から出ることができない人、出たくない人にとって、科学者として実行し得る最も役に立つ活動だと思います。何かわからないものに対する不安からくるストレスは、想像を超えるものでしょうから。「科学者の責任だ」という先生のお言葉に感銘を受けました。</p> <p>一方で、いくらバックグラウンドレベルと言われようが、子どものいる親としては、たとえ1%増えるだけでも避けたいと思いますし、みなさんどうなさっているのか気になっておりました。相馬市は住める状態だと言われ、自主避難している人はいるのに、市としては、現在避難者はいないことになっており、援助はない。また、避難先の滋賀県では、市営住宅に継続の申請をしても、数が少ないため優先度が低く対応が遅くなりぎりぎりまでどうなるかわからない。とのことで、少数派の「生きづらさ」を感じました。直接何かする力は私にはありませんが、まずは知ることが大事だと思いますので、この話は他の方にも広めたいと思いました。</p> <p>普段の休日は子どものために使うため、子持ちの女性はなかなか自分のための時間がとれないものですが、子どもには「科学のこころ」を育てる遊びをしていただき、自分自身はきれいになりながら、いろいろな方とつながれる、という本当に贅沢な時間を過ごすことができました。坂東先生、そして先生と活動されている皆様が、いつも本当に必要なことを考えて、それを実行する柔軟な発想力と行動力をお持ちであることを改めて認識しました。</p> <p>ありがとうございました。</p> <p style="text-align: right;">馬杉(時田)美和子</p> <hr title="報 告2" alt="報 告2" class="system-pagebreak" /> <p>谷都美子さま、坂東昌子先生、みなさま</p> <p>こんにちは。一昨日は「福島☆女性研究者☆化粧」という組み合わせによる、これまで参加したことのない斬新な体験型ワークショップに参加させていただく機会を与えられまして、とても感激いたしました。</p> <p>外への運動や問題意識をもった働きかけばかりに囚われていると、しばしば自分を失っていくという悪循環のスパイラルに陥った経験がありました。そんななか、自分がイキイキできるその時間とそれを分かち合う場、それが化粧レッスンであった!というのは、なかなか思い切った企画で、私はすぐに飛びつきました。</p> <p>化粧は通常、自分一人が鏡に向かって試行錯誤して、個の世界に入っていく側面が強いのですが、その「変身」のプロセスを、いろんな経験をもった女性がわいわい、がやがや、お互いの顔をのぞきあったり、美しく見える色を互いに選んでみたりして、インターアクションできたのはすばらしい経験でした。</p> <p>しかもスペシャリストの谷さまと波多江さまによる個々人のニーズにそった美のレッスンと、今回の企画の背後にあります谷さまの福島への支援に対する情熱いっぱいのお話、また参加者にも福島の若き乙女やご夫人方もおられて、なかなかお金を払っても得られる経験ではなく、たいへん勉強になりました。</p> <p>とくに、わたしは中国人移民研究のなかでで「故郷を離れてふるさとをいかに再生するのか」といった問題意識をタイや中国などのフィールドワークを通して文化人類学的研究をしてまいりましたが、福島の方々が京都・滋賀に「移住」されて、自己ならびに共同性の再生にご努力され、次世代の子どもたちの教育についても大変熱心に語られているのを拝聴しまして、フィールドワークの中にいるような現場の迫力とその声に触れることができ、研究者としても刺激を与えられました。</p> <p>簡潔に申しますと、化粧技術の後ろにある豊かな人間性回復の場でありました。そこには今回の企画にご尽力されました谷さまと坂東先生の人間性が、福島の方々と私たちを結びつけ、共振させていく原動力が響きわたり、参加者個々人への「内なる」メッセージとして伝わったのだと思います!!「美」のため、といういっけん贅沢な時間の使いかたであるようにみえて、それが実は自分を内側から取り戻す力につながっていた、しかも、多様な人々の交わりと絆の時間でもあったという再発見です。</p> <p>企画後も、坂東先生と新宅さんと一緒にお食事をしながら、物理学者や科学者の社会的責任や核、戦争への取り組み、親子に「科学のこころ」を育む教育学的実践の話、それに対する人文科学系の出遅れなど、人文科学の仲間だけでは話たことない、科学の役割と現代世界のつながり、次世代への継承と反省、子どもと平和教育・・・。深く自分の無知と不勉強を再発見し、刺激にみちた一日となりました。</p> <p>そのうえ、新宅さんはじめ理科講師のみなさんに、わたしの二人の子どもに「虹」や「ペットボトルのマジックショー」の経験と発見の機会を与えていただき、子どもたちも大満足!!また行きたい!といっていました。</p> <p>こうした企画がさまざまな人々、女性に届き、広がりますことを祈るばかりです。</p> <p>今後ともどうぞよろしく御願いもうしあげます。</p> <p style="text-align: right;">感謝をこめて。王柳蘭</p> <hr title="報 告3" alt="報 告3" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> <strong>We love Fukushima in 関西</strong><br /><strong>私はわたし、きれいは自信:自分を輝かせる化粧を学ぶ</strong></p> <p>あいんしゅたいんでは、26年度事業として多様な年齢層、多様な専門家が一緒になって夏に伊達、南相馬、郡山と行って色々なかたとお話しする企画を実行、これはこれで実り多かったです。関西の県外避難者とは、これまでにホールボディカウンター検査を受けに京大原子炉へ行ったり美浜の関連の発電所へ行ったりしました。その後2013年の12月には福島からホールボディーカウンター検査車が京都と兵庫に来てくれた時も、避難者の方々とカフェを開きました。このようにあいんしゅたいんでは、福島からの避難者と色々な交流を図ってきました。</p> <p>今回の企画は、去年12月に復興庁主催の福島避難者向けの会にいった後、急遽決まりました。どうせならもっと楽しい企画をしたいねと、会議の後滋賀からの避難者の佐藤さんや伊藤さんと話をしました。この会にはナリスの谷さんも来られていて、佐藤さんや伊藤さんから娘さんが大学生になったので化粧を教えてほしいという要請がありました。お父さんやお母さんからすれば、専門家のアドバイスがあれば、もっと可愛くできるはずだとの思いがあったようです。そこで次の会は、化粧の仕方を学ぶというのと、お話会を組み合わそうと言うことになりました。</p> <p>なぜ化粧?、それには宇野と谷さんとの研究の長い歴史があります。</p> <p>私たちは1996年と1998年におばあちゃん達に化粧療法をすると言うプロジェクトを立ち上げました。何かもっと化粧の新しい側面、特に免疫への影響の研究をしたいという相談をナリス化粧品の方から受けたことにあります。そこで、老齢期の婦人に化粧療法をデーマに助成金を申請し、助成金を得、ある大阪の老人病院で平均年齢83歳の患者さんたちを対象に、化粧療法をするプロジェクトが始まりました。その時のナリスの責任者が谷さんでした。この経験はとても大きくまたその後の私たちの人生にも影響を与えました。化粧の前と後で比べると、後で免疫能が上がっているという結果も得られ、長期的に見ても免疫機能が上昇するという結果を得ることもできました。80代ともなると、リハビリ効果はありませんでしたが、会を追うごとに、おばあちゃん達が生き生きとしてくるのがわかりました。この話を1998年に朝日新聞にサイエンスエッセイを書いたところとても反響が強く、色々な問い合わせがありました。その後、谷さんは介護美容に力を入れ、最近介護美容セラピスト協会を立ち上げたとの事です。</p> <p>私の方は2011年の福島での活動経験から、2012年はお母さん向けプロジェクトが必要と思い、2012年の正月明けに谷さんに10年ぶりぐらいであい相談しました。その3月に谷さんは一緒に福島に来てくれて、福島の方とお話の機会をつくり、ニーズを感じてくれました。</p> <p>2012年の4月に、学振が今年はお母さんプロジェクトを支援してくれるので、協力をと県庁で県会議員に要請にいったら、長尾トモ子県会議員から「今、福島に必要なのは、偉い先生の話よりアロマです」と言われました。まだまだ県外へ避難される方の方が、帰ってこられるより多いという状況でした。化粧療法を提案したのですが、学振は学振スタイルでということで、この話は消えました。でも、日赤に提案したら、日赤はOK、一方谷さんは会社に掛け合い、化粧乳液一万本の被災地支援を会社から、引き出してくれました(ナリス化粧品さんの本社は、大阪市福島区にあり、外国からは風評被害も受けたということで)。それから、私達は福島で、匂い袋作りやハンドマッサージとセットにした講演会を、ずいぶんとやりました。</p> <p>2013年の12月、京都にホールボディーカウンター検診車が来るときも、内部でナリスさんに協力してもらうかどうかの議論があったのですが、実際,皆さん経験してみると、避難者の方が素直に喜ばれるのを目にして、「ハンドマッサージなんかでごまかすのはすかん」と言っていた坂東さんの認識も少しは変化したようでした。実際福島へ行って,講演会の始まりにハンドマッサージをやると、皆さん戸惑いながらも、喜んでくださいます。2014年夏にあいんしゅたいんで、福島に行ったときの様子は<a href="fon/wfp-2014.html">こちら</a>に詳しく書かれています。</p> <p>ハンドマッサージをしながら、聞きたい事、不安を話してもらって、それに答える形で話を進めます。先日は京大RIセンターの角山さんと私で富岡町の人や保育師向けの学習会に行ったのですが、ハンドマッサージ、お話、角山さんの機器をつかった放射能とのつきあい方の話に、こんな学習会は始めてと多くの人に言っていただきましたし、中には放射能に対する考え方が変わったとの意見もいただきました。</p> <p>今回の企画に対する皆さんの報告を読んで化粧の経験がいろんな意味でとても楽しかったと聞きました。昔の研究が現場で生かされていることをとても嬉しく思います。たかが化粧、されど化粧です。</p> <p>ということで、化粧の効用なかなかのものでしょう。しかけた当人は、その前の週に北海道で滑って転んで、左手首を骨折、前日に手術した病院のベッドで点滴をうらめしげに見ていたのですが。一応、元通りにつなげたとのこと。あとは自然治癒力にまかせたいとおもいます。</p> <p style="text-align: right;">宇野賀津子 2015年3月3日記</p> <hr title="報 告4" alt="報 告4" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> </p> <p style="text-align: center;"><strong>化粧の効用は、生活の中に生かせます</strong></p> <p>女性が化粧をする時は、何気なく鏡を覗き込んで「今日は顔色がいい」「知らない間にシミができている」という美容チェックをしているだけのようですが、実は、日々の出来事に思いを馳せながら、自分自身に向き合い、鏡の中の自分と対話しています。化粧は落ち込んで冴えない顔に、ファンデーションや口紅をつけることによって、顔色だけでなく気分を明るくしたり、見せたい自己像を作り出したり、人前に出る時の不安を自信に変えるなど、外見だけではなく、内面(気持ち)を支えてくれる強い味方です。だから「化粧」は「気粧」。</p> <p>最近は、私は日本介護美容セラピスト協会なるものを立ち上げ、「化粧等の施術を通して、高齢者の元気と笑顔を取り戻す」活動をしています。化粧というのは、1つ、2つのステップで完結するものではなく、仕上がるまでにたくさんのステップが介在します。実施しながら様子を見ていると、化粧水・乳液・おしろい・・・・とステップを経るごとに、顔色や表情が確実に変化していきます。しかも、数人のグループでお化粧セラピー(ビューティタッチセラピー)をしていると、仕上がりに近づくに従い、隣の方の体に触れたり、「あんた、キレイねぇ」・・・などのコミュニケーションが増えてくることです。つまり、何人か一緒にお化粧することは、一人の変化でなく、そこにいる集団の変化に繋がります。まさに、「化粧」が《メンタルケアの魔法》ともいわれる所以でしょう。</p> <p>20年ほど前に宇野先生と「高齢者施設での化粧セラピー(ビューティタッチセラピー)」の共同研究を行った検証結果では、長期的にも免疫力の向上が明らかになりましたが、最近では「睡眠の改善」や「認知予防のための集中力・注意力の向上」、「指先のピンチ力向上」なる効果も見えてきています。《たかが化粧、されど化粧》の裏側にある隠された効果や「触れる力」(ハンドマッサージの効用はここにあると思われます)の解明と、化粧を通じて明るい世の中を作ることが私の使命です。</p> <p>この度、「あいんしゅたいん」でのお化粧教室に参加頂いた皆様方の声に、新たなる自信と活力を見出すことができました。深く感謝いたします。</p> <p style="text-align: right;">谷 都美子(ナリス化粧品美容部長・一般社団法人 日本介護美容セラピスト協会代表理事)</p></div> <div class="feed-description"><p>以下は、2015年2月28日に開催された、<a href="event/1148-150122.html">We love ふくしま in 関西「私はわたし、きれいは自信:自分を輝かせる化粧を学ぶ」</a>のイベント報告です。</p> <p align="left">本イベントは、総勢19名(子ども:5名・大人14名)で、賑やかな会となりました</p> <p align="left">今回残念だったのは、この会を企画し、ナリスとつなげてくださった宇野さんが、北海道に講演に行って、雪で滑って骨折され、療養中だったことです。宇野さんはとても残念がっておられました。宇野さんがこられていれば、「化粧をすると免疫力が上がる」というデータを紹介されたことでしょう。常日頃、「ストレスが一番免疫力を下げる。放射線が含まれているといって、もう測定済みの安全なはずの果物や野菜を食べない、避難生活で運動不足、というのが一番困る。みんな元気になるには、免疫力を上げる取り組みが必要」といわれます。私はそれに対して「その証拠はどれくらい信用できるか」と詰め寄りますが、そんな議論もしたかったです。なによりなリスの方と宇野さんにお礼を申し上げたいと思っています。</p> <p style="padding-left: 30px;" align="left">報 告1:馬杉さんの感想です<br />報 告2:王さんの感想です<br />報 告3:企画のリーダー宇野さんの報告です<br />報 告4:谷都美子さんの感想です</p> <p>なお、坂東理事長の感想は、<a href="blog-bando.html">理事長ブログ</a>「<a href="blog-bando/1200-blog119.html">We love ふくしま in 関西を終えて(ブログ その119)</a>」をご覧ください。</p> <hr title="報 告1" alt="報 告1" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> <strong>「We love ふくしま in 関西」に参加して </strong></p> <p>私は、普段ほとんどお化粧をしないのですが、子どもの相手も理科実験教室のお兄さん達がして下さるということ、また坂東先生から福島支援のお話を聞いて、もっと知りたいという気持ちから、「参加者の対象としてふさわしくないのでは?」という半信半疑のまま、参加させていただきました。</p> <p>谷さまの、福島支援への熱意が伝わるお話を聞き、お肌のお手入れのレッスンがはじまります。美顔器のようなものは、これまで正直信じていなかったのですが、片側だけあてていただいて左右を比べ、あれれ、私の小さな目がなんかぱっちりしたよ!と、お互いの顔を覗いたりしながら、楽しくすすんでいきました。次に、波多江さまによるレッスンが続きます。ベースつくりだけでなくお化粧の方法についても、いろいろなアドバイスをお互いに出し合ったり、同じメークを試したのに、人によって雰囲気が違うのを楽しんだりしました。お化粧をすることで自分がきれいになるだけでなく、コミュニケーションのツールとしても役に立つということが新たな発見でした。</p> <p>避難者の会代表の佐藤さまともお話することができました。坂東先生がなさっている、放射線レベルについて正しく一般の人に知らせるという活動は、福島から出ることができない人、出たくない人にとって、科学者として実行し得る最も役に立つ活動だと思います。何かわからないものに対する不安からくるストレスは、想像を超えるものでしょうから。「科学者の責任だ」という先生のお言葉に感銘を受けました。</p> <p>一方で、いくらバックグラウンドレベルと言われようが、子どものいる親としては、たとえ1%増えるだけでも避けたいと思いますし、みなさんどうなさっているのか気になっておりました。相馬市は住める状態だと言われ、自主避難している人はいるのに、市としては、現在避難者はいないことになっており、援助はない。また、避難先の滋賀県では、市営住宅に継続の申請をしても、数が少ないため優先度が低く対応が遅くなりぎりぎりまでどうなるかわからない。とのことで、少数派の「生きづらさ」を感じました。直接何かする力は私にはありませんが、まずは知ることが大事だと思いますので、この話は他の方にも広めたいと思いました。</p> <p>普段の休日は子どものために使うため、子持ちの女性はなかなか自分のための時間がとれないものですが、子どもには「科学のこころ」を育てる遊びをしていただき、自分自身はきれいになりながら、いろいろな方とつながれる、という本当に贅沢な時間を過ごすことができました。坂東先生、そして先生と活動されている皆様が、いつも本当に必要なことを考えて、それを実行する柔軟な発想力と行動力をお持ちであることを改めて認識しました。</p> <p>ありがとうございました。</p> <p style="text-align: right;">馬杉(時田)美和子</p> <hr title="報 告2" alt="報 告2" class="system-pagebreak" /> <p>谷都美子さま、坂東昌子先生、みなさま</p> <p>こんにちは。一昨日は「福島☆女性研究者☆化粧」という組み合わせによる、これまで参加したことのない斬新な体験型ワークショップに参加させていただく機会を与えられまして、とても感激いたしました。</p> <p>外への運動や問題意識をもった働きかけばかりに囚われていると、しばしば自分を失っていくという悪循環のスパイラルに陥った経験がありました。そんななか、自分がイキイキできるその時間とそれを分かち合う場、それが化粧レッスンであった!というのは、なかなか思い切った企画で、私はすぐに飛びつきました。</p> <p>化粧は通常、自分一人が鏡に向かって試行錯誤して、個の世界に入っていく側面が強いのですが、その「変身」のプロセスを、いろんな経験をもった女性がわいわい、がやがや、お互いの顔をのぞきあったり、美しく見える色を互いに選んでみたりして、インターアクションできたのはすばらしい経験でした。</p> <p>しかもスペシャリストの谷さまと波多江さまによる個々人のニーズにそった美のレッスンと、今回の企画の背後にあります谷さまの福島への支援に対する情熱いっぱいのお話、また参加者にも福島の若き乙女やご夫人方もおられて、なかなかお金を払っても得られる経験ではなく、たいへん勉強になりました。</p> <p>とくに、わたしは中国人移民研究のなかでで「故郷を離れてふるさとをいかに再生するのか」といった問題意識をタイや中国などのフィールドワークを通して文化人類学的研究をしてまいりましたが、福島の方々が京都・滋賀に「移住」されて、自己ならびに共同性の再生にご努力され、次世代の子どもたちの教育についても大変熱心に語られているのを拝聴しまして、フィールドワークの中にいるような現場の迫力とその声に触れることができ、研究者としても刺激を与えられました。</p> <p>簡潔に申しますと、化粧技術の後ろにある豊かな人間性回復の場でありました。そこには今回の企画にご尽力されました谷さまと坂東先生の人間性が、福島の方々と私たちを結びつけ、共振させていく原動力が響きわたり、参加者個々人への「内なる」メッセージとして伝わったのだと思います!!「美」のため、といういっけん贅沢な時間の使いかたであるようにみえて、それが実は自分を内側から取り戻す力につながっていた、しかも、多様な人々の交わりと絆の時間でもあったという再発見です。</p> <p>企画後も、坂東先生と新宅さんと一緒にお食事をしながら、物理学者や科学者の社会的責任や核、戦争への取り組み、親子に「科学のこころ」を育む教育学的実践の話、それに対する人文科学系の出遅れなど、人文科学の仲間だけでは話たことない、科学の役割と現代世界のつながり、次世代への継承と反省、子どもと平和教育・・・。深く自分の無知と不勉強を再発見し、刺激にみちた一日となりました。</p> <p>そのうえ、新宅さんはじめ理科講師のみなさんに、わたしの二人の子どもに「虹」や「ペットボトルのマジックショー」の経験と発見の機会を与えていただき、子どもたちも大満足!!また行きたい!といっていました。</p> <p>こうした企画がさまざまな人々、女性に届き、広がりますことを祈るばかりです。</p> <p>今後ともどうぞよろしく御願いもうしあげます。</p> <p style="text-align: right;">感謝をこめて。王柳蘭</p> <hr title="報 告3" alt="報 告3" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> <strong>We love Fukushima in 関西</strong><br /><strong>私はわたし、きれいは自信:自分を輝かせる化粧を学ぶ</strong></p> <p>あいんしゅたいんでは、26年度事業として多様な年齢層、多様な専門家が一緒になって夏に伊達、南相馬、郡山と行って色々なかたとお話しする企画を実行、これはこれで実り多かったです。関西の県外避難者とは、これまでにホールボディカウンター検査を受けに京大原子炉へ行ったり美浜の関連の発電所へ行ったりしました。その後2013年の12月には福島からホールボディーカウンター検査車が京都と兵庫に来てくれた時も、避難者の方々とカフェを開きました。このようにあいんしゅたいんでは、福島からの避難者と色々な交流を図ってきました。</p> <p>今回の企画は、去年12月に復興庁主催の福島避難者向けの会にいった後、急遽決まりました。どうせならもっと楽しい企画をしたいねと、会議の後滋賀からの避難者の佐藤さんや伊藤さんと話をしました。この会にはナリスの谷さんも来られていて、佐藤さんや伊藤さんから娘さんが大学生になったので化粧を教えてほしいという要請がありました。お父さんやお母さんからすれば、専門家のアドバイスがあれば、もっと可愛くできるはずだとの思いがあったようです。そこで次の会は、化粧の仕方を学ぶというのと、お話会を組み合わそうと言うことになりました。</p> <p>なぜ化粧?、それには宇野と谷さんとの研究の長い歴史があります。</p> <p>私たちは1996年と1998年におばあちゃん達に化粧療法をすると言うプロジェクトを立ち上げました。何かもっと化粧の新しい側面、特に免疫への影響の研究をしたいという相談をナリス化粧品の方から受けたことにあります。そこで、老齢期の婦人に化粧療法をデーマに助成金を申請し、助成金を得、ある大阪の老人病院で平均年齢83歳の患者さんたちを対象に、化粧療法をするプロジェクトが始まりました。その時のナリスの責任者が谷さんでした。この経験はとても大きくまたその後の私たちの人生にも影響を与えました。化粧の前と後で比べると、後で免疫能が上がっているという結果も得られ、長期的に見ても免疫機能が上昇するという結果を得ることもできました。80代ともなると、リハビリ効果はありませんでしたが、会を追うごとに、おばあちゃん達が生き生きとしてくるのがわかりました。この話を1998年に朝日新聞にサイエンスエッセイを書いたところとても反響が強く、色々な問い合わせがありました。その後、谷さんは介護美容に力を入れ、最近介護美容セラピスト協会を立ち上げたとの事です。</p> <p>私の方は2011年の福島での活動経験から、2012年はお母さん向けプロジェクトが必要と思い、2012年の正月明けに谷さんに10年ぶりぐらいであい相談しました。その3月に谷さんは一緒に福島に来てくれて、福島の方とお話の機会をつくり、ニーズを感じてくれました。</p> <p>2012年の4月に、学振が今年はお母さんプロジェクトを支援してくれるので、協力をと県庁で県会議員に要請にいったら、長尾トモ子県会議員から「今、福島に必要なのは、偉い先生の話よりアロマです」と言われました。まだまだ県外へ避難される方の方が、帰ってこられるより多いという状況でした。化粧療法を提案したのですが、学振は学振スタイルでということで、この話は消えました。でも、日赤に提案したら、日赤はOK、一方谷さんは会社に掛け合い、化粧乳液一万本の被災地支援を会社から、引き出してくれました(ナリス化粧品さんの本社は、大阪市福島区にあり、外国からは風評被害も受けたということで)。それから、私達は福島で、匂い袋作りやハンドマッサージとセットにした講演会を、ずいぶんとやりました。</p> <p>2013年の12月、京都にホールボディーカウンター検診車が来るときも、内部でナリスさんに協力してもらうかどうかの議論があったのですが、実際,皆さん経験してみると、避難者の方が素直に喜ばれるのを目にして、「ハンドマッサージなんかでごまかすのはすかん」と言っていた坂東さんの認識も少しは変化したようでした。実際福島へ行って,講演会の始まりにハンドマッサージをやると、皆さん戸惑いながらも、喜んでくださいます。2014年夏にあいんしゅたいんで、福島に行ったときの様子は<a href="fon/wfp-2014.html">こちら</a>に詳しく書かれています。</p> <p>ハンドマッサージをしながら、聞きたい事、不安を話してもらって、それに答える形で話を進めます。先日は京大RIセンターの角山さんと私で富岡町の人や保育師向けの学習会に行ったのですが、ハンドマッサージ、お話、角山さんの機器をつかった放射能とのつきあい方の話に、こんな学習会は始めてと多くの人に言っていただきましたし、中には放射能に対する考え方が変わったとの意見もいただきました。</p> <p>今回の企画に対する皆さんの報告を読んで化粧の経験がいろんな意味でとても楽しかったと聞きました。昔の研究が現場で生かされていることをとても嬉しく思います。たかが化粧、されど化粧です。</p> <p>ということで、化粧の効用なかなかのものでしょう。しかけた当人は、その前の週に北海道で滑って転んで、左手首を骨折、前日に手術した病院のベッドで点滴をうらめしげに見ていたのですが。一応、元通りにつなげたとのこと。あとは自然治癒力にまかせたいとおもいます。</p> <p style="text-align: right;">宇野賀津子 2015年3月3日記</p> <hr title="報 告4" alt="報 告4" class="system-pagebreak" /> <p style="text-align: center;"> </p> <p style="text-align: center;"><strong>化粧の効用は、生活の中に生かせます</strong></p> <p>女性が化粧をする時は、何気なく鏡を覗き込んで「今日は顔色がいい」「知らない間にシミができている」という美容チェックをしているだけのようですが、実は、日々の出来事に思いを馳せながら、自分自身に向き合い、鏡の中の自分と対話しています。化粧は落ち込んで冴えない顔に、ファンデーションや口紅をつけることによって、顔色だけでなく気分を明るくしたり、見せたい自己像を作り出したり、人前に出る時の不安を自信に変えるなど、外見だけではなく、内面(気持ち)を支えてくれる強い味方です。だから「化粧」は「気粧」。</p> <p>最近は、私は日本介護美容セラピスト協会なるものを立ち上げ、「化粧等の施術を通して、高齢者の元気と笑顔を取り戻す」活動をしています。化粧というのは、1つ、2つのステップで完結するものではなく、仕上がるまでにたくさんのステップが介在します。実施しながら様子を見ていると、化粧水・乳液・おしろい・・・・とステップを経るごとに、顔色や表情が確実に変化していきます。しかも、数人のグループでお化粧セラピー(ビューティタッチセラピー)をしていると、仕上がりに近づくに従い、隣の方の体に触れたり、「あんた、キレイねぇ」・・・などのコミュニケーションが増えてくることです。つまり、何人か一緒にお化粧することは、一人の変化でなく、そこにいる集団の変化に繋がります。まさに、「化粧」が《メンタルケアの魔法》ともいわれる所以でしょう。</p> <p>20年ほど前に宇野先生と「高齢者施設での化粧セラピー(ビューティタッチセラピー)」の共同研究を行った検証結果では、長期的にも免疫力の向上が明らかになりましたが、最近では「睡眠の改善」や「認知予防のための集中力・注意力の向上」、「指先のピンチ力向上」なる効果も見えてきています。《たかが化粧、されど化粧》の裏側にある隠された効果や「触れる力」(ハンドマッサージの効用はここにあると思われます)の解明と、化粧を通じて明るい世の中を作ることが私の使命です。</p> <p>この度、「あいんしゅたいん」でのお化粧教室に参加頂いた皆様方の声に、新たなる自信と活力を見出すことができました。深く感謝いたします。</p> <p style="text-align: right;">谷 都美子(ナリス化粧品美容部長・一般社団法人 日本介護美容セラピスト協会代表理事)</p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 6 2014-09-26T15:45:03+09:00 2014-09-26T15:45:03+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1101-wfp2014-report6.html 新宅直人 <div class="feed-description"><p><span style="font-size: 10px;">We love 福島プロジェクト2014 参加後レポート</span></p> <p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>福島で考えた科学の伝え方</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学大学院 理学研究科 化学専攻 修士二年 新宅直人</p> <p>今回、本学生派遣プロジェクトに参加し、福島での現地視察として放射線量の測定や地元の方との交流を行い、また各講演会では子供たち向けの実験コーナーを実施した。こうした体験を通じて、科学の伝え方について考察をしたので報告する。</p> <p>科学を伝えるうえで、「正しさ」と「わかりやすさ」どちらに重点を置くかという問題はしばしば話題に挙がる。正しさを突き詰めると難解な印象を受けて理解するに至らない。<br />しかし、わかりやすさに偏ってしまうと誤解や曲解などが生じる。本プロジェクト中、この「わかりやすさ」を重視した報道が遠因となって、科学への不信感につながったという話を聞くことができた。同時に、プロジェクト中で実施した講演会によって、より正しい認識で科学が伝達されていく様子を知ることができた。これらについて述べた後、得られた考察をまとめていく。</p> <p>震災直後から、放射線量やその単位、また言葉の定義などは様々な説明がされてきた。なかでも、日常的にどれぐらいの放射線量を浴びているかという内容は頻繁に報道がされていた。たとえば飛行機に乗った場合どれぐらいの放射線量か、バナナを食べるとどうか、などの説明がそれにあたる。ただ、これは普段の生活と放射線量についての知識であり、それだけでは不十分だったという話を、本プログラム一日目の講演後、受講者との雑談中に聞かせていただいた。この方が聞きたかったのはより具体的な内容で、つまり当時の放射線量で住み続けて構わないのか、また一連の放射線量についての説明と現状は何が違うのか、といった点であった。ここで生じた不満や不信感は、聞きたいことと得られる情報とでズレが生じていたと共に、震災による受動的な被ばくと飛行機に乗った時などの能動的な場合とでは感じられるリスクに違いがあることに起因していると考えた。</p> <p>一方的にしか得られない情報や知識と異なり、本プロジェクトで実施した講演会はまるで座談会のような雰囲気で、実際には先生と受講者はもちろん先生同士も話し合いをしながら科学について理解を深めていくといった形式だった。受講者からは納得したという感想があり、得られた知識を今度は受講者からその知人等に伝える様子も見られたとのことだった。ここでは不満とは逆の感想と、講演会で得た正しい知識が広まっていく様子が見て取れる。双方向的に講演会が進んだことで聞きたいことと内容のズレが少なく、また疑問をぶつけながら話ができたことで納得に至ったのではないかと考えた。一方、正しさという点については別の事例と比較してみたい。</p> <p>地元の方との交流で、これまでに実施された講演についての感想を聞くことがあった。これは福島県で限定的にみられる事案というわけではないが、リスク判断に関わる講演では演者の思想や感性が根拠となることがあり、必ずしも科学的な根拠を持ち出していたわけではないことを知った。この場合、演者の発言内容が状況により変更されるということもあり、それも科学への不信感に繋がっているようだった。リスク判断は個人の裁量が影響することも事実だが、だからこそ慎重になるべきである。根拠が属人的であることは、少なくとも正しさが検討できない点において今回の講演とは異なると考えられる。以下、これまでの考察についてまとめていく。</p> <p>本プロジェクトでは三名の専門家が科学的な知識について講演会を実施した。震災後では、一方的な報道や属人的な根拠を基にした講演などから科学への不満や不信感を抱いていたという感想があったものの、本講演では双方向的なやり取りが機能しお互いの納得感を得られた。また内容については属人的な要素がないため根拠について検討ができる。リスク判断をする上では自らが納得でき、そのために検討が可能な根拠を提供することが必要ではないかと考えた。</p> <p>最後に本プロジェクトに参加した所感を述べる。参加した動機は二つあった。一つは祖父母が福島県の出身で、親戚も東北に住んでいることもありなじみのある土地だったという点があげられる。放射線量の測定や地域の方と実際に交流をすることで、このなじみのある土地をまた違う角度から見ることができた。もう一つの理由は、本プロジェクトに参加することで初心に立ち返り、改めて科学と向き合いたいと考えたからだった。実家と近い市でかつてゴミ焼却炉から発生するダイオキシンの量が問題視されたことがあった。ここでも基準値の話や実測値の解釈など、放射線量と一部類するような議論が報道などでされていた。この問題が生じたときは小学生時分であまり記憶にはないものの、突然知らなかった情報が飛び交い議論が加速していく様子に戸惑ったように思える。こうした科学と社会の問題をどこかで憂いつつ理系に進み、いつかそれについて判断できる人になりたいと考えていた。科学だけでもまだ理解不足を痛感するが、社会と交差することでさらに複雑になることを本プロジェクトで再確認した。自分自身、科学への知識や理解に乏しいことを痛感したが、研究や勉学に励み科学の普及に携わっていきたい。</p></div> <div class="feed-description"><p><span style="font-size: 10px;">We love 福島プロジェクト2014 参加後レポート</span></p> <p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>福島で考えた科学の伝え方</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学大学院 理学研究科 化学専攻 修士二年 新宅直人</p> <p>今回、本学生派遣プロジェクトに参加し、福島での現地視察として放射線量の測定や地元の方との交流を行い、また各講演会では子供たち向けの実験コーナーを実施した。こうした体験を通じて、科学の伝え方について考察をしたので報告する。</p> <p>科学を伝えるうえで、「正しさ」と「わかりやすさ」どちらに重点を置くかという問題はしばしば話題に挙がる。正しさを突き詰めると難解な印象を受けて理解するに至らない。<br />しかし、わかりやすさに偏ってしまうと誤解や曲解などが生じる。本プロジェクト中、この「わかりやすさ」を重視した報道が遠因となって、科学への不信感につながったという話を聞くことができた。同時に、プロジェクト中で実施した講演会によって、より正しい認識で科学が伝達されていく様子を知ることができた。これらについて述べた後、得られた考察をまとめていく。</p> <p>震災直後から、放射線量やその単位、また言葉の定義などは様々な説明がされてきた。なかでも、日常的にどれぐらいの放射線量を浴びているかという内容は頻繁に報道がされていた。たとえば飛行機に乗った場合どれぐらいの放射線量か、バナナを食べるとどうか、などの説明がそれにあたる。ただ、これは普段の生活と放射線量についての知識であり、それだけでは不十分だったという話を、本プログラム一日目の講演後、受講者との雑談中に聞かせていただいた。この方が聞きたかったのはより具体的な内容で、つまり当時の放射線量で住み続けて構わないのか、また一連の放射線量についての説明と現状は何が違うのか、といった点であった。ここで生じた不満や不信感は、聞きたいことと得られる情報とでズレが生じていたと共に、震災による受動的な被ばくと飛行機に乗った時などの能動的な場合とでは感じられるリスクに違いがあることに起因していると考えた。</p> <p>一方的にしか得られない情報や知識と異なり、本プロジェクトで実施した講演会はまるで座談会のような雰囲気で、実際には先生と受講者はもちろん先生同士も話し合いをしながら科学について理解を深めていくといった形式だった。受講者からは納得したという感想があり、得られた知識を今度は受講者からその知人等に伝える様子も見られたとのことだった。ここでは不満とは逆の感想と、講演会で得た正しい知識が広まっていく様子が見て取れる。双方向的に講演会が進んだことで聞きたいことと内容のズレが少なく、また疑問をぶつけながら話ができたことで納得に至ったのではないかと考えた。一方、正しさという点については別の事例と比較してみたい。</p> <p>地元の方との交流で、これまでに実施された講演についての感想を聞くことがあった。これは福島県で限定的にみられる事案というわけではないが、リスク判断に関わる講演では演者の思想や感性が根拠となることがあり、必ずしも科学的な根拠を持ち出していたわけではないことを知った。この場合、演者の発言内容が状況により変更されるということもあり、それも科学への不信感に繋がっているようだった。リスク判断は個人の裁量が影響することも事実だが、だからこそ慎重になるべきである。根拠が属人的であることは、少なくとも正しさが検討できない点において今回の講演とは異なると考えられる。以下、これまでの考察についてまとめていく。</p> <p>本プロジェクトでは三名の専門家が科学的な知識について講演会を実施した。震災後では、一方的な報道や属人的な根拠を基にした講演などから科学への不満や不信感を抱いていたという感想があったものの、本講演では双方向的なやり取りが機能しお互いの納得感を得られた。また内容については属人的な要素がないため根拠について検討ができる。リスク判断をする上では自らが納得でき、そのために検討が可能な根拠を提供することが必要ではないかと考えた。</p> <p>最後に本プロジェクトに参加した所感を述べる。参加した動機は二つあった。一つは祖父母が福島県の出身で、親戚も東北に住んでいることもありなじみのある土地だったという点があげられる。放射線量の測定や地域の方と実際に交流をすることで、このなじみのある土地をまた違う角度から見ることができた。もう一つの理由は、本プロジェクトに参加することで初心に立ち返り、改めて科学と向き合いたいと考えたからだった。実家と近い市でかつてゴミ焼却炉から発生するダイオキシンの量が問題視されたことがあった。ここでも基準値の話や実測値の解釈など、放射線量と一部類するような議論が報道などでされていた。この問題が生じたときは小学生時分であまり記憶にはないものの、突然知らなかった情報が飛び交い議論が加速していく様子に戸惑ったように思える。こうした科学と社会の問題をどこかで憂いつつ理系に進み、いつかそれについて判断できる人になりたいと考えていた。科学だけでもまだ理解不足を痛感するが、社会と交差することでさらに複雑になることを本プロジェクトで再確認した。自分自身、科学への知識や理解に乏しいことを痛感したが、研究や勉学に励み科学の普及に携わっていきたい。</p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 5 2014-09-26T15:44:21+09:00 2014-09-26T15:44:21+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1100-wfp2014-report5.html 間浦幹浩 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>We love ふくしま2014 視察レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学理学部化学系4回 間浦幹浩 </p> <p>2014年8月5日(火)~7日(木)の3日間にわたり、チームあいんしゅたいんのメンバーとして、福島県の各所にて放射線に関するセミナー、子ども向け実験教室を開催したり、帰宅困難区域の視察を行ったりした。私はそのチームの中の、チーム若者力として、特に子ども向け実験教室を京都大学理学研究科M2の新宅直人さんと二人で主に行った。理科教育という観点から、以下の項目について雑感ではあるが報告をする。</p> <hr /> <div style="padding-left: 20px;">0, 日程、訪問先<br />1, 大人の理科教育<br />2, 子どもの理科教育</div> <hr /> <p>0, 日程、訪問先</p> <p style="padding-left: 30px;">8月5日(火)午後 伊達市保原中央交流館にてセミナーと実験教室<br />      夕方 南相馬市役所を訪問</p> <p style="padding-left: 30px;">8月6日(水)午前 原町子育て支援センター(原町あずま保育園)にてセミナーと実験教室<br />      午後 帰宅困難区域の視察<br />      夜  郡山市の方々との交流</p> <p style="padding-left: 30px;">8月7日(木)午前 自然体験保育園ココカラにてセミナーと実験教室<br />      午後 同友会本部事務所にてセミナー、同事務所玄関にて実験教室、ちびっこうねめ祭りを訪問</p> <p>1, 大人の理科教育</p> <p style="padding-left: 30px;">実験教室で子どもたちと交流する傍らであったために、セミナーには横目片耳でしか参加できていないが、今回セミナーに参加した伊達市、南相馬市、郡山市の方々は、自身でも勉強をし、今回改めて学んだことを再確認、再認識したいという形で、「学ぶ姿勢」を強く持って参加している様子が見て取れた。セミナー外でも、特に品川郡山市長をはじめとした郡山市の職員の方々は震災後相当の勉強量を積んでいると感じた。市長は「無知よりも知ってるつもりがおそろしい」と前面に掲げている。これはTwitter<sup>※1</sup>やarukuの記事<sup>※2</sup>にも投稿・寄稿しており、市民全体が基礎から徹底して知識を積むことが重要だと市長の言葉を通して再認識させられた。実際、セミナーに訪れた市民などは、訪れる時点である程度基礎知識があるが、訪れた人は人口からすればほんの一握りであり、全体が基礎知識を充分に積めていない。専門家が直接的に全体に指導できない状況と現時点では言い直すことが可能で、専門家から直接学んだ今回の数十人が、周囲に広める活動を担うこととなるが、その方々に専門家がどれだけ噛み砕いてわかりやすい言葉で伝えることができるか、にかなり重点を置くべきだと感じた。そしてそれは長期的な活動を視野にすると、学生のような若者が、専門家と住民をつなぐ橋渡しの存在となるべきだとも感じた。</p> <p>2, 子どもの理科教育</p> <p style="padding-left: 30px;">5日は小学生低学年を中心に、6,7日は未就学児童に対して実験教室を行った。実験内容としては浮沈子、スライム、フィルムケース爆弾と視覚・聴覚・触覚に楽しいものを中心に、他にはCD分光器の紹介を行った。3日間とも2時間という時間で行われたために、集中力が保たず、最後まで実験してくれた子は少なかったが、最初の1時間強は目の前の不思議な現象に驚き、「なんで?」や、「すごい」などと驚きを隠せない様子で、いわゆる科学パフォーマンスをした大学生2人とこれらの現象にかなりの関心を抱いたようで、かなり懐いてくれた。この出来事は学びの場で起こったと言えないかもしれないが、この科学現象を見たという経験をしたことが、実際に小中学校で理科を勉強したときに思い出す形で活きてくれれば幸いである。伊達市での実験教室後に中年の男性に話しかけられ、「子どもたちにどんどんこんな体験をさせてやってほしい。そこから理科を勉強してくれるようになったら嬉しい」と、これからの放射線学習に積極的に取り組める地盤づくりに期待を寄せていることを伝えてくれたときは、まずはこういった科学現象を体験してもらうということの重要性を改めて理解した。これにより継続して行っている親子理科実験教室の活動にもさらに一層身が入るようになった。</p> <p style="padding-left: 30px;">しかし今回子どもたちにこういった経験をさせることができたのは、やはり保護者、そしてそれに準ずる大人が連れてきたからこそだとも思う。今学ばねばならないのは短い期間で見ると大人がその中心になるが、汚染物質を含む土が詰められた大量の黒いビニル袋がまだまだ道路横にあったり、一時保管場所が増設されている現場を見て、まだまだ長く除染、大きく見ると復興と向き合っていかないといけないと強く感じ、次の世代が学べる、学びたくなる環境をもっと整備していかなければならないと思い、これからも次の世代を育てる方面で、理科教育に携わろうと決意した。</p> <p style="padding-left: 30px;">勉強だけではいけないとも最終日に感じた。ちびっこうねめ祭りでは我々の活動以外で放射線の文字を見ることは全くなく、祭りに興じる郡山市民を見た。市民の先頭に立って学ぶ品川郡山市長を前日に見ているからか、学ぶときは学ぶ、遊ぶときはとことん遊ぶ、メリハリをつけて生活をすることは心の豊かさにつながると常々思っているので、ハンドマッサージを通して提供した心のケアからはじめるセミナーと大きな共通点があるように思えた。</p> <p>※1  <a href="https://twitter.com/kooriyamasato/status/241703611720151040" target="_blank">https://twitter.com/kooriyamasato/status/241703611720151040</a><br />※2 <a href="http://www.arukunet.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a32620d51d6a7f5e6a5e6b386bf7248.pdf" target="_blank">http://www.arukunet.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a32620d51d6a7f5e6a5e6b386bf7248.pdf</a></p></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>We love ふくしま2014 視察レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学理学部化学系4回 間浦幹浩 </p> <p>2014年8月5日(火)~7日(木)の3日間にわたり、チームあいんしゅたいんのメンバーとして、福島県の各所にて放射線に関するセミナー、子ども向け実験教室を開催したり、帰宅困難区域の視察を行ったりした。私はそのチームの中の、チーム若者力として、特に子ども向け実験教室を京都大学理学研究科M2の新宅直人さんと二人で主に行った。理科教育という観点から、以下の項目について雑感ではあるが報告をする。</p> <hr /> <div style="padding-left: 20px;">0, 日程、訪問先<br />1, 大人の理科教育<br />2, 子どもの理科教育</div> <hr /> <p>0, 日程、訪問先</p> <p style="padding-left: 30px;">8月5日(火)午後 伊達市保原中央交流館にてセミナーと実験教室<br />      夕方 南相馬市役所を訪問</p> <p style="padding-left: 30px;">8月6日(水)午前 原町子育て支援センター(原町あずま保育園)にてセミナーと実験教室<br />      午後 帰宅困難区域の視察<br />      夜  郡山市の方々との交流</p> <p style="padding-left: 30px;">8月7日(木)午前 自然体験保育園ココカラにてセミナーと実験教室<br />      午後 同友会本部事務所にてセミナー、同事務所玄関にて実験教室、ちびっこうねめ祭りを訪問</p> <p>1, 大人の理科教育</p> <p style="padding-left: 30px;">実験教室で子どもたちと交流する傍らであったために、セミナーには横目片耳でしか参加できていないが、今回セミナーに参加した伊達市、南相馬市、郡山市の方々は、自身でも勉強をし、今回改めて学んだことを再確認、再認識したいという形で、「学ぶ姿勢」を強く持って参加している様子が見て取れた。セミナー外でも、特に品川郡山市長をはじめとした郡山市の職員の方々は震災後相当の勉強量を積んでいると感じた。市長は「無知よりも知ってるつもりがおそろしい」と前面に掲げている。これはTwitter<sup>※1</sup>やarukuの記事<sup>※2</sup>にも投稿・寄稿しており、市民全体が基礎から徹底して知識を積むことが重要だと市長の言葉を通して再認識させられた。実際、セミナーに訪れた市民などは、訪れる時点である程度基礎知識があるが、訪れた人は人口からすればほんの一握りであり、全体が基礎知識を充分に積めていない。専門家が直接的に全体に指導できない状況と現時点では言い直すことが可能で、専門家から直接学んだ今回の数十人が、周囲に広める活動を担うこととなるが、その方々に専門家がどれだけ噛み砕いてわかりやすい言葉で伝えることができるか、にかなり重点を置くべきだと感じた。そしてそれは長期的な活動を視野にすると、学生のような若者が、専門家と住民をつなぐ橋渡しの存在となるべきだとも感じた。</p> <p>2, 子どもの理科教育</p> <p style="padding-left: 30px;">5日は小学生低学年を中心に、6,7日は未就学児童に対して実験教室を行った。実験内容としては浮沈子、スライム、フィルムケース爆弾と視覚・聴覚・触覚に楽しいものを中心に、他にはCD分光器の紹介を行った。3日間とも2時間という時間で行われたために、集中力が保たず、最後まで実験してくれた子は少なかったが、最初の1時間強は目の前の不思議な現象に驚き、「なんで?」や、「すごい」などと驚きを隠せない様子で、いわゆる科学パフォーマンスをした大学生2人とこれらの現象にかなりの関心を抱いたようで、かなり懐いてくれた。この出来事は学びの場で起こったと言えないかもしれないが、この科学現象を見たという経験をしたことが、実際に小中学校で理科を勉強したときに思い出す形で活きてくれれば幸いである。伊達市での実験教室後に中年の男性に話しかけられ、「子どもたちにどんどんこんな体験をさせてやってほしい。そこから理科を勉強してくれるようになったら嬉しい」と、これからの放射線学習に積極的に取り組める地盤づくりに期待を寄せていることを伝えてくれたときは、まずはこういった科学現象を体験してもらうということの重要性を改めて理解した。これにより継続して行っている親子理科実験教室の活動にもさらに一層身が入るようになった。</p> <p style="padding-left: 30px;">しかし今回子どもたちにこういった経験をさせることができたのは、やはり保護者、そしてそれに準ずる大人が連れてきたからこそだとも思う。今学ばねばならないのは短い期間で見ると大人がその中心になるが、汚染物質を含む土が詰められた大量の黒いビニル袋がまだまだ道路横にあったり、一時保管場所が増設されている現場を見て、まだまだ長く除染、大きく見ると復興と向き合っていかないといけないと強く感じ、次の世代が学べる、学びたくなる環境をもっと整備していかなければならないと思い、これからも次の世代を育てる方面で、理科教育に携わろうと決意した。</p> <p style="padding-left: 30px;">勉強だけではいけないとも最終日に感じた。ちびっこうねめ祭りでは我々の活動以外で放射線の文字を見ることは全くなく、祭りに興じる郡山市民を見た。市民の先頭に立って学ぶ品川郡山市長を前日に見ているからか、学ぶときは学ぶ、遊ぶときはとことん遊ぶ、メリハリをつけて生活をすることは心の豊かさにつながると常々思っているので、ハンドマッサージを通して提供した心のケアからはじめるセミナーと大きな共通点があるように思えた。</p> <p>※1  <a href="https://twitter.com/kooriyamasato/status/241703611720151040" target="_blank">https://twitter.com/kooriyamasato/status/241703611720151040</a><br />※2 <a href="http://www.arukunet.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a32620d51d6a7f5e6a5e6b386bf7248.pdf" target="_blank">http://www.arukunet.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a32620d51d6a7f5e6a5e6b386bf7248.pdf</a></p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 4 2014-09-25T12:08:04+09:00 2014-09-25T12:08:04+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1099-wfp2014-report4.html 角山雄一 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span><strong>「TEAM 若者力」活動レポート</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>~福島県支援活動を介した実践的な放射線高等教育の試み~</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学環境安全保健機構・放射性同位元素総合センター 助教 角山雄一</p> <p>東京電力福島第一原子力発電所の事故直後、全国の多くの市民が不安や混乱に見舞われた。当時は(あるいはもしかしたら現在も)、市民の大半が放射線についての科学的知識をほとんど持ち合わせていない状況であり、その背景には30年以上もの長い期間にわたる学校での放射線科学教育の不在がある。この市民の中には、小中学校や高等学校の教諭らも含まれている。<br />このような事態を受け、現在我国では急速に放射線教育の拡充が図られつつある。また、2012年度には文部科学省学習指導要領が改訂され、中学校と高等学校では理科分野で、小学校では総合教育の場で放射線を取りあげることが可能となった。このことも、現在放射線教育を推進する理由となっている。尚、学習指導要領改訂の経緯は東日本大震災や原発事故とは無関係である。しかしながら、実際の教育現場では課題が山積している。目下最大の問題は、人材不足、である。現状として学校では、放射線についての科学的な知識を適切に解説できる人員が圧倒的に不足している。その結果、各学校からの依頼により放射線基礎知識についての出前授業を行ったり、学校教員や保護者向けのセミナーの講師を務めたりなど、放射線についての専門知識を有する大学教員などの専門家が学校教育現場などに赴く機会が震災後急激に増加した。大学人や研究者が社会の要請に応えるのは当然であるが、私を含めて大多数の専門家は、研究室などに隠って地道な作業に没頭しているのが本来の姿であって、残念ながら小中高の児童や生徒の前で話をする技術や経験には乏しい。したがって、その活動にも自ずと限界がある。<br />このような問題を解決するための具体的な方策として、例えば昨年度来、文科省は(正確には文部科学省委託事業)、幼稚園・小学校・中学校・高等学校・特別支援学校・都道府県及び市区町村教育委員会及び理科を中心とする教育研究会の教職員を対象とした「正しく理解する放射線教職員セミナー」を全国各地で開催してきた。まずは、放射線の基礎中の基礎だけでも学校教諭たちに知ってもらおうという取り組みである。しかしながら、関係各所が地道な努力を続けてはいるものの、恒常的な人材育成プログラムのようなものではない。急に放射線について理科で取りあげよ、となって困ってしまった現場教諭たちをなんとか助けよう、という応急措置的な側面が強い。<br />このような理科教諭の養成セミナーはもちろん重要な取り組みであるが、将来的に放射線教育に自信をもって臨めるような人材、すなわち放射線教育を担う次世代の若者、を育成するプログラムも欠かせないのではないだろうか。</p> <p>と、だいぶ前置きが長くなってしまったが、このような理想に向けて「まずはその一歩を…。」という個人的な切なる願いを、今回の活動で実現させていただける運びとなった。この夏の坂東、宇野、鳥居(敬称略)それに私の4名で実施する福島支援活動に、是非とも未来ある若者たちを同行させよう!ということになった。</p> <p>大人たちの行った事柄については他の先生方によるレポートにお任せするとして、ここでは若者たちが今回行ったことについて、以下今後の課題を含めて報告する。</p> <p>1)同行学生の募集</p> <p style="padding-left: 30px;">7月初旬、まずは参加者の募集と選定から始めることになった。幸いなことに、NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」には科学教育に対して意欲溢れる若者が多数集結している。坂東さんの方から彼らに声をかけていただいたところ、京都大学理学部の学生1名(間浦君)と修士課程院生1名(新宅君)の両名が快く参加を表明してくれた。募集期間が1ヶ月足らずで、法人関係者以外への告知が十分でなかった中で、両名が早々に参加を決意してくれたことは本当に有り難いことであった。今後、もしこのような取り組みを行うことが許されるのであれば、告知方法や募集期間等については改善すべきであろう。</p> <p>2)事前教育</p> <p style="padding-left: 30px;">若者たちの参加に際しては、ただの物見遊山の気分では困る。あらかじめ放射線に関するイロハやリスク概念などについて習熟しているのはもちろんのこと、なによりも福島県の方々や現地の実情と向き合う姿勢が求められた。若者たちには放射線に関する様々な知識と、福島県についてある程度の予備知識を持っておいてもらう必要があった。ところが、まったく幸運なことに、参加した両名は大学あるいは研究室の教育過程において、放射線障害防止法に基づく新規教育訓練(放射線取扱業務従事者になるための講義や実習、健康診断)を既に済ませているとのことであった。放射線に関する物理学・化学・生物学の基礎知識や、放射線が人体に及ぼす影響、放射性物質や放射線の安全取り扱い、関係法令など、様々な分野の基礎知識を彼らは既に学んでくれていたのである。ということで、彼らに不足していたのはより実践的な放射線測定技術と、福島の現状についての知識くらいであった。7月19日午後、京都大学放射性同位元素総合センターに於いて、福島で使用予定の測定機器類について、その使用方法や特性を学んでもらった。また、福島の汚染土壌を用いた実測体験や、以前私が行った福島視察に関する資料の紹介などもあわせて実施した。<br />今回は、たまたま1回だけの半日講習で事足りたが、もしも募集の幅を広げるのであれば、障害防止法の新規教育訓練に相当する講義や実習を事前に行う手間と十分な日程を考慮する必要がある。また、今回のように帰還困難区域に立ち入るのであれば、健康診断がどこまで要求されるのかなど、法律上あるいは学生個人の安全管理上の事柄についてもう少し丁寧に議論や検討を行うことも大切だろう。</p> <p>3)子どもサイエンスコーナーのお兄さん、そして福島県民との交流</p> <p style="padding-left: 30px;">伊達市に到着した初日午後から、早速若者たちの活躍が始まった。私たちが大人相手に講義をしている傍らで、彼らは10人近い幼児や小学生児童を相手に、スライム作りや不沈子の作成など、おなじみのネタを手際よく次々と披露していた。もともとある程度の経験があったせいか、子供たちを前にした時の彼らの手腕はなかなかのもの。それがさらに、翌日の南相馬、翌々日の郡山、と場数を踏む度にどんどんこなれていく様はまことに見ていて頼もしい限りであった。おかげで、集まってくださった現地のお母様方や保育士の皆さんに対して、子供たちに邪魔されることなく、安心してハンドマッサージやセミナーなどを展開することができた。<br />さて、彼らに課せられた重要なミッションがもう一つある。それは、可能な限り現地の方々の生の声を聴くこと。ネットやマスコミや図書といった、いわゆる媒体を介してなどでは決して知ることができない福島県被災地の現状を自身の肌で感じること。しかしこのミッションも想像以上に達成されたと思われる。これについては、私たち一行を支えて下さった現地の皆様に、厚く御礼申し上げたい。とくに南相馬市や郡山市では生の声をたくさん伺う事ができた。福島の旨いものをいただくこともできた。若者たちだけでなく、大人たちもいろいろと勉強させていただいた。今回体験したことは、若者たちにとってはもちろんのこと、私にとっても生涯の貴重な財産となるであろう。<br />後日、郡山にて夕食に同席して下さった品川萬里郡山市長より暑中見舞いを頂戴した。そこには自筆で「チーム郡山を京大で作ってほしい。」旨が記してあった。私には大きな宿題が課せられた形である。</p> <p style="padding-left: 30px;">4)帰還困難区域の視察</p> <p style="padding-left: 30px;">そもそも今回の福島支援活動は、郡山のお祭り「ちびっこうねめ祭り(うねめ祭りの前夜祭にあたる)」で公開セミナーをやろうということが事の発端であった。そこに伊達市や南相馬市の日程が追加されていった。そのような経緯の中、せっかく若者たちを同行させるのであるから、帰還困難区域の現状も知ってほしいと私は考えた。いくつかの自治体にお願いしたところ、浪江町が快く引き受けてくださった。もちろん学生たちをただ連れて行くわけにはいかないので、私の研究(精密測定のためのサンプリング)の補助ということで立ち入り許可を取得した。一方で、私の手伝いとするはめになった若者たちには「旧DASH村の近くに連れて行ってあげる。」と伝えた。どうやらこの一言は、彼らのモチベーションをアップするための好材料の一つとなったようだ。<br />当日は、南相馬市沿岸部から国道6号線沿いに浪江町まで南下し、そこから北西の内陸方面へと向かった。途中、E テレで有名になった赤宇木地区の集会所に立ち寄り、さらに旧DASH の閉ざされた門の前に辿り着いた。帰途には、再び6号線までもどり、双葉町を抜け、大熊町で東電第一原発の敷地付近を通過した。浪江町における実測値(HORIBA Radi PA-1100)は、旧DASH村の敷地入り口付近で4~5μSv/h、道中では10Sv/h近いところもあった(京都では0.06~0.09μSv/h)。</p> <p>5)レポートの提出</p> <p style="padding-left: 30px;">帰京後、間浦君と新宅君にはレポートを提出してもらった。彼らが現地でどう感じたのか、あるいは何を学んだのかについては、彼らのレポートをご覧いただきたい。</p> <p>以上が、今回の若者に関する活動の全てである。<br />将来を担う若者たちに必要なのは、従来のようなステレオタイプな放射線教育(例えばかつての原発安全神話に安座した形のエネルギー教育など)ではなく、より多角的に社会や科学技術に潜在するリスクを比較考察できる人材の育<br />成を目的とした学習方法であると信ずる。<br />こと放射線については、原発事故という大きな社会的教訓を得たのであるから、これを避けて通っていては放射線を「正しく理解する」ことには至らないのではないだろうか。これからの人材には、放射線についての様々な科学知識を身につけていることに加えて、被災地や我国の様々な問題について多角的な視野で議論が行えることが求められている。今回、たった二名だけの少数精鋭の試みではあったが、より実践的な学びの場を提供することができたものと考えている。<br />最後に、このような機会を提供してくださった坂東会長、宇野先生ならびに関係各位に深く感謝申し上げます。</p> <p> </p> <table border="0" align="center"> <tbody> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-1.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> <td style="width: 10px;"> </td> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-2.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">郡山市湖南町自然体験保育園「ココカラ」での一コマ</td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="height: 30px; text-align: center;">伊達市にて到着早々に頂戴した地元産の美味しい桃</td> </tr> <tr> <td> </td> <td style="width: 10px;"> </td> <td> </td> </tr> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-3.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> <td style="width: 10px;"> </td> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-4.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">浪江町旧DASH 村入口の門前に立つ新宅君と間浦君</td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="height: 30px; text-align: center;">スクリーニング会場で検査を受ける新宅君</td> </tr> <tr> <td style="text-align: center;"> </td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="text-align: center;"> </td> </tr> </tbody> </table> <table border="0" align="center"> <tbody> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-5.jpg" border="0" width="400" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">走行車内における走行モニタリング結果(HORIBA Radi PA-1100)<br />全走行距離は三日間で480km</td> </tr> </tbody> </table></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span><strong>「TEAM 若者力」活動レポート</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>~福島県支援活動を介した実践的な放射線高等教育の試み~</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都大学環境安全保健機構・放射性同位元素総合センター 助教 角山雄一</p> <p>東京電力福島第一原子力発電所の事故直後、全国の多くの市民が不安や混乱に見舞われた。当時は(あるいはもしかしたら現在も)、市民の大半が放射線についての科学的知識をほとんど持ち合わせていない状況であり、その背景には30年以上もの長い期間にわたる学校での放射線科学教育の不在がある。この市民の中には、小中学校や高等学校の教諭らも含まれている。<br />このような事態を受け、現在我国では急速に放射線教育の拡充が図られつつある。また、2012年度には文部科学省学習指導要領が改訂され、中学校と高等学校では理科分野で、小学校では総合教育の場で放射線を取りあげることが可能となった。このことも、現在放射線教育を推進する理由となっている。尚、学習指導要領改訂の経緯は東日本大震災や原発事故とは無関係である。しかしながら、実際の教育現場では課題が山積している。目下最大の問題は、人材不足、である。現状として学校では、放射線についての科学的な知識を適切に解説できる人員が圧倒的に不足している。その結果、各学校からの依頼により放射線基礎知識についての出前授業を行ったり、学校教員や保護者向けのセミナーの講師を務めたりなど、放射線についての専門知識を有する大学教員などの専門家が学校教育現場などに赴く機会が震災後急激に増加した。大学人や研究者が社会の要請に応えるのは当然であるが、私を含めて大多数の専門家は、研究室などに隠って地道な作業に没頭しているのが本来の姿であって、残念ながら小中高の児童や生徒の前で話をする技術や経験には乏しい。したがって、その活動にも自ずと限界がある。<br />このような問題を解決するための具体的な方策として、例えば昨年度来、文科省は(正確には文部科学省委託事業)、幼稚園・小学校・中学校・高等学校・特別支援学校・都道府県及び市区町村教育委員会及び理科を中心とする教育研究会の教職員を対象とした「正しく理解する放射線教職員セミナー」を全国各地で開催してきた。まずは、放射線の基礎中の基礎だけでも学校教諭たちに知ってもらおうという取り組みである。しかしながら、関係各所が地道な努力を続けてはいるものの、恒常的な人材育成プログラムのようなものではない。急に放射線について理科で取りあげよ、となって困ってしまった現場教諭たちをなんとか助けよう、という応急措置的な側面が強い。<br />このような理科教諭の養成セミナーはもちろん重要な取り組みであるが、将来的に放射線教育に自信をもって臨めるような人材、すなわち放射線教育を担う次世代の若者、を育成するプログラムも欠かせないのではないだろうか。</p> <p>と、だいぶ前置きが長くなってしまったが、このような理想に向けて「まずはその一歩を…。」という個人的な切なる願いを、今回の活動で実現させていただける運びとなった。この夏の坂東、宇野、鳥居(敬称略)それに私の4名で実施する福島支援活動に、是非とも未来ある若者たちを同行させよう!ということになった。</p> <p>大人たちの行った事柄については他の先生方によるレポートにお任せするとして、ここでは若者たちが今回行ったことについて、以下今後の課題を含めて報告する。</p> <p>1)同行学生の募集</p> <p style="padding-left: 30px;">7月初旬、まずは参加者の募集と選定から始めることになった。幸いなことに、NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」には科学教育に対して意欲溢れる若者が多数集結している。坂東さんの方から彼らに声をかけていただいたところ、京都大学理学部の学生1名(間浦君)と修士課程院生1名(新宅君)の両名が快く参加を表明してくれた。募集期間が1ヶ月足らずで、法人関係者以外への告知が十分でなかった中で、両名が早々に参加を決意してくれたことは本当に有り難いことであった。今後、もしこのような取り組みを行うことが許されるのであれば、告知方法や募集期間等については改善すべきであろう。</p> <p>2)事前教育</p> <p style="padding-left: 30px;">若者たちの参加に際しては、ただの物見遊山の気分では困る。あらかじめ放射線に関するイロハやリスク概念などについて習熟しているのはもちろんのこと、なによりも福島県の方々や現地の実情と向き合う姿勢が求められた。若者たちには放射線に関する様々な知識と、福島県についてある程度の予備知識を持っておいてもらう必要があった。ところが、まったく幸運なことに、参加した両名は大学あるいは研究室の教育過程において、放射線障害防止法に基づく新規教育訓練(放射線取扱業務従事者になるための講義や実習、健康診断)を既に済ませているとのことであった。放射線に関する物理学・化学・生物学の基礎知識や、放射線が人体に及ぼす影響、放射性物質や放射線の安全取り扱い、関係法令など、様々な分野の基礎知識を彼らは既に学んでくれていたのである。ということで、彼らに不足していたのはより実践的な放射線測定技術と、福島の現状についての知識くらいであった。7月19日午後、京都大学放射性同位元素総合センターに於いて、福島で使用予定の測定機器類について、その使用方法や特性を学んでもらった。また、福島の汚染土壌を用いた実測体験や、以前私が行った福島視察に関する資料の紹介などもあわせて実施した。<br />今回は、たまたま1回だけの半日講習で事足りたが、もしも募集の幅を広げるのであれば、障害防止法の新規教育訓練に相当する講義や実習を事前に行う手間と十分な日程を考慮する必要がある。また、今回のように帰還困難区域に立ち入るのであれば、健康診断がどこまで要求されるのかなど、法律上あるいは学生個人の安全管理上の事柄についてもう少し丁寧に議論や検討を行うことも大切だろう。</p> <p>3)子どもサイエンスコーナーのお兄さん、そして福島県民との交流</p> <p style="padding-left: 30px;">伊達市に到着した初日午後から、早速若者たちの活躍が始まった。私たちが大人相手に講義をしている傍らで、彼らは10人近い幼児や小学生児童を相手に、スライム作りや不沈子の作成など、おなじみのネタを手際よく次々と披露していた。もともとある程度の経験があったせいか、子供たちを前にした時の彼らの手腕はなかなかのもの。それがさらに、翌日の南相馬、翌々日の郡山、と場数を踏む度にどんどんこなれていく様はまことに見ていて頼もしい限りであった。おかげで、集まってくださった現地のお母様方や保育士の皆さんに対して、子供たちに邪魔されることなく、安心してハンドマッサージやセミナーなどを展開することができた。<br />さて、彼らに課せられた重要なミッションがもう一つある。それは、可能な限り現地の方々の生の声を聴くこと。ネットやマスコミや図書といった、いわゆる媒体を介してなどでは決して知ることができない福島県被災地の現状を自身の肌で感じること。しかしこのミッションも想像以上に達成されたと思われる。これについては、私たち一行を支えて下さった現地の皆様に、厚く御礼申し上げたい。とくに南相馬市や郡山市では生の声をたくさん伺う事ができた。福島の旨いものをいただくこともできた。若者たちだけでなく、大人たちもいろいろと勉強させていただいた。今回体験したことは、若者たちにとってはもちろんのこと、私にとっても生涯の貴重な財産となるであろう。<br />後日、郡山にて夕食に同席して下さった品川萬里郡山市長より暑中見舞いを頂戴した。そこには自筆で「チーム郡山を京大で作ってほしい。」旨が記してあった。私には大きな宿題が課せられた形である。</p> <p style="padding-left: 30px;">4)帰還困難区域の視察</p> <p style="padding-left: 30px;">そもそも今回の福島支援活動は、郡山のお祭り「ちびっこうねめ祭り(うねめ祭りの前夜祭にあたる)」で公開セミナーをやろうということが事の発端であった。そこに伊達市や南相馬市の日程が追加されていった。そのような経緯の中、せっかく若者たちを同行させるのであるから、帰還困難区域の現状も知ってほしいと私は考えた。いくつかの自治体にお願いしたところ、浪江町が快く引き受けてくださった。もちろん学生たちをただ連れて行くわけにはいかないので、私の研究(精密測定のためのサンプリング)の補助ということで立ち入り許可を取得した。一方で、私の手伝いとするはめになった若者たちには「旧DASH村の近くに連れて行ってあげる。」と伝えた。どうやらこの一言は、彼らのモチベーションをアップするための好材料の一つとなったようだ。<br />当日は、南相馬市沿岸部から国道6号線沿いに浪江町まで南下し、そこから北西の内陸方面へと向かった。途中、E テレで有名になった赤宇木地区の集会所に立ち寄り、さらに旧DASH の閉ざされた門の前に辿り着いた。帰途には、再び6号線までもどり、双葉町を抜け、大熊町で東電第一原発の敷地付近を通過した。浪江町における実測値(HORIBA Radi PA-1100)は、旧DASH村の敷地入り口付近で4~5μSv/h、道中では10Sv/h近いところもあった(京都では0.06~0.09μSv/h)。</p> <p>5)レポートの提出</p> <p style="padding-left: 30px;">帰京後、間浦君と新宅君にはレポートを提出してもらった。彼らが現地でどう感じたのか、あるいは何を学んだのかについては、彼らのレポートをご覧いただきたい。</p> <p>以上が、今回の若者に関する活動の全てである。<br />将来を担う若者たちに必要なのは、従来のようなステレオタイプな放射線教育(例えばかつての原発安全神話に安座した形のエネルギー教育など)ではなく、より多角的に社会や科学技術に潜在するリスクを比較考察できる人材の育<br />成を目的とした学習方法であると信ずる。<br />こと放射線については、原発事故という大きな社会的教訓を得たのであるから、これを避けて通っていては放射線を「正しく理解する」ことには至らないのではないだろうか。これからの人材には、放射線についての様々な科学知識を身につけていることに加えて、被災地や我国の様々な問題について多角的な視野で議論が行えることが求められている。今回、たった二名だけの少数精鋭の試みではあったが、より実践的な学びの場を提供することができたものと考えている。<br />最後に、このような機会を提供してくださった坂東会長、宇野先生ならびに関係各位に深く感謝申し上げます。</p> <p> </p> <table border="0" align="center"> <tbody> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-1.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> <td style="width: 10px;"> </td> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-2.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">郡山市湖南町自然体験保育園「ココカラ」での一コマ</td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="height: 30px; text-align: center;">伊達市にて到着早々に頂戴した地元産の美味しい桃</td> </tr> <tr> <td> </td> <td style="width: 10px;"> </td> <td> </td> </tr> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-3.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> <td style="width: 10px;"> </td> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-4.jpg" border="0" width="320" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">浪江町旧DASH 村入口の門前に立つ新宅君と間浦君</td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="height: 30px; text-align: center;">スクリーニング会場で検査を受ける新宅君</td> </tr> <tr> <td style="text-align: center;"> </td> <td style="width: 10px;"> </td> <td style="text-align: center;"> </td> </tr> </tbody> </table> <table border="0" align="center"> <tbody> <tr> <td><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report4-5.jpg" border="0" width="400" style="border: 0px;" /></td> </tr> <tr> <td style="height: 30px; text-align: center;">走行車内における走行モニタリング結果(HORIBA Radi PA-1100)<br />全走行距離は三日間で480km</td> </tr> </tbody> </table></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 3 2014-09-25T12:04:21+09:00 2014-09-25T12:04:21+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1098-wfp2014-report3.html 鳥居寛之 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>チームあいんしゅたいん 福島企画 '14/08 報告書</strong></span></p> <p style="text-align: right;">鳥居寛之 2014/9/17</p> <p>私にとっては、福島県の住民と現地で直接対話する初めての機会となった。また、5月にも東電福島第一原発を視察しているが、その折には自由に見学できなかった避難指示区域を自分たちで巡る体験もできた。</p> <p>大人数への講義形式の講演会とは違って、膝を突き合わせた対話型の集会では、相手の心の中の不安や知りたいと求めていることがらを知った上で直接的に話ができるので、皆さんよく納得してもらえるし、そのことをこちらも手応えとして感じることができることが実感として体験できた。</p> <p>お母さん方や保育士の方々が、ここに住むと決めたからには大丈夫だと自分に言い聞かせているというものの、本当のところでは不安を心の奥に抱えていたことを知って、胸が痛んだ。放射線のリスクをじっくり解説することによって、安堵の顔を浮かべながら納得してもらえたことは私としても嬉しいことだった。</p> <p>対話の導入としてのマッサージは女性相手にはとても有効だった。宇野先生の講義と坂東先生のツッコミは絶妙で、角山先生の実践的な演示が説得力を持っていた。学生さんたちの科学実験も子どもたちに大好評で、お母さん方が安心して講演会に集中する環境を提供できていた。</p> <p>何万人という市民のなかで、たまたま出会えた、また興味をもってわざわざ聞きに来てくれたわずか数十人の人々だけが相手だったとはいえ、意義深い集会ができたという達成感を感じている。彼らを核にして、口コミでその納得感を周囲の人々にも伝えていってもらえることを期待したい。</p> <p>そもそも皆さんは、リスクを感じつつも、そこで生活することを決めたからには、ある程度のリスクを受け入れることを覚悟の上で住んでおられるわけで、遠く離れた人が理想論的にリスクゼロを求めるのとは違うリアリティーがあった。南相馬である一人のお母さんが、いわき市に住む自分の母親のところに通うのに、現在のように迂回ルートで行くのは時間がかかるから、早く常磐道が通れるようになってほしいと発言したのはちょっとした驚きであった。(ただし、子どもを連れてドライブしたいかどうかは別かもしれない。)リスクを気にしつつも、生活上の不便さとバランスしながら生きて行く必要があるのだろう。この方は、既にかなりの知識をもっていたように思われた。講演会には知識を求めに来たのではなく、放射線のリスクは十分低いと知りつつも、専門家に直接相談することで、自分自身が納得して安心できるよう、太鼓判を押してもらうことを求めていたのだと思えた。</p> <p>現地では市役所、商工会議所、保育所・小学校関係者の皆さんにいろいろお世話になり、現地の状況を聞いたりいろいろ議論したりといい機会になった。伊達の桃と南相馬の手料理の夕食はうまかった(現地の豊かな山菜や海の幸が使えないのも環境汚染の罪深さ)。福島でいろいろ活動されている人同士が知り合いとして繋がっていることも感じた。南相馬市立総合病院で活躍されている東大医科研の坪倉医師のことを、同病院から伊達での集会にいらしていた医師の先生が「今朝も会って来た」とおっしゃったのはむしろ当然としても、郡山市の品川市長もご存知で、「郡山の病院にも応援に来て欲しい」とか「農学部の研究を広く公表して欲しい」などと東大に対する注文も頂いた。放射線に関して、市長も驚くほどよく勉強されていることに感服した。</p> <p>放射線のリスクコミュニケーションに関して今野園長先生や河内さんとの会話から分かったこととして特筆すべきは、武田中部大教授や児玉東大アイソトープ総合センター長が、現地福島県では不安を煽ることなく、ここにいて安全だという旨の発言をしていたということである。後者の方の国会答弁では、政府の対応を正すという熱血的な使命感によるパフォーマンスがあったのかもしれないが、リスコミにおいて考えるべき課題である。他にも、今野さんとの会話では、途中で30kmの区域を測る基準が東電の敷地境界から原発中心に移されるという変更があって自分の家が外れたとか、全町で避難した双葉や大熊と違って、南相馬では警戒区域、計画的避難区域、そして自分たちのように補償の内容が違う域外の住民と3つに分断された結果、住民がひとつになれないとか、高額の補償金を手にしてしまった人の中には、人生の生き甲斐を見失ってしまった方も見受けられる、といった話が印象的だった。</p> <p>都会に住む者にとって、田舎の古き良き伝統的な生活スタイルはちょっとした懐かしい体験であった。その日は折しもこの夏一番の暑さで、自然の風涼しというわけにはいかなかったが、普段からクーラーに頼り切っている生活を顧みることとなる。翌日立ち寄った郡山布引高原風力発電所の見学と合わせ、期せずしてエネルギー問題を考える機会ともなった。</p> <p>行程の途中で、避難指示区域に立ち入り調査ができたことは、いい経験であった。アレンジしてくれた角山さんに感謝したい。ゲートを通らないと一時帰宅できない住民の思い、人影のない町中、作付けされず荒れ果てた田畑、至る所に広がる汚染土の仮置き場。そうでなければ田舎のきれいな山里(ただし蜂やブヨは勘弁)であったはずの失われた土地と、とても全部は除染できようもない広大な面積の森林。原発事故による放射性物質の環境汚染が広大な地域を人々から一瞬で奪うことを感じた。ダッシュ村は知らなかったが、NHKの汚染地図の番組で有名な浪江町赤宇木の集会所(現在 7μSv/h)に行けたことは感慨深かった。</p> <p>なお、行程中の空間線量は最も高かった大熊町夫沢(福島第一原発周辺)でも12μSv/h程度であったが、東大で一緒に放射線テーマ講義をしている環境分析化学の小豆川氏によると、それは道路沿いだからであって、田畑の中に入って行けば、今でも50μSv/hを超えるような地点はいくらでも見つかるとのことであった。(ただ、そのような調査がしたければ、朝から夕方まで丸1日使って、かつ対象地域を双葉や大熊に限って徹底的に調査をする必要があるとのこと。)福島第一原発視察のときも、視察バス中で観測した 100μSv/h を超える最大線量の地点が、草が生えたままの坂の途中であったことを考えても、原発周辺地域の、汚染土壌や汚染された草木がそのまま残っている土地で線量が高いことを物語っている。</p> <p style="text-align: right;">以上</p></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>チームあいんしゅたいん 福島企画 '14/08 報告書</strong></span></p> <p style="text-align: right;">鳥居寛之 2014/9/17</p> <p>私にとっては、福島県の住民と現地で直接対話する初めての機会となった。また、5月にも東電福島第一原発を視察しているが、その折には自由に見学できなかった避難指示区域を自分たちで巡る体験もできた。</p> <p>大人数への講義形式の講演会とは違って、膝を突き合わせた対話型の集会では、相手の心の中の不安や知りたいと求めていることがらを知った上で直接的に話ができるので、皆さんよく納得してもらえるし、そのことをこちらも手応えとして感じることができることが実感として体験できた。</p> <p>お母さん方や保育士の方々が、ここに住むと決めたからには大丈夫だと自分に言い聞かせているというものの、本当のところでは不安を心の奥に抱えていたことを知って、胸が痛んだ。放射線のリスクをじっくり解説することによって、安堵の顔を浮かべながら納得してもらえたことは私としても嬉しいことだった。</p> <p>対話の導入としてのマッサージは女性相手にはとても有効だった。宇野先生の講義と坂東先生のツッコミは絶妙で、角山先生の実践的な演示が説得力を持っていた。学生さんたちの科学実験も子どもたちに大好評で、お母さん方が安心して講演会に集中する環境を提供できていた。</p> <p>何万人という市民のなかで、たまたま出会えた、また興味をもってわざわざ聞きに来てくれたわずか数十人の人々だけが相手だったとはいえ、意義深い集会ができたという達成感を感じている。彼らを核にして、口コミでその納得感を周囲の人々にも伝えていってもらえることを期待したい。</p> <p>そもそも皆さんは、リスクを感じつつも、そこで生活することを決めたからには、ある程度のリスクを受け入れることを覚悟の上で住んでおられるわけで、遠く離れた人が理想論的にリスクゼロを求めるのとは違うリアリティーがあった。南相馬である一人のお母さんが、いわき市に住む自分の母親のところに通うのに、現在のように迂回ルートで行くのは時間がかかるから、早く常磐道が通れるようになってほしいと発言したのはちょっとした驚きであった。(ただし、子どもを連れてドライブしたいかどうかは別かもしれない。)リスクを気にしつつも、生活上の不便さとバランスしながら生きて行く必要があるのだろう。この方は、既にかなりの知識をもっていたように思われた。講演会には知識を求めに来たのではなく、放射線のリスクは十分低いと知りつつも、専門家に直接相談することで、自分自身が納得して安心できるよう、太鼓判を押してもらうことを求めていたのだと思えた。</p> <p>現地では市役所、商工会議所、保育所・小学校関係者の皆さんにいろいろお世話になり、現地の状況を聞いたりいろいろ議論したりといい機会になった。伊達の桃と南相馬の手料理の夕食はうまかった(現地の豊かな山菜や海の幸が使えないのも環境汚染の罪深さ)。福島でいろいろ活動されている人同士が知り合いとして繋がっていることも感じた。南相馬市立総合病院で活躍されている東大医科研の坪倉医師のことを、同病院から伊達での集会にいらしていた医師の先生が「今朝も会って来た」とおっしゃったのはむしろ当然としても、郡山市の品川市長もご存知で、「郡山の病院にも応援に来て欲しい」とか「農学部の研究を広く公表して欲しい」などと東大に対する注文も頂いた。放射線に関して、市長も驚くほどよく勉強されていることに感服した。</p> <p>放射線のリスクコミュニケーションに関して今野園長先生や河内さんとの会話から分かったこととして特筆すべきは、武田中部大教授や児玉東大アイソトープ総合センター長が、現地福島県では不安を煽ることなく、ここにいて安全だという旨の発言をしていたということである。後者の方の国会答弁では、政府の対応を正すという熱血的な使命感によるパフォーマンスがあったのかもしれないが、リスコミにおいて考えるべき課題である。他にも、今野さんとの会話では、途中で30kmの区域を測る基準が東電の敷地境界から原発中心に移されるという変更があって自分の家が外れたとか、全町で避難した双葉や大熊と違って、南相馬では警戒区域、計画的避難区域、そして自分たちのように補償の内容が違う域外の住民と3つに分断された結果、住民がひとつになれないとか、高額の補償金を手にしてしまった人の中には、人生の生き甲斐を見失ってしまった方も見受けられる、といった話が印象的だった。</p> <p>都会に住む者にとって、田舎の古き良き伝統的な生活スタイルはちょっとした懐かしい体験であった。その日は折しもこの夏一番の暑さで、自然の風涼しというわけにはいかなかったが、普段からクーラーに頼り切っている生活を顧みることとなる。翌日立ち寄った郡山布引高原風力発電所の見学と合わせ、期せずしてエネルギー問題を考える機会ともなった。</p> <p>行程の途中で、避難指示区域に立ち入り調査ができたことは、いい経験であった。アレンジしてくれた角山さんに感謝したい。ゲートを通らないと一時帰宅できない住民の思い、人影のない町中、作付けされず荒れ果てた田畑、至る所に広がる汚染土の仮置き場。そうでなければ田舎のきれいな山里(ただし蜂やブヨは勘弁)であったはずの失われた土地と、とても全部は除染できようもない広大な面積の森林。原発事故による放射性物質の環境汚染が広大な地域を人々から一瞬で奪うことを感じた。ダッシュ村は知らなかったが、NHKの汚染地図の番組で有名な浪江町赤宇木の集会所(現在 7μSv/h)に行けたことは感慨深かった。</p> <p>なお、行程中の空間線量は最も高かった大熊町夫沢(福島第一原発周辺)でも12μSv/h程度であったが、東大で一緒に放射線テーマ講義をしている環境分析化学の小豆川氏によると、それは道路沿いだからであって、田畑の中に入って行けば、今でも50μSv/hを超えるような地点はいくらでも見つかるとのことであった。(ただ、そのような調査がしたければ、朝から夕方まで丸1日使って、かつ対象地域を双葉や大熊に限って徹底的に調査をする必要があるとのこと。)福島第一原発視察のときも、視察バス中で観測した 100μSv/h を超える最大線量の地点が、草が生えたままの坂の途中であったことを考えても、原発周辺地域の、汚染土壌や汚染された草木がそのまま残っている土地で線量が高いことを物語っている。</p> <p style="text-align: right;">以上</p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 2 2014-09-25T12:02:09+09:00 2014-09-25T12:02:09+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1097-wfp2014-report2.html 坂東昌子 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">報告:坂東昌子</p> <p><strong>1.福島どうでしょう</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">厳しい現実の中で、子供たちと向き合い守り育てようと献身的に働いておられる女性たち、その周りのお母様方、そしてそれを支える逞しい男衆、そういう方々との出会いは、実を言うと私の疑問に思っていたことの、正しい答えをしっかりと示してくださった。</p> <p style="padding-left: 24px;">今回の福島訪問は、いわば宇野さんがここ3年間、何回も、何十回も色々な方と交流し話し合われた経験が基礎になっている。その様子は、宇野さんから、いつも、間接的には伺っていた。今回は、その福島の状況に、私自身が向き合う機会となった。</p> <p style="padding-left: 24px;">特に今回は、大きな会場での講演ではなく1人1人としっかり向き合って、一緒に考え、そして高め合っていくことを目標にしている。そこから、お互いに生まれるはずの信頼を、どのように培い、そしてそれを科学への信頼へと結び付けられるか、という課題に向き合ったのである。科学への信頼というのは、私たちが科学者だから、自分たちの為に、信頼してほしいと言っているのでは決してない。科学的な真実に基づかない方針は、失敗するからである。そこをしっかりわかってほしいと思っていた、自分の好みや、偏見や思い込みで判断すれば、それは間違っているのだから、必ず失敗する。大げさに言えば、このような失敗の中で、人類は少しずつ賢くなり、前が見えるようになってきたのである。この私たちの思いが、間違っていないこと、今回の膝詰の話し合いは、それを教えてくれた。</p> <p style="padding-left: 24px;">若者としてはじめて参加した京都大学の学生、間浦君と、大学院生の新宅君の活躍ぶりには、とても感動した。若者リーダーとして、この訪問のために、自ら放射線の勉強、測定器の使い方など、事前に指導してくださった角山さんも加わって、「若者力」と染めぬいたお揃いのTシャツで、素晴らしい働きぶりであった、若者たちは、角山先生に学んで、いつの間にか測定器を使いこなし、管理区域内での線量調査も、慣れた手つきで手際良く処理するプロになっていた。実験は苦手の私は、ただただ感心するばかりであった。</p> <p style="padding-left: 24px;">また、角山・鳥居のコンビとともに、放射線の解説をどのようなたとえで、どのようにお話すれば分かってもらえるか、と相談しながらの試みは、新しい工夫の機会にもなった。鳥居・角山というベテランのお二人は、すでに教科書や教育用ツールを開発しているベテランである。とはいえ、お母さまたち、女性の皆さんへの働きかけは新しい経験でもあったろう。子どもたちに分かりやすく話すことでいつも感心させられているこの角山さんと、3・11以後東大教養の授業で、放射線教育を取り入れ教科書も書かれた鳥居さんのお二人との議論から得たものは大きかった。「どうすれば、放射線をめぐるいろいろな議論を、お母さんたちにわかりやすく説明できるか」、そのための工夫を、お母さんや幼稚園の先生方の反応をみながら、改善を試みた経験から得たものは大きかった。</p> <p style="padding-left: 24px;">宇野さんは、ここ3年、福島のさまざまなかたがたと接しつつ、ネットワークを広げてこられた。今回の取り組みも、宇野さんが献身的に働き、アレンジいただいたもので、それに私はお供したようなものだ。とはいえ、免疫専門の宇野さんの主張には、どことなく、「放射線に負けない生活の工夫って、今の福島の線量でほんとに心配だからそういうの?」という気配がして、私にはもうひとつ納得がいかないところがある。宇野さんとは、放射線の影響についても、ずっと議論してきた仲間だが、最後のところで、私にはひっかかるところがあり、免疫が専門の彼女の考えとやり方には、物理専門の私が全面的に納得しているわけではない。この期間中も、このことに関して、時間さえあると何度も議論した。これも、今後に残された課題で、まだまだ整理ができていない、</p> <p style="padding-left: 24px;">これらの思いを全部整理するのは、今はまだできないので、いくつかの課題を残したままだが、「あいんしゅたいんチーム福島派遣のレポートとして、思いつくままに記録をとどめておく。</p> <p><strong>2.次の挑戦へ・・・伊達市での教訓</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">はじめてのお母様方との出会いは、たくさんの子供たちに囲まれて始まった。広い会場の片側に若者コーナー、もう一方にお母さんたちとお世話のかたがたが集まり、にぎやかな中での話し合いには、この地域のお医者さんや行政のかたがたも含めて、多彩な顔ぶれであった。</p> <p style="padding-left: 24px;">ここでの話の進め方は、2014年5月の郡山での講演の経験を踏まえたやり方を採用した。それは宇野さんが解説を行い、私はその途中でいろいろな異なった意見や疑問を投げかける形の「対話型」を基本とするもので、そこに、角山さんの測定器を持ち込んだ「実験を交えた放射線の解説」を組み合わせたものである。<br />これは、次のような経験の積み重ねから始まっている。</p> <p style="padding-left: 24px;">まず、宇野さんは福島に何度も足を運び、放射線をめぐる話をされていることは既に述べた。坂東が、それに、はじめてお供したのは、宇野さんを通じての郡山品川市長のご依頼がきっかけであった。宇野さんは、講演だけでなく、「低線量放射線を乗り越えて」を著書として出された。これが回りまわって品川市長のお目にとまり、直々に宇野さんに講演を依頼されたときくが、品川市長の女性研究者(リケジョ!)への期待と熱意が伝わる話である。宇野さんはこのとき、「それでは坂東さんと2人で会話型の講演をしたい」といわれ、私もお供することになったのであった。それが、今年(2014年)2月4日だった。女性同士だから、基本的な心根は同感することも多く、今まで、いろいろなことを一緒に取り組んできた仲間である。しかし、今回の複雑な状況の中で、宇野さんは生物、私は物理の専門、その育った学問的背景もカルチャーもかなり違う。今回の放射線の影響に関しても、ちょっと違った判断をしているところもある。宇野さんのお一人の見解だけでなく、ちょっと違った形の会話型講演は、異なった意見があることを積極的に紹介することになるのだが、それで、皆さんがどう判断されるかと少し心配していた。しかし、こういう情勢の中では、一方的な意見でなく「こういうところはちょっと違う意見もある」ということがわかることになり、みなさんのご意見の広がりのなかで受け止められるところもある。掛け合い漫才のような形で講演したのが最初であった。そのことは、皆さんの理解を深めたところもあったことを知って、ちょっと確信が持てた。そこに加わって下さったのが角山さんである。角山さんは、小学生から学校の先生まで含めて、幅広い年齢層に、放射線の解説を大変わかりやすく具体的な道具を駆使して、お話できる逸材である。それがきっかけで、この5月に今度は角山さんと3人でチームを組んで、郡山のPTAの皆さん中心の会に訪れた。このときの打ち合わせで、角山さんの放射線測定と放射線の遮蔽の実験には、品川市長に加わってもらうことを、以前に相談していた。もちろん、品川市長はそのことをご存じなかったのだ。当日予告もなく市長に「お手伝いをお願いします」といったら、市長は気軽の応じてくださった。そして、放射線の種類によって遮蔽できるものが違うことをみんなに納得してもらおうというつもりであった。市長がアルファ線を紙1枚を中に入れただけで、音が出なくなった。その時の会場の皆さんの、まさに、「あ、そうなんだ」と納得する表情が印象的だった。そうか、百聞は一見にしかずというが、みんな、放射線の種類の話とその遮蔽効果の話は、何度も聞いたり読んだりしているはずzyなのに、目の前で実験を見る機会はそうないのだ、ということが分かった。いろいろな立場のいろいろな角度からの話しのほうが、ずっと理解が広がるのなのだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">ついでだが、この品川市長、なかなかの人物で、そのとき、ポケットからハンカチを取り出し、「これは遮蔽できますか」と実験された。「いや、赤ん坊がベビー服を着ていたらどれだけ遮蔽効果があるのかなと思って」といわれる、この積極性には脱帽した。</p> <p style="padding-left: 24px;">さて、今回は、この3人チームに、さらに鳥居さんが加わった。鳥居さんは、事故後の状況のなかで、放射線に対する正しい科学的リテラシーが必要と、東京大学教養学部で、自主講義を始め、主題科目テーマ講義「放射線を科学的に理解する」を開講にこぎつけ、講義を担当。その中から、<a href="http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lecture/" target="_blank">「放射線を科学的に理解する ― 基礎からわかる東大教養の講義」</a>を仲間と出版された。このテキストは、理系一般の大学教養課程レベルであるが、基礎的な内容から説き起こしているので読みやすい。また、巻末に、よくある疑問・質問をQ&Aの形で盛り込んでいる。2012年8月に京都大学で開かれた基研の研究会<a href="nbp2012.html">「原子力・生物学と物理」</a>の放射線教育のセッションで報告いただいたときから、緊密なネットワークができ、色々な形で連携をとっている。</p> <p style="padding-left: 24px;">こんな、ベテランと一緒に話す機会はめったにない。そこでは、不正確な説明をすると、すぐに鳥居さんからのアドバイスがくる。こうしてより正確で確実な認識にグレードアップしていく。こうして4人の連携で、お互いに補い合いながら、見解の異なる意見も聞き手に伝わる。そのような話に、聞き手の皆さん、結構よくわかった、と納得してくださったのがうれしかった。</p> <p style="padding-left: 24px;">ただ、やはり、気になったのは、「同じ意見でなく、違った意見の人と一緒に話がききたい」というもの、また「本当に1Kg100ベクレルの米は大丈夫か、など、疑問です」といった、私たちだけの話では、まだ納得いかない感想があとで寄せられたところをみると、やはり、私たちは、基本的に同じ評価の上に立って話をしていることになるのかなと思わざるを得なかった。正直、私も宇野さんも、最初は極端に異なる評価をしていたのだが、しっかり徹底的に話し合い、文献をもとに戻って検討することによって、徐々に、見解が一致し、あるところまではしっかり確認できたという経験を経て、今に至っている。</p> <p style="padding-left: 24px;">この福島には、これまで、沢山の科学者や専門家と称する方々が来られて、話をされている。そして、人によって、全く異なった情報が与えられてきたのである。そのために、混乱してきた福島市民の皆さんにとっては、やはり、まだまだ私たちの間の意見の相違など、むしろ、一方的なお話に聞こえるのであろう。もっと違った意見の方と一緒に、同じ席で議論しなくては、やはり情報として不足していると感じられて当然かもしれない。できれば、そういう機会を増やすことを考えないといけないな、と思う。</p> <p style="padding-left: 24px;">そんな反応をみながら、その夜はその反省をしながら、また改善する。「分かりやすく話してくださり、よくわかった」だけではなく、私たちの思いは、ここで話を聞いた人が、今度は周りの方に説明できるような、そんな広がりが出てくるような話し合いにしていきたいという思いが大きくなった。</p> <p style="padding-left: 24px;">そして、翌日からは、方針を変えて、「まず、皆さんの疑問を話してもらうような場を作り、その疑問に沿って話をすることにしよう」ということになった。<br />そこで、順序は次のようにすることとなった。</p> <p style="padding-left: 24px;">1)まず、宇野さんのハンドマッサージでお互いに話し合える場を作る。<br />2)そこで、坂東が「どんなことを知りたいか。心配なことは?」と問いかける。<br />3)そのまとめに沿って話を適宜変更しながらすすめる。<br />4)そのなかで、さらにでてきた疑問や希望を出してもらい、対話型で話をすすめる。</p> <p><strong>3.どうしたら納得?・・・南相馬で事前打ち合わせ</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">南相馬は、さらに厳しい状況に置かれている地域である。依然として避難区域を抱えており、お米を作っていない田畑が広がっている。子育て支援センターは働く親たちの子供たちを保育する通常の保育園ではなく、子供の遊び場がなく、不安を抱えている子供たちが集まる場となっている。しかし、そこの、今野園長先生をはじめとする保育者たちの姿勢は真摯で、なんとか本当のことを知りたい、という熱意が伝わってくる。前夜、今野園長先生のお宅で、園長先生のお母様の手作りのお食事をおいしく頂きながら、事前に現状と今抱えている問題をお聞きすることができたのは、とてもよかった。私は、園長さんもさることながら、そのお母様の、人びとを招き、手作りのごちそうを振る舞い、ひざを交えての忌憚のない話し合いの場を設けてくださったその心意気と生き方に共感した。そうなのだ、こういう素晴らしい女性がおられるのだ、なんと世の中は素晴らしいのだろう。私も人との交流を場を、食事をしながらするのがとても好きだ。同じ釜の飯を食べるとよく言うけれど、不思議に一緒に食事をすると、心がほどけて、忌憚のない意見交換ができる。私は、お酒は飲めないのだが(たいてい初めての人は、「うそでしょう」といわれる。よほど酒豪に見えるらしいが、からきしだめなのである)、お酒を飲んでいる人よりよくしゃべるので、お酒を飲まないでも効果はてきめんである!。人と人との交流というのは、こうしたちょっとした機会に深まる。宇野さんは、ハンドマッサージで、人の心と心を結びつけるのが得意だが、私は食事をともにしながらの交流も同じ効果があると思っている。実際、当あいんしゅたいんの会合では、宇野さんは、よくお家で作った野菜や、おいしいといわれているサンドイッチなど、持ち込んでくださり、私もまた、あわててありあわせの食材つくったものをふるまって、ご一緒に食事をする。いつだったか、その前日に宇野さんたちと作ったおでんなどが余っていたので、翌日のシンポジウムのおしゃべりをしに来てくださった皆さんにふるまったことがあった。「ご飯が欲しいな」という声がでて、「ゴメンナサイ。ここには炊飯器がないので借りてこないと炊けないの」といったら、その中のある女性が、早速、炊飯器を下さった。まあ、こんな具合で皆さんから助けられているのである。私は、女性研究者の研究室に行くと、よくお菓子が置いてあって、なんとなく、心がほどける経験をするが、同じ効果なのかもしれない。なんで女性はお菓子が好きなんかなあ・・・。</p> <p style="padding-left: 24px;">さて、話がそれたが、この時の話し合いで、最も耳が痛かったのは、「今まで色々な先生が来られて話を聞いているが、難しくてわからない」ということだった。まだまだかなりのギャップがある。私たちがひとりよがりに解っていただいたと思っても、それはこちらの勝手な思い込みであることが多い。放射線が体に当たった時のイメージをいかに作るか、自然の放射線や呼吸活動の中でも起こる生体内の細胞に起こるDNAの傷とはどの程度のものなのか、そしてどの程度修復されるのか、など、なかなか頭にはってこないのである。そもそも、放射線を語るとき、「原子分子」という超小さな変化を表すベクレルという量を使う。それと、体の中で起こるリスクを表すシーベルトという量が、余りにもかけ離れているため、専門家でさえ、いつも混乱を起こす。角山さんの計測器で、音が出るたびに、1ベクレルといわれると、「え、やっぱり、ごく少量といっても『ピー』という音を出すくらいの影響はあるのだな」と思われても仕方ない。「実は測定器は、ごく微量に入ってきた放射線のエネルギーを増幅して目に見えるように、また耳で聞こえるように、無理やり増幅しているのだ」ということが、なかなか実感として分かりにくい、ごく小さなものを顕微鏡で拡大して見えるようにしているのと似てはいるが、でもやっぱり違う。それよりもっと増幅の倍率が大きいのだ。目に見えるようにするのはいいのだが、その時、「増幅拡大」している度合いは、なかなか分かりにくい。こういう極端な量・大きさの違う話をするのだから無理もない。また、放射線が体の中のDNAを傷つける、という図は、説明する側も間違っていることが多く、DNAに放射線がぶち当たっているポンチ絵がよく出てくる。宇野さんが「活性酸素」といってもそれがどんなものかよくわからないのである。そこで、角山さんや鳥居さんと、なんとかもっと分かる手はないか、次の日のために何度もやり方を相談したが、なかなかいい手がない。これは1つの例であるが、どれももっと工夫が必要だと、悩むことしきりであった。</p> <p><strong>4.DNA標的の可視化・・細胞を傷つけるとは?</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">翌日、その工夫の甲斐があって私たちも新しいやりかたでの説明を試みた。その時の、今野園長先生のお顔が忘れられない。「そうそう!それだとわかる!」とうなずいておられ、ちょっと嬉しかった。</p> <p style="padding-left: 24px;"><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report2-1.jpg" border="0" alt="" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" /></p> <p style="padding-left: 24px;">保育園の庭には藤棚もあったとのことであるが、木々は除染のために伐採され、きれいに片づけられていて、そのかわり花々や果物が植えられていた。<img src="images/fon/activity-report/wfp2014report2-2.jpg" border="0" style="float: right; border-width: 0px;" />大きなスイカが重たそうに実っていたのが印象的だった。あちこちに配慮の行き届いていることが感じられるこの保育園に、お母様方が集まってこられた。結構広い保育室には、水浴びのための大きなプールがあり、小さなボールや大きなボールがはいっている。そこで思い付いたのは、このビニールプールを1つの細胞と見立て、約10分の1ぐらいあるビチボールを核と見立て、その核のなかにDNAがあるということとする。そして、そこに、小さなボール(放射線)を投 げ込んで、実際にDMAに当たる確率を実感してもらうのはどうだろう、と話し合った。ターゲットのDNAは細い糸状であるので、それにボールを当てようとしても、そこに直接当てるのは難しいことを分かってもらうのである。しかし、その周りの水にはほぼボールは当たるので、その水を突き動かして、水分子を分解し活性酸素ができる。その活性酸素がDNAにあたるのだ、ということを分かってもらおうというのである。細胞に直接あたる割合を、ビニールプールのなかにいれた小さなボールとみたて、それに外から小さなボールを投げ込むのである。そして「なかなかDNAにあたらないでしょ!」という説明をした。よく、放射線がDNAを切断する図(例としてネット上から取ってきたがこういう図はよく見かけるだろう<a href="#_ftn1" title="">[1]</a>)がでているが、これは誤解を招く図である。こういう直接に放射線が当たる確率はせいぜい全体の20%ぐらいだそうで、多くの場合は活性酸素がDNAにあたるのだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">もちろん、教材とするには、もう少し正確にDNAのもつれた模様やサイズをきちんととって、正確な図を作る必要があろう。そのためには、細胞の正確な大きさの図が必要だ。そして、もし、その描いた図がうまくできたら(きっとできるだろう)、それを壁に貼り付けてそこへ小さな矢で当てるようなグッズをつくれば、説明が楽になるような気がする。こうしてお話をすると、お母さんたちが、「なっとく!」という顔をされる。そして分かったという喜びを表現された。後に、園長さんからお聞きしたところでは、「翌日、前日来られなかったお母さんに、色々と説明をしておられた」ということで、本当によかったと思った。最初は、「ともかく、ここにすんでいる限り、安全だということを無理やりにでも自分に納得させて生きていくしかない」と言われたので、「それはあきません!自分できちんと確かめ、納得することが大切です!」と説得した甲斐があったというものだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">また、私たちが日常受けているDNAの損傷について、よく引用されている例を挙げて、誰でも計算できる形に工夫した<a href="#_ftn2" title="">[2]</a>。こんな風に、事前打ち合わせをして、当日に臨み、いろいろ新しい試みをしてみて、よりよくわかってもらえる工夫ができるのである。前日の今野園長さんとの話し合いは、とても大切だった。尤もその他のことでも色々と学ぶところがあり、園長さんの大変しっかりした考え抜かれた色々な知見には感銘を受けた。</p> <p><strong>5.復興とは?</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">最後の日程である郡山市は、私にとっては3度目の訪問である。それも、今年、2013年2月4日、5月21日と2度の訪問は、すべて宇野さんを通じて、「未来都市 郡山を創る会」の河内さんをはじめとする方々がお世話くださっている。郡山市は、縦に長く、福島県のなかでも東京に近いところに位置しており、福島の中で最も多い人口を擁している。西側は猪苗代湖の南岸で、ここは、山を隔てているために、放射能汚染が比較的少ない地域となっている。実は京都より線量は低い。不思議なことだが、それでも、子供たちには、水道の水は飲ませないで、必ず水筒をもってきて、それしか飲まないという用心ぶりである。その気持ちもわからないではない。目に見えない放射線から子供たちをできるだけ守る、という気持ちの表れなのだろう。とはいえ、比較的線量が少ないこともあり、青々と続く田んぼや畑が広がっているとホッとする。</p> <p style="padding-left: 24px;">なにより、この郡山の、人々の心意気が、前向きであることは、とても心に安らぎを与えてくれるものがある。「未来都市 郡山を創る会」はその心意気を名実ともに感じられるネットワークであろう。東北新幹線にのると、宇都宮・郡山・福島、そして仙台と続くが、東西南北の都市をつなぐ交通網が磐越自動車道や国道でつながっており、いわば東日本のハブとして、福島県での経済を支えているという気概が感じられる。「未来都市郡山を創る会」は郡山市内の中小企業経営者の集まりで、もともと、福島県中小企業家同友会に所属している企業が中心になって、事故後、結成された「郡山市の放射能を除去する会」が発展して、名称を変更したのだそうだ。「50万都市郡山の実現に向けての活動」「子供たちの健康と安全な生活をサポートし、保護者の不安を解消していく」活動を行っている。皆さんにお会いすると、未来に向けて意気投合している市民の心意気に、「ここは真っ先に復興するなあ」と心強いものを感じる。地域によって、同じ線量状況でも米を作っているところ、作っていないところ、など、様々な状況が見えてくる、福島の豊かな山林、澄んだ川、沢山の自然の風景の中に、田んぼがあり、畑がある。それが今、耕されずに荒れ地になっているところと、きれいに耕されているところとを比べていると、たとえ、少し線量が高くても、畑を作っているところの方が、ずっと復興が早い気がする。「あ、きれいに整頓されている」と思ったら、除染で出てきた緑や頃の袋が整頓されておかれていたりすると、ちょっとがっかりする。この豊かな自然をなんとか取り戻した生活が送れる日が1日も早く来てほしいと願わずにはいられない。郡山市長を含めた「郡山を創る会」のみなさんとの交流会では、この地の復興とは何か、市長が状況をしっかり勉強して考えておられる姿にも、また、真摯な心を感じたものであった。</p> <p><strong>6.子供たちと若者たち</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">伊達でも南相馬でも、若者たちは子供たちの人気者だった。子供のすごいエネルギーを受け止めて、もってきた科学教材を見せながらの大奮闘だった若者たちは、それでも色々なことを学んだようであった。郡山の子供たちが昼間、より線量の少ない山を1つ隔てた猪苗代湖のほとりにある保育園にきているのだが、この子供たちは学齢前であった。それに比べて伊達の時はもう少し大きな子供たちも来ていた。子供は年齢が1歳違っても反応が随分違うことに気がついたという。不思議に思って、驚きの声を上げるのはやはり年齢層の高い子供たちだということも発見したようである。</p> <p style="padding-left: 24px;">成長の段階に応じて不思議に思うことが違うのである。だから、相手によって、時には、もってきた道具はさておいて、一緒に体を使って遊ぶなど、臨機応変に取り組んでいた。</p> <p style="padding-left: 24px;">一層成長した若者たちは、帰りにはいつも、子供たちに、名残惜しそうに見送られていたのが印象的だった。</p> <p><strong>7.最後に</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">「自分を無理やり納得させながら生きていくしかない」「1kg当たり100ベクレルは本当に危険なのですか?」といった市民の質問にたいして、私たちは何ができるのだろう。</p> <p style="padding-left: 24px;">私たちが作った、「ベクレル・シーベルト変換シート」は若者チームが中心に作った作品で、けっこう、福島では評判が良いのだが、このシートで「危険」とか「要注意」という言葉を使ったら「ほんとに要注意なんですか」と聞かれた。日本の現在の福島の基準値はゆれにゆれた。思い起こしてみると、3・11直後は、海外からは、その国の方々に対し、避難を呼び掛けているのに、避難指示を出さず、その後、水素爆発が始まった頃から、意見が乱れ飛び、はては、そろそろ収拾が見えた頃になって、飯館村などに避難指示を出した。それに振り回された福島市民が、疑心暗鬼になるのは当然である。</p> <p style="padding-left: 24px;">あいまいないい方のまま今日に至っていること自体が、かえって不安を抱えて生活せざるを得ない状況にしているのだ、という思いがある。</p> <p style="padding-left: 24px;">本当に危ないなら、住むことはできない筈、それなのに、「福島の基準は、他の府県と異なるのはなぜか」それをはっきりと説明することなしに、あいまいにしていることは、かえって差別を生んでいる。そもそも、安全で住めるのなら、日本中、同じ基準にすればいい。</p> <p style="padding-left: 24px;">やはり、きちんとした基準とその意味を、自信をもって提示し、そのうえで、「安心して生きていけるのだ」ということを、福島県民だけでなく、まわりの日本全体が納得しなければ、本当の安心につながらない。それを県民の皆さんは模索しているのである。</p> <p style="padding-left: 24px;">私は、そこに焦点を絞って、科学者として、ごまかさず、明確に訴えるということが、今求められていると思う。それなしには、危なくもないのに、まるで、今の放射線量は危険かのように、下手な慰めや、「がん予防のためのノウハウ」を解説して説得するのは、どこか、すれ違っている。危ないのなら、他の土地で生きるように言うべきだし、安心してもいい量なのならそうはっきり言えばいい、1時間当たり0.9μシーベルトのコンクリートをはがして、0.2μシーベルトにするために、どれだけのお金を使っているのだろうか。除染をする必要があるのならしなくてはならないが、しなくていいのに、基準値がこうだからと必死で線量を減らしても、すぐその横は、線量は減らないのなら意味がない。</p> <p style="padding-left: 24px;">しっかりした科学者としての見解を、科学者の中で徹底的に議論し、検討し、それを行政の指針にするために、もっと発現しなければ、しっかりしなくては、という思いを今も抱いている。</p> <p style="padding-left: 24px;">ここのところは、まだまだ、宇野さんと意見が少しずれているのだが、1つのチームがいつも同じ考えて行動するわけでもない。今後、さらに詰めていくことによって、また新しい道を見極めていく必要があるのだろうと、まだまだ悩みは尽きない今日この頃である。</p> <div><br clear="all" /><hr width="33%" size="1" /> <div> <p><a href="#_ftnref1" title="">[1]</a>http://save-life-action.org/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%81%AFdna%EF%BC%88%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%89%E3%82%92%E5%88%87%E6%96%AD%E3%81%99%E3%82%8B.html</p> </div> <div> <p align="left"><a href="#_ftnref2" title="">[2]</a> これについては、別に論じるのでここでは省く。</p> </div> </div></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">報告:坂東昌子</p> <p><strong>1.福島どうでしょう</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">厳しい現実の中で、子供たちと向き合い守り育てようと献身的に働いておられる女性たち、その周りのお母様方、そしてそれを支える逞しい男衆、そういう方々との出会いは、実を言うと私の疑問に思っていたことの、正しい答えをしっかりと示してくださった。</p> <p style="padding-left: 24px;">今回の福島訪問は、いわば宇野さんがここ3年間、何回も、何十回も色々な方と交流し話し合われた経験が基礎になっている。その様子は、宇野さんから、いつも、間接的には伺っていた。今回は、その福島の状況に、私自身が向き合う機会となった。</p> <p style="padding-left: 24px;">特に今回は、大きな会場での講演ではなく1人1人としっかり向き合って、一緒に考え、そして高め合っていくことを目標にしている。そこから、お互いに生まれるはずの信頼を、どのように培い、そしてそれを科学への信頼へと結び付けられるか、という課題に向き合ったのである。科学への信頼というのは、私たちが科学者だから、自分たちの為に、信頼してほしいと言っているのでは決してない。科学的な真実に基づかない方針は、失敗するからである。そこをしっかりわかってほしいと思っていた、自分の好みや、偏見や思い込みで判断すれば、それは間違っているのだから、必ず失敗する。大げさに言えば、このような失敗の中で、人類は少しずつ賢くなり、前が見えるようになってきたのである。この私たちの思いが、間違っていないこと、今回の膝詰の話し合いは、それを教えてくれた。</p> <p style="padding-left: 24px;">若者としてはじめて参加した京都大学の学生、間浦君と、大学院生の新宅君の活躍ぶりには、とても感動した。若者リーダーとして、この訪問のために、自ら放射線の勉強、測定器の使い方など、事前に指導してくださった角山さんも加わって、「若者力」と染めぬいたお揃いのTシャツで、素晴らしい働きぶりであった、若者たちは、角山先生に学んで、いつの間にか測定器を使いこなし、管理区域内での線量調査も、慣れた手つきで手際良く処理するプロになっていた。実験は苦手の私は、ただただ感心するばかりであった。</p> <p style="padding-left: 24px;">また、角山・鳥居のコンビとともに、放射線の解説をどのようなたとえで、どのようにお話すれば分かってもらえるか、と相談しながらの試みは、新しい工夫の機会にもなった。鳥居・角山というベテランのお二人は、すでに教科書や教育用ツールを開発しているベテランである。とはいえ、お母さまたち、女性の皆さんへの働きかけは新しい経験でもあったろう。子どもたちに分かりやすく話すことでいつも感心させられているこの角山さんと、3・11以後東大教養の授業で、放射線教育を取り入れ教科書も書かれた鳥居さんのお二人との議論から得たものは大きかった。「どうすれば、放射線をめぐるいろいろな議論を、お母さんたちにわかりやすく説明できるか」、そのための工夫を、お母さんや幼稚園の先生方の反応をみながら、改善を試みた経験から得たものは大きかった。</p> <p style="padding-left: 24px;">宇野さんは、ここ3年、福島のさまざまなかたがたと接しつつ、ネットワークを広げてこられた。今回の取り組みも、宇野さんが献身的に働き、アレンジいただいたもので、それに私はお供したようなものだ。とはいえ、免疫専門の宇野さんの主張には、どことなく、「放射線に負けない生活の工夫って、今の福島の線量でほんとに心配だからそういうの?」という気配がして、私にはもうひとつ納得がいかないところがある。宇野さんとは、放射線の影響についても、ずっと議論してきた仲間だが、最後のところで、私にはひっかかるところがあり、免疫が専門の彼女の考えとやり方には、物理専門の私が全面的に納得しているわけではない。この期間中も、このことに関して、時間さえあると何度も議論した。これも、今後に残された課題で、まだまだ整理ができていない、</p> <p style="padding-left: 24px;">これらの思いを全部整理するのは、今はまだできないので、いくつかの課題を残したままだが、「あいんしゅたいんチーム福島派遣のレポートとして、思いつくままに記録をとどめておく。</p> <p><strong>2.次の挑戦へ・・・伊達市での教訓</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">はじめてのお母様方との出会いは、たくさんの子供たちに囲まれて始まった。広い会場の片側に若者コーナー、もう一方にお母さんたちとお世話のかたがたが集まり、にぎやかな中での話し合いには、この地域のお医者さんや行政のかたがたも含めて、多彩な顔ぶれであった。</p> <p style="padding-left: 24px;">ここでの話の進め方は、2014年5月の郡山での講演の経験を踏まえたやり方を採用した。それは宇野さんが解説を行い、私はその途中でいろいろな異なった意見や疑問を投げかける形の「対話型」を基本とするもので、そこに、角山さんの測定器を持ち込んだ「実験を交えた放射線の解説」を組み合わせたものである。<br />これは、次のような経験の積み重ねから始まっている。</p> <p style="padding-left: 24px;">まず、宇野さんは福島に何度も足を運び、放射線をめぐる話をされていることは既に述べた。坂東が、それに、はじめてお供したのは、宇野さんを通じての郡山品川市長のご依頼がきっかけであった。宇野さんは、講演だけでなく、「低線量放射線を乗り越えて」を著書として出された。これが回りまわって品川市長のお目にとまり、直々に宇野さんに講演を依頼されたときくが、品川市長の女性研究者(リケジョ!)への期待と熱意が伝わる話である。宇野さんはこのとき、「それでは坂東さんと2人で会話型の講演をしたい」といわれ、私もお供することになったのであった。それが、今年(2014年)2月4日だった。女性同士だから、基本的な心根は同感することも多く、今まで、いろいろなことを一緒に取り組んできた仲間である。しかし、今回の複雑な状況の中で、宇野さんは生物、私は物理の専門、その育った学問的背景もカルチャーもかなり違う。今回の放射線の影響に関しても、ちょっと違った判断をしているところもある。宇野さんのお一人の見解だけでなく、ちょっと違った形の会話型講演は、異なった意見があることを積極的に紹介することになるのだが、それで、皆さんがどう判断されるかと少し心配していた。しかし、こういう情勢の中では、一方的な意見でなく「こういうところはちょっと違う意見もある」ということがわかることになり、みなさんのご意見の広がりのなかで受け止められるところもある。掛け合い漫才のような形で講演したのが最初であった。そのことは、皆さんの理解を深めたところもあったことを知って、ちょっと確信が持てた。そこに加わって下さったのが角山さんである。角山さんは、小学生から学校の先生まで含めて、幅広い年齢層に、放射線の解説を大変わかりやすく具体的な道具を駆使して、お話できる逸材である。それがきっかけで、この5月に今度は角山さんと3人でチームを組んで、郡山のPTAの皆さん中心の会に訪れた。このときの打ち合わせで、角山さんの放射線測定と放射線の遮蔽の実験には、品川市長に加わってもらうことを、以前に相談していた。もちろん、品川市長はそのことをご存じなかったのだ。当日予告もなく市長に「お手伝いをお願いします」といったら、市長は気軽の応じてくださった。そして、放射線の種類によって遮蔽できるものが違うことをみんなに納得してもらおうというつもりであった。市長がアルファ線を紙1枚を中に入れただけで、音が出なくなった。その時の会場の皆さんの、まさに、「あ、そうなんだ」と納得する表情が印象的だった。そうか、百聞は一見にしかずというが、みんな、放射線の種類の話とその遮蔽効果の話は、何度も聞いたり読んだりしているはずzyなのに、目の前で実験を見る機会はそうないのだ、ということが分かった。いろいろな立場のいろいろな角度からの話しのほうが、ずっと理解が広がるのなのだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">ついでだが、この品川市長、なかなかの人物で、そのとき、ポケットからハンカチを取り出し、「これは遮蔽できますか」と実験された。「いや、赤ん坊がベビー服を着ていたらどれだけ遮蔽効果があるのかなと思って」といわれる、この積極性には脱帽した。</p> <p style="padding-left: 24px;">さて、今回は、この3人チームに、さらに鳥居さんが加わった。鳥居さんは、事故後の状況のなかで、放射線に対する正しい科学的リテラシーが必要と、東京大学教養学部で、自主講義を始め、主題科目テーマ講義「放射線を科学的に理解する」を開講にこぎつけ、講義を担当。その中から、<a href="http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lecture/" target="_blank">「放射線を科学的に理解する ― 基礎からわかる東大教養の講義」</a>を仲間と出版された。このテキストは、理系一般の大学教養課程レベルであるが、基礎的な内容から説き起こしているので読みやすい。また、巻末に、よくある疑問・質問をQ&Aの形で盛り込んでいる。2012年8月に京都大学で開かれた基研の研究会<a href="nbp2012.html">「原子力・生物学と物理」</a>の放射線教育のセッションで報告いただいたときから、緊密なネットワークができ、色々な形で連携をとっている。</p> <p style="padding-left: 24px;">こんな、ベテランと一緒に話す機会はめったにない。そこでは、不正確な説明をすると、すぐに鳥居さんからのアドバイスがくる。こうしてより正確で確実な認識にグレードアップしていく。こうして4人の連携で、お互いに補い合いながら、見解の異なる意見も聞き手に伝わる。そのような話に、聞き手の皆さん、結構よくわかった、と納得してくださったのがうれしかった。</p> <p style="padding-left: 24px;">ただ、やはり、気になったのは、「同じ意見でなく、違った意見の人と一緒に話がききたい」というもの、また「本当に1Kg100ベクレルの米は大丈夫か、など、疑問です」といった、私たちだけの話では、まだ納得いかない感想があとで寄せられたところをみると、やはり、私たちは、基本的に同じ評価の上に立って話をしていることになるのかなと思わざるを得なかった。正直、私も宇野さんも、最初は極端に異なる評価をしていたのだが、しっかり徹底的に話し合い、文献をもとに戻って検討することによって、徐々に、見解が一致し、あるところまではしっかり確認できたという経験を経て、今に至っている。</p> <p style="padding-left: 24px;">この福島には、これまで、沢山の科学者や専門家と称する方々が来られて、話をされている。そして、人によって、全く異なった情報が与えられてきたのである。そのために、混乱してきた福島市民の皆さんにとっては、やはり、まだまだ私たちの間の意見の相違など、むしろ、一方的なお話に聞こえるのであろう。もっと違った意見の方と一緒に、同じ席で議論しなくては、やはり情報として不足していると感じられて当然かもしれない。できれば、そういう機会を増やすことを考えないといけないな、と思う。</p> <p style="padding-left: 24px;">そんな反応をみながら、その夜はその反省をしながら、また改善する。「分かりやすく話してくださり、よくわかった」だけではなく、私たちの思いは、ここで話を聞いた人が、今度は周りの方に説明できるような、そんな広がりが出てくるような話し合いにしていきたいという思いが大きくなった。</p> <p style="padding-left: 24px;">そして、翌日からは、方針を変えて、「まず、皆さんの疑問を話してもらうような場を作り、その疑問に沿って話をすることにしよう」ということになった。<br />そこで、順序は次のようにすることとなった。</p> <p style="padding-left: 24px;">1)まず、宇野さんのハンドマッサージでお互いに話し合える場を作る。<br />2)そこで、坂東が「どんなことを知りたいか。心配なことは?」と問いかける。<br />3)そのまとめに沿って話を適宜変更しながらすすめる。<br />4)そのなかで、さらにでてきた疑問や希望を出してもらい、対話型で話をすすめる。</p> <p><strong>3.どうしたら納得?・・・南相馬で事前打ち合わせ</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">南相馬は、さらに厳しい状況に置かれている地域である。依然として避難区域を抱えており、お米を作っていない田畑が広がっている。子育て支援センターは働く親たちの子供たちを保育する通常の保育園ではなく、子供の遊び場がなく、不安を抱えている子供たちが集まる場となっている。しかし、そこの、今野園長先生をはじめとする保育者たちの姿勢は真摯で、なんとか本当のことを知りたい、という熱意が伝わってくる。前夜、今野園長先生のお宅で、園長先生のお母様の手作りのお食事をおいしく頂きながら、事前に現状と今抱えている問題をお聞きすることができたのは、とてもよかった。私は、園長さんもさることながら、そのお母様の、人びとを招き、手作りのごちそうを振る舞い、ひざを交えての忌憚のない話し合いの場を設けてくださったその心意気と生き方に共感した。そうなのだ、こういう素晴らしい女性がおられるのだ、なんと世の中は素晴らしいのだろう。私も人との交流を場を、食事をしながらするのがとても好きだ。同じ釜の飯を食べるとよく言うけれど、不思議に一緒に食事をすると、心がほどけて、忌憚のない意見交換ができる。私は、お酒は飲めないのだが(たいてい初めての人は、「うそでしょう」といわれる。よほど酒豪に見えるらしいが、からきしだめなのである)、お酒を飲んでいる人よりよくしゃべるので、お酒を飲まないでも効果はてきめんである!。人と人との交流というのは、こうしたちょっとした機会に深まる。宇野さんは、ハンドマッサージで、人の心と心を結びつけるのが得意だが、私は食事をともにしながらの交流も同じ効果があると思っている。実際、当あいんしゅたいんの会合では、宇野さんは、よくお家で作った野菜や、おいしいといわれているサンドイッチなど、持ち込んでくださり、私もまた、あわててありあわせの食材つくったものをふるまって、ご一緒に食事をする。いつだったか、その前日に宇野さんたちと作ったおでんなどが余っていたので、翌日のシンポジウムのおしゃべりをしに来てくださった皆さんにふるまったことがあった。「ご飯が欲しいな」という声がでて、「ゴメンナサイ。ここには炊飯器がないので借りてこないと炊けないの」といったら、その中のある女性が、早速、炊飯器を下さった。まあ、こんな具合で皆さんから助けられているのである。私は、女性研究者の研究室に行くと、よくお菓子が置いてあって、なんとなく、心がほどける経験をするが、同じ効果なのかもしれない。なんで女性はお菓子が好きなんかなあ・・・。</p> <p style="padding-left: 24px;">さて、話がそれたが、この時の話し合いで、最も耳が痛かったのは、「今まで色々な先生が来られて話を聞いているが、難しくてわからない」ということだった。まだまだかなりのギャップがある。私たちがひとりよがりに解っていただいたと思っても、それはこちらの勝手な思い込みであることが多い。放射線が体に当たった時のイメージをいかに作るか、自然の放射線や呼吸活動の中でも起こる生体内の細胞に起こるDNAの傷とはどの程度のものなのか、そしてどの程度修復されるのか、など、なかなか頭にはってこないのである。そもそも、放射線を語るとき、「原子分子」という超小さな変化を表すベクレルという量を使う。それと、体の中で起こるリスクを表すシーベルトという量が、余りにもかけ離れているため、専門家でさえ、いつも混乱を起こす。角山さんの計測器で、音が出るたびに、1ベクレルといわれると、「え、やっぱり、ごく少量といっても『ピー』という音を出すくらいの影響はあるのだな」と思われても仕方ない。「実は測定器は、ごく微量に入ってきた放射線のエネルギーを増幅して目に見えるように、また耳で聞こえるように、無理やり増幅しているのだ」ということが、なかなか実感として分かりにくい、ごく小さなものを顕微鏡で拡大して見えるようにしているのと似てはいるが、でもやっぱり違う。それよりもっと増幅の倍率が大きいのだ。目に見えるようにするのはいいのだが、その時、「増幅拡大」している度合いは、なかなか分かりにくい。こういう極端な量・大きさの違う話をするのだから無理もない。また、放射線が体の中のDNAを傷つける、という図は、説明する側も間違っていることが多く、DNAに放射線がぶち当たっているポンチ絵がよく出てくる。宇野さんが「活性酸素」といってもそれがどんなものかよくわからないのである。そこで、角山さんや鳥居さんと、なんとかもっと分かる手はないか、次の日のために何度もやり方を相談したが、なかなかいい手がない。これは1つの例であるが、どれももっと工夫が必要だと、悩むことしきりであった。</p> <p><strong>4.DNA標的の可視化・・細胞を傷つけるとは?</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">翌日、その工夫の甲斐があって私たちも新しいやりかたでの説明を試みた。その時の、今野園長先生のお顔が忘れられない。「そうそう!それだとわかる!」とうなずいておられ、ちょっと嬉しかった。</p> <p style="padding-left: 24px;"><img src="images/fon/activity-report/wfp2014report2-1.jpg" border="0" alt="" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" /></p> <p style="padding-left: 24px;">保育園の庭には藤棚もあったとのことであるが、木々は除染のために伐採され、きれいに片づけられていて、そのかわり花々や果物が植えられていた。<img src="images/fon/activity-report/wfp2014report2-2.jpg" border="0" style="float: right; border-width: 0px;" />大きなスイカが重たそうに実っていたのが印象的だった。あちこちに配慮の行き届いていることが感じられるこの保育園に、お母様方が集まってこられた。結構広い保育室には、水浴びのための大きなプールがあり、小さなボールや大きなボールがはいっている。そこで思い付いたのは、このビニールプールを1つの細胞と見立て、約10分の1ぐらいあるビチボールを核と見立て、その核のなかにDNAがあるということとする。そして、そこに、小さなボール(放射線)を投 げ込んで、実際にDMAに当たる確率を実感してもらうのはどうだろう、と話し合った。ターゲットのDNAは細い糸状であるので、それにボールを当てようとしても、そこに直接当てるのは難しいことを分かってもらうのである。しかし、その周りの水にはほぼボールは当たるので、その水を突き動かして、水分子を分解し活性酸素ができる。その活性酸素がDNAにあたるのだ、ということを分かってもらおうというのである。細胞に直接あたる割合を、ビニールプールのなかにいれた小さなボールとみたて、それに外から小さなボールを投げ込むのである。そして「なかなかDNAにあたらないでしょ!」という説明をした。よく、放射線がDNAを切断する図(例としてネット上から取ってきたがこういう図はよく見かけるだろう<a href="#_ftn1" title="">[1]</a>)がでているが、これは誤解を招く図である。こういう直接に放射線が当たる確率はせいぜい全体の20%ぐらいだそうで、多くの場合は活性酸素がDNAにあたるのだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">もちろん、教材とするには、もう少し正確にDNAのもつれた模様やサイズをきちんととって、正確な図を作る必要があろう。そのためには、細胞の正確な大きさの図が必要だ。そして、もし、その描いた図がうまくできたら(きっとできるだろう)、それを壁に貼り付けてそこへ小さな矢で当てるようなグッズをつくれば、説明が楽になるような気がする。こうしてお話をすると、お母さんたちが、「なっとく!」という顔をされる。そして分かったという喜びを表現された。後に、園長さんからお聞きしたところでは、「翌日、前日来られなかったお母さんに、色々と説明をしておられた」ということで、本当によかったと思った。最初は、「ともかく、ここにすんでいる限り、安全だということを無理やりにでも自分に納得させて生きていくしかない」と言われたので、「それはあきません!自分できちんと確かめ、納得することが大切です!」と説得した甲斐があったというものだ。</p> <p style="padding-left: 24px;">また、私たちが日常受けているDNAの損傷について、よく引用されている例を挙げて、誰でも計算できる形に工夫した<a href="#_ftn2" title="">[2]</a>。こんな風に、事前打ち合わせをして、当日に臨み、いろいろ新しい試みをしてみて、よりよくわかってもらえる工夫ができるのである。前日の今野園長さんとの話し合いは、とても大切だった。尤もその他のことでも色々と学ぶところがあり、園長さんの大変しっかりした考え抜かれた色々な知見には感銘を受けた。</p> <p><strong>5.復興とは?</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">最後の日程である郡山市は、私にとっては3度目の訪問である。それも、今年、2013年2月4日、5月21日と2度の訪問は、すべて宇野さんを通じて、「未来都市 郡山を創る会」の河内さんをはじめとする方々がお世話くださっている。郡山市は、縦に長く、福島県のなかでも東京に近いところに位置しており、福島の中で最も多い人口を擁している。西側は猪苗代湖の南岸で、ここは、山を隔てているために、放射能汚染が比較的少ない地域となっている。実は京都より線量は低い。不思議なことだが、それでも、子供たちには、水道の水は飲ませないで、必ず水筒をもってきて、それしか飲まないという用心ぶりである。その気持ちもわからないではない。目に見えない放射線から子供たちをできるだけ守る、という気持ちの表れなのだろう。とはいえ、比較的線量が少ないこともあり、青々と続く田んぼや畑が広がっているとホッとする。</p> <p style="padding-left: 24px;">なにより、この郡山の、人々の心意気が、前向きであることは、とても心に安らぎを与えてくれるものがある。「未来都市 郡山を創る会」はその心意気を名実ともに感じられるネットワークであろう。東北新幹線にのると、宇都宮・郡山・福島、そして仙台と続くが、東西南北の都市をつなぐ交通網が磐越自動車道や国道でつながっており、いわば東日本のハブとして、福島県での経済を支えているという気概が感じられる。「未来都市郡山を創る会」は郡山市内の中小企業経営者の集まりで、もともと、福島県中小企業家同友会に所属している企業が中心になって、事故後、結成された「郡山市の放射能を除去する会」が発展して、名称を変更したのだそうだ。「50万都市郡山の実現に向けての活動」「子供たちの健康と安全な生活をサポートし、保護者の不安を解消していく」活動を行っている。皆さんにお会いすると、未来に向けて意気投合している市民の心意気に、「ここは真っ先に復興するなあ」と心強いものを感じる。地域によって、同じ線量状況でも米を作っているところ、作っていないところ、など、様々な状況が見えてくる、福島の豊かな山林、澄んだ川、沢山の自然の風景の中に、田んぼがあり、畑がある。それが今、耕されずに荒れ地になっているところと、きれいに耕されているところとを比べていると、たとえ、少し線量が高くても、畑を作っているところの方が、ずっと復興が早い気がする。「あ、きれいに整頓されている」と思ったら、除染で出てきた緑や頃の袋が整頓されておかれていたりすると、ちょっとがっかりする。この豊かな自然をなんとか取り戻した生活が送れる日が1日も早く来てほしいと願わずにはいられない。郡山市長を含めた「郡山を創る会」のみなさんとの交流会では、この地の復興とは何か、市長が状況をしっかり勉強して考えておられる姿にも、また、真摯な心を感じたものであった。</p> <p><strong>6.子供たちと若者たち</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">伊達でも南相馬でも、若者たちは子供たちの人気者だった。子供のすごいエネルギーを受け止めて、もってきた科学教材を見せながらの大奮闘だった若者たちは、それでも色々なことを学んだようであった。郡山の子供たちが昼間、より線量の少ない山を1つ隔てた猪苗代湖のほとりにある保育園にきているのだが、この子供たちは学齢前であった。それに比べて伊達の時はもう少し大きな子供たちも来ていた。子供は年齢が1歳違っても反応が随分違うことに気がついたという。不思議に思って、驚きの声を上げるのはやはり年齢層の高い子供たちだということも発見したようである。</p> <p style="padding-left: 24px;">成長の段階に応じて不思議に思うことが違うのである。だから、相手によって、時には、もってきた道具はさておいて、一緒に体を使って遊ぶなど、臨機応変に取り組んでいた。</p> <p style="padding-left: 24px;">一層成長した若者たちは、帰りにはいつも、子供たちに、名残惜しそうに見送られていたのが印象的だった。</p> <p><strong>7.最後に</strong></p> <p style="padding-left: 24px;">「自分を無理やり納得させながら生きていくしかない」「1kg当たり100ベクレルは本当に危険なのですか?」といった市民の質問にたいして、私たちは何ができるのだろう。</p> <p style="padding-left: 24px;">私たちが作った、「ベクレル・シーベルト変換シート」は若者チームが中心に作った作品で、けっこう、福島では評判が良いのだが、このシートで「危険」とか「要注意」という言葉を使ったら「ほんとに要注意なんですか」と聞かれた。日本の現在の福島の基準値はゆれにゆれた。思い起こしてみると、3・11直後は、海外からは、その国の方々に対し、避難を呼び掛けているのに、避難指示を出さず、その後、水素爆発が始まった頃から、意見が乱れ飛び、はては、そろそろ収拾が見えた頃になって、飯館村などに避難指示を出した。それに振り回された福島市民が、疑心暗鬼になるのは当然である。</p> <p style="padding-left: 24px;">あいまいないい方のまま今日に至っていること自体が、かえって不安を抱えて生活せざるを得ない状況にしているのだ、という思いがある。</p> <p style="padding-left: 24px;">本当に危ないなら、住むことはできない筈、それなのに、「福島の基準は、他の府県と異なるのはなぜか」それをはっきりと説明することなしに、あいまいにしていることは、かえって差別を生んでいる。そもそも、安全で住めるのなら、日本中、同じ基準にすればいい。</p> <p style="padding-left: 24px;">やはり、きちんとした基準とその意味を、自信をもって提示し、そのうえで、「安心して生きていけるのだ」ということを、福島県民だけでなく、まわりの日本全体が納得しなければ、本当の安心につながらない。それを県民の皆さんは模索しているのである。</p> <p style="padding-left: 24px;">私は、そこに焦点を絞って、科学者として、ごまかさず、明確に訴えるということが、今求められていると思う。それなしには、危なくもないのに、まるで、今の放射線量は危険かのように、下手な慰めや、「がん予防のためのノウハウ」を解説して説得するのは、どこか、すれ違っている。危ないのなら、他の土地で生きるように言うべきだし、安心してもいい量なのならそうはっきり言えばいい、1時間当たり0.9μシーベルトのコンクリートをはがして、0.2μシーベルトにするために、どれだけのお金を使っているのだろうか。除染をする必要があるのならしなくてはならないが、しなくていいのに、基準値がこうだからと必死で線量を減らしても、すぐその横は、線量は減らないのなら意味がない。</p> <p style="padding-left: 24px;">しっかりした科学者としての見解を、科学者の中で徹底的に議論し、検討し、それを行政の指針にするために、もっと発現しなければ、しっかりしなくては、という思いを今も抱いている。</p> <p style="padding-left: 24px;">ここのところは、まだまだ、宇野さんと意見が少しずれているのだが、1つのチームがいつも同じ考えて行動するわけでもない。今後、さらに詰めていくことによって、また新しい道を見極めていく必要があるのだろうと、まだまだ悩みは尽きない今日この頃である。</p> <div><br clear="all" /><hr width="33%" size="1" /> <div> <p><a href="#_ftnref1" title="">[1]</a>http://save-life-action.org/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%81%AFdna%EF%BC%88%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%89%E3%82%92%E5%88%87%E6%96%AD%E3%81%99%E3%82%8B.html</p> </div> <div> <p align="left"><a href="#_ftnref2" title="">[2]</a> これについては、別に論じるのでここでは省く。</p> </div> </div></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 1 2014-09-25T12:00:41+09:00 2014-09-25T12:00:41+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1096-wfp2014-report1.html 宇野賀津子 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><strong><span style="font-size: 14px;">『We Love 福島2014』in 伊達、南相馬、郡山 byTEAM若者力(チーム・わかものぢから)</span></strong></p> <p style="text-align: right;">報告:宇野賀津子</p> <p>かねてより思っていた、「チームで福島に行き、放射線に対する不安感の強い方々と意見交流する!」という願いは、今回やっとかなえられました。これまで、私は何度も福島に行ってお話をしていました。そして今年の2月には坂東さんと、5月にはさらに角山さんも加わり行ったのですが、今回のような学生も一緒にという企画は初めての経験でした。「多様な層、多様な専門家でお話したい!」との思いが叶えられた3日でした。</p> <p>2014年8月4日、1日先に福島入りした坂東さんと宇野は福島県庁にて県民健康管理課及び被災者支援課に今回の企画の紹介とご挨拶、今回のプロジェクト用に、大日本住友製薬さんの助成を得て更新版を作成した、ベクレル→シーベルト換算シートを紹介しました。その後福島高校に行き、昨年、ルイ・パストゥール医学研究センターに来られた学生さんと再会、スーパーサイエンス(SSH)担当の原先生ともお話しました。5日、再度坂東さんと私は福島高校に行き、SSH事業による研究について学生さんから研究の概要をお聞きしました。</p> <p>8月5日12時、京大4回生の間浦君、修士課程院生の新宅君、東大助教の鳥居さん、京大助教の角山さんと合流、角山さんの運転する車で、伊達市へ、山形から帰られたお母さん方を含め色々な不安を抱えた方達を対象にお話しました。最初にハンドマッサージ、私がお話すると坂東さんが横からチャチャを入れる、「あんた本当にそう思っているの!」、その後角山さんがα線、ベータ線、γ線の違いや遮蔽の実験を紹介しました。また、最後に野菜やお茶の抗酸化能を実感する実験を紹介、子供たちも見学、中には夏休みの宿題にやろうと言う声も聞かれました。<br />間浦、新宅君は子供担当、浮沈子、スライム、フィルムケース爆弾と子供達を飽きさせないように大活躍です。子供たちが楽しそうだとお母さん達も安心して、お話を聞いてくださるようです。保育ボランティアも入ってくださり、事前に連絡してあったこともあり、あいんしゅたいん応援隊の方々も聞きに来てくださり、30人ほどの方にお話しました。<br />終了後、南相馬市に移動し、市教育委員会にご挨拶、翌日お話する「子育て支援センター」を下見後、園長先生宅でお母様の地元料理をごちそうになりました。</p> <div>8月6日</div> <div style="padding-left: 20px;">南相馬あずま子育て支援センターにて、子育て中のお母さんとお話し、お子さんが前日より少し小さかったので、より対話型でお話しました。まず、ハンドマッサージを宇野が紹介し、ペアになって実施しました。そして坂東さんが参加者の不安に思っていること、知りたい事をお聞きするところから始まりました。角山さんはホットスポットの土を使って、α線、γ線の紙や園庭の砂による遮断実験を紹介、放射線と賢くつきあっていくことの必要性をお話しました。遊戯室にあったビニールプール(細胞)と、スイカボール(細胞核)と少し小さなボール(γ線)を使って「現在の線量だとこのプールに小さなボールを投げ込むような物で、遺伝子のある核には放射線が直接はなかなかあたらないでしょう」の説明に、お母さん方もなるほどと納得してくれました。また、角山さんは2ヵ月前に視察した福島第一原発の現状を説明、それに鳥居さんが補足して話しを進めました。ここは小さな黒板に絵を描いて説明しましたが、より身近に理解していただけたようです。</div> <div> </div> <div>午後 浪江町経由で郡山へ</div> <div style="padding-left: 20px;">夜郡山にて、未来都市郡山を創る会のかたがたと意見交換、郡山市長も参加頂きました。学生の二人は、品川郡山市長に浮沈子を披露、楽しんでいただきました。</div> <div> </div> <div>8月7日</div> <div style="padding-left: 20px;">午前湖南町の移動保育所に行き保母さんとお話、子供達は、同じ部屋で、お兄さんの実験に見入りました。保母さんからハンドマッサージをしながら気になっていること、不安なことを聞いて、それに答える形でお話しました。<br />郡山市湖南町のこの場所は線量も低いので、角山さんが保育室の空気を集めて線源とし、自然の放射線の存在や、遮蔽の話をしました。</div> <div> </div> <div>午後</div> <div style="padding-left: 20px;">ちびっ子うねめ祭り会場から少し離れた会場で、雨の影響もあって、会議室での話あいとなりました。チームあいんしゅたいんを訪ねてきてくださった養護教諭の方々、郡山在住のナリス化粧品のボランティアの方々、未来都市郡山を創る会の方々と対話型意見交換会となりました。特に甲状腺がんに関して、色々とお話しました。ここでも、角山さんの実験に鳥居さんがコメントするという風景がみられました。参加者は専門家の間でも、少しずつ放射線に対する考え方が違うこと、でも皆今の福島の放射線量なら、そこで生きていて問題ないと思っているということが通じたように思いました。今回のように、少しずつ専門の異なる専門家や、多様な年齢層のチームで不安感をもった方々と<br />お話しするのが、より深く理解するための近道と思いました。</div> <p>学生のおもしろサイエンス、角山さんの実験、はとても評判がよかったです。ベクレル→シーベルト変換シートも皆さん喜ばれ、今の福島でも100ベクレル/kg のものを毎日1kgずつ食べるのは不可能ですね、ということになりました。<br />シート印刷の費用の多くを支援していただいた大日本住友製薬さんに、深謝します。</p></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><strong><span style="font-size: 14px;">『We Love 福島2014』in 伊達、南相馬、郡山 byTEAM若者力(チーム・わかものぢから)</span></strong></p> <p style="text-align: right;">報告:宇野賀津子</p> <p>かねてより思っていた、「チームで福島に行き、放射線に対する不安感の強い方々と意見交流する!」という願いは、今回やっとかなえられました。これまで、私は何度も福島に行ってお話をしていました。そして今年の2月には坂東さんと、5月にはさらに角山さんも加わり行ったのですが、今回のような学生も一緒にという企画は初めての経験でした。「多様な層、多様な専門家でお話したい!」との思いが叶えられた3日でした。</p> <p>2014年8月4日、1日先に福島入りした坂東さんと宇野は福島県庁にて県民健康管理課及び被災者支援課に今回の企画の紹介とご挨拶、今回のプロジェクト用に、大日本住友製薬さんの助成を得て更新版を作成した、ベクレル→シーベルト換算シートを紹介しました。その後福島高校に行き、昨年、ルイ・パストゥール医学研究センターに来られた学生さんと再会、スーパーサイエンス(SSH)担当の原先生ともお話しました。5日、再度坂東さんと私は福島高校に行き、SSH事業による研究について学生さんから研究の概要をお聞きしました。</p> <p>8月5日12時、京大4回生の間浦君、修士課程院生の新宅君、東大助教の鳥居さん、京大助教の角山さんと合流、角山さんの運転する車で、伊達市へ、山形から帰られたお母さん方を含め色々な不安を抱えた方達を対象にお話しました。最初にハンドマッサージ、私がお話すると坂東さんが横からチャチャを入れる、「あんた本当にそう思っているの!」、その後角山さんがα線、ベータ線、γ線の違いや遮蔽の実験を紹介しました。また、最後に野菜やお茶の抗酸化能を実感する実験を紹介、子供たちも見学、中には夏休みの宿題にやろうと言う声も聞かれました。<br />間浦、新宅君は子供担当、浮沈子、スライム、フィルムケース爆弾と子供達を飽きさせないように大活躍です。子供たちが楽しそうだとお母さん達も安心して、お話を聞いてくださるようです。保育ボランティアも入ってくださり、事前に連絡してあったこともあり、あいんしゅたいん応援隊の方々も聞きに来てくださり、30人ほどの方にお話しました。<br />終了後、南相馬市に移動し、市教育委員会にご挨拶、翌日お話する「子育て支援センター」を下見後、園長先生宅でお母様の地元料理をごちそうになりました。</p> <div>8月6日</div> <div style="padding-left: 20px;">南相馬あずま子育て支援センターにて、子育て中のお母さんとお話し、お子さんが前日より少し小さかったので、より対話型でお話しました。まず、ハンドマッサージを宇野が紹介し、ペアになって実施しました。そして坂東さんが参加者の不安に思っていること、知りたい事をお聞きするところから始まりました。角山さんはホットスポットの土を使って、α線、γ線の紙や園庭の砂による遮断実験を紹介、放射線と賢くつきあっていくことの必要性をお話しました。遊戯室にあったビニールプール(細胞)と、スイカボール(細胞核)と少し小さなボール(γ線)を使って「現在の線量だとこのプールに小さなボールを投げ込むような物で、遺伝子のある核には放射線が直接はなかなかあたらないでしょう」の説明に、お母さん方もなるほどと納得してくれました。また、角山さんは2ヵ月前に視察した福島第一原発の現状を説明、それに鳥居さんが補足して話しを進めました。ここは小さな黒板に絵を描いて説明しましたが、より身近に理解していただけたようです。</div> <div> </div> <div>午後 浪江町経由で郡山へ</div> <div style="padding-left: 20px;">夜郡山にて、未来都市郡山を創る会のかたがたと意見交換、郡山市長も参加頂きました。学生の二人は、品川郡山市長に浮沈子を披露、楽しんでいただきました。</div> <div> </div> <div>8月7日</div> <div style="padding-left: 20px;">午前湖南町の移動保育所に行き保母さんとお話、子供達は、同じ部屋で、お兄さんの実験に見入りました。保母さんからハンドマッサージをしながら気になっていること、不安なことを聞いて、それに答える形でお話しました。<br />郡山市湖南町のこの場所は線量も低いので、角山さんが保育室の空気を集めて線源とし、自然の放射線の存在や、遮蔽の話をしました。</div> <div> </div> <div>午後</div> <div style="padding-left: 20px;">ちびっ子うねめ祭り会場から少し離れた会場で、雨の影響もあって、会議室での話あいとなりました。チームあいんしゅたいんを訪ねてきてくださった養護教諭の方々、郡山在住のナリス化粧品のボランティアの方々、未来都市郡山を創る会の方々と対話型意見交換会となりました。特に甲状腺がんに関して、色々とお話しました。ここでも、角山さんの実験に鳥居さんがコメントするという風景がみられました。参加者は専門家の間でも、少しずつ放射線に対する考え方が違うこと、でも皆今の福島の放射線量なら、そこで生きていて問題ないと思っているということが通じたように思いました。今回のように、少しずつ専門の異なる専門家や、多様な年齢層のチームで不安感をもった方々と<br />お話しするのが、より深く理解するための近道と思いました。</div> <p>学生のおもしろサイエンス、角山さんの実験、はとても評判がよかったです。ベクレル→シーベルト変換シートも皆さん喜ばれ、今の福島でも100ベクレル/kg のものを毎日1kgずつ食べるのは不可能ですね、ということになりました。<br />シート印刷の費用の多くを支援していただいた大日本住友製薬さんに、深謝します。</p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2013 レポート3 2014-01-20T11:58:09+09:00 2014-01-20T11:58:09+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1028-wfp2013-report3.html 坂東昌子 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><strong>まえがき</strong></p> <p style="text-align: right;">坂東昌子</p> <p>関西にホールボディカウンター(WBC)車がやって来る!<br />思えば長い道のりでした。2012年秋に、京大原子炉と関電美浜発電所に行ってから今日まで、結果をいただいて生じる疑問をめぐって幾度議論を重ねたことか!メーリングリストを通じて、また顔を付き合わせて激論を交わしたこともしばしばでした。<br />なにしろ、ごく微量の放射線量を測定するには、それ相当の精密な測定器が必要なことはもちろんですが、たくさんの放射線が周りにあるとき、「いかにして体内から出てきた放射線だけを見分けるのか」が大変重要になります。ちょうど、雑音の多い中で特定の人の声を聞き分けるのと似ています。相手の声が雑音に比べて大きければ問題はありませんが、ひそひそ声を取り出すのは至難の業です。その場所場所によって異なる雑音(バックグランド)を、きちんと差っ引くには、まずできるだけ雑音を取り除いて周りを静かにすること、そこから雑音の性格をえぐり出し本物だけを取り出す技術(これを校正といいます。英語ではキャリブレーションと言って、このほうが馴染み深い人もいるでしょう。)、この腕が必要になります。<br />腕は磨くものです。でも、「おかしいな」と思ったとき、誰かに「おかしいのでは?」と言われたとき、しっかり受け止め、誤りを正していくための努力をすることによって、徐々に磨かれていくものです。経験を積んだ福島でのWBCの測定から、腕を磨いた方々との連携があれば、それだけ早く目の前にあるWBCでは、どのようにして校正すれば最も正確な値を出せるかという技術が向上します。この技術の向上は、世界的な発見といった華やかさはありませんが、こういう一見地味な仕事を日ごろから積み重ねておくことが、私たちが生活していくうえで、いざという場合に正確な測定ができるということになるのです。<br />残念ながら、こうした地道な研究に対して、予算が少なく、十分な設備が整っていないのが現状ということです。今回の3・11原発事故は、まさにこの大切な地味な仕事にきちんと予算の手当てをすることの大切さをいみじくも教えてくれました。</p> <p>原子炉での測定では制度をできるだけ上げるために1人10分の測定時間でした。今回の福島から派遣されたWBCはたったの2分で、もっと精度のいい測定結果が得られるのです。低線量放射線の影響についても同じですが、いざというときに、データでものが言えるだけの研究を日ごろ積み重ねていることが大切です。</p> <p>高原子炉実験所で、1日中お世話いただいた高橋千太郎先生が、「電力の三分の一が原子力で賄われていたにもかかわらず、事故時に必要となることが明白なWBCが十分に整備され、それに関連する研究に研究費が配分されてこなかったのか、別の言い方をすれば、ノーベル賞をとるような研究はもてはやされ、安全研究は常に日蔭の研究分野であるのか」と嘆かれるのも、もっともです。ご苦労を掛けたのだなと、今更に1年間を振りかえると感慨深いものがあります。</p> <p>そんな中で、一瀬さんは福島での測定についてしっかり把握しようと真摯に検討を続けられました。<br />私は、実験から正確な値をどうして求めるかについては、かなり甘い考えをしていたように思います。第1、雑音で見えなくなる程度の放射線量なら、そもそも生体に影響がないはずだから、「実際に私たちが日常周りから受けている放射線量に比べて同じ程度なのだから、心配しなくていいよ」といえばいいのではないか、それをわざわざより分けて正確な値を出すのは、意味がないじゃないか、そう思っていたように思います。なんで、そんなところにいつまでもこだわるのか、そんな無駄なエネルギーを使うのは意味がない、というようなことを一瀬さんに言って、さんざん議論したと思います。もちろん、微量な放射線をきちんと測る技術自体は、とても意味があります。<br />例えば、素粒子の世界での実験は、1兆個ものイベントの中にたった1つぐらいの割合で発生するヒッグス粒子を見分けて「確かにヒッグスだ」と同定しなければならないのですから、ゴミの中から宝物を探すようなものです。これが、今年のノーベル賞につながったのです。こういう時には、こだわることは意味があるのです。</p> <p>福島でWBC検査が始まって以後、福島で献身的に働いている方々は、経験を積み、腕を上げてきました。一瀬さんは、その校正の状況を、宮崎先生に教えを請い、早野先生のレポートを読み、見識を高めておられたのです。この皆さんの努力で、改善に改善を重ねている取り組みは、人間の持つ素晴らしさの証でもあります。こうして、福島の技術は全国のレベルをはるかに凌駕していたのです。私たちが、京都でWBC検査に取り組んだあと、侃々諤々で議論してきたことは、実は「もう1年も前の議論だよ」といわれても仕方なかったのです。こうして、私たちが、「ホールボディカウンター検査とは」というパンフレットを作ったときには、いろいろと議論を重ねました。そして、「どのように改善されていったのか」を知ると、それはいろいろな教訓を教えてくれるのです。</p> <p>今回、WBC車を迎えて、取り組む中で、福島のこうした改善工夫が随所に生かされ、実践されているのです。例えば、簡単なことですが、上着を脱いで付着したほこりからでる放射線源を取り除いて、検査することも実行されています。一瀬さんは、福島から派遣されたWBC車を見学して、「すごい改善されているのですね」とすぐに言われました。人間の素晴らしいところは、「はじめは失敗しても、着々と改善し向上する力を持っているのだ」ということですね。それを目の当たりにしました。その思いは、これからの危機に面した時の、当初の失敗、初期トラブルを改善し克服したとき、素晴らしい取り組みに見る見るうちに変わっていくのだ、という確信を与えてくれました。確かに、当初の行政の取り組みも、お医者さんの対応も、配慮にかけていた部分、間違いや失敗があったかもしれませんが、それが、ここ1、2年でこれだけ改善され、心のこもったやり方ができるようになったことを、しっかり見ておきたい、そう思います。</p> <p>ただ、そのためには、探究心があり、向上していこうという謙虚さが必要です。決して傲慢になったりしてはいけないのです。そして、また逆に、今までのやり方が間違っていることに気がついたときにも、隠そうとしたり目を背けたりしないで、しっかり前を向いていなければならない、これがなければ、科学的な真実を明らかにできないことを、痛感しました。</p> <p>そんな思いから、私の反省も込めて、ぜひ、一瀬さんの思いを記録に留めて欲しい、とお願いした次第です。一瀬さんのお話は、時には専門的になるところもありますが、以上のような経緯を頭に入れて、是非とも読んでいただきたいと思っています。「記録は短くてもいいので書いてください」とお願いしたのですが、「やはり短文では書ききれないので、できるだけ事実関係を正確に記述するように努めました。スペクトルも、今や見せてもいいのではとおっしゃってくださったので、それを前提に文章を組んでいます。」と、大作を書いていただきました。</p> <p>この取り組みを通して、あいんしゅたいんとして一貫して貫いてきたのは、「科学に基づいた真実を明らかにし、皆さんに伝える」ということでした。時には、自分の価値観とは異なる真実に向き合わねばならないこともあります。「あなたは原発に賛成ですか、反対ですか」と詰め寄られたこともあります。私は原発に批判的な立場をとってきましたし、大学の講義でも、一貫して「原発の技術はまだまだ未完成、廃棄物問題を解決しないまま原発設置に踏み切ったのは、時期尚早だった」と話していました。ただ、レントゲンやキュリー夫妻からはじまった原子力エネルギーの発見をともなう人類の自然の法則の発見まで含めて、それをまるで悪魔の存在のようにいうのは、間違っていると思います。放射線の影響が、たとえいかに少なくても危険だという立場から、原発に反対する側に有利だからと、間違ったことでも伝えるのは間違っています。プロでない人なら、その人と話し合って正しい認識に至ってもらおうと思いますが、科学者と自称する人が、「正しくない情報でも有利だから」という理由で素を突くのは許せません。それなら、科学者などと言わないでほしい、そう思っています。私たちは、法則を知ることによってよりよく生きられるのです。間違った知識でこれからの方針を決めると、当面はうまくいったように見えてもいつか破たんします。自然の掟は厳格で、謝ったらしっぺ返しを受けるのです。私たちにできることは、正しい情報を発信することです。価値観は人によって違います。あいんしゅたいんができることはここまでなのだと思います。</p> <p>あいんしゅたいんとして取り組んできた、関西でのWBC検査事業の総括の意味は大きいです。ちょっと難しいこともあるかもしれませんが、いろいろなことに配慮をしながら、丁寧に書かれた大作です。心ある方々にぜひ読んでいただきたいと思います。</p> <table style="width: 95%;" border="1" cellpadding="5" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p style="text-align: center;"><strong>関西でのホールボディカウンター検査の経緯</strong></p> <p style="text-align: right;">2014年1月20日 神戸高専 一瀬昌嗣</p> <p>2012年8月頃から2013年12月に至るまでの、関西における福島県外避難者のホールボディカウンター(WBC)検査の経緯を、坂東先生・宇野先生達の後方でお手伝いしてきた。その経緯を、坂東先生の依頼に従いまとめた。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">関西での先行実施の経緯</span></p> <p>関西で、避難者にWBC検査を受けてもらおうという取り組みの始まりは、2012年7月の坂東先生と、南相馬からの避難者の伊藤さんの出会いに始まる。このあたりの経緯は、坂東先生の<a href="blog-bando/238-blog90.html">ブログその90(2012年7月25日)</a>に紹介されている。</p> <p>それ以来、伊藤さんを含め、避難者の方々が、京都のあいんしゅたいんの事務所に出入りするようになった。そして、避難者の方々は内部被曝を心配しているけれども、検査を受けられない事情が伝わって来た。</p> <p>伊藤さんは、8月に福島県に帰られたときに、ある医療機関が移動式のワゴンで実施するWBC検査を受けてきた。そこの責任者の方に、避難先の京都までWBC検診をしに来てくれるように頼み、了承してもらったとのことであった。宇野先生は、あいんしゅたいんでそれを支援することも視野に入れて、動こうとされていた。</p> <p>しかし、その実機と検査票の写真を見せてもらい、さらにいろいろと調べるうちに、これはまずいことがわかった。まず、検出限界(MDA)がいくらかも書かれていない上に、Cs-134が238.9 ± 238.9Bq、Cs-137が262.3 ± 262.3 Bqなどの意味をなさない内容が印字された紙が、そのまま被験者に渡されており、説明も十分でなかったため、それだけの数値が検出されたと被験者に理解されていた。そしてなにより、そのWBCの実機が、「<a href="http://togetter.com/li/221898" target="_blank">遮蔽なしの椅子型ホールボディカウンターの出る幕はもうない</a>」と既に言われていた、ベラルーシ製の椅子型WBCのAT 1316であった。ワゴン車に積まれたそのWBCは、BGの高い福島県内で、遮蔽もおそらく適切な校正もろくにされずに、測定にまわっていた。さらにその医療機関のホームページで、被験者に追加プランとして勧めていた内容は、なんだかよくわからないキレート注射や、○○療法で、それが2万数千円の額であり、疑問を持たざるを得ないものであった。</p> <p>さまざまな方面から情報を収集し、京都のあいんしゅたいんの事務所で、伊藤さんはじめ、坂東先生、宇野先生と様々な側面から話し合った結果、この医療機関のWBC車を呼んで来るという方向性はとりやめることとなった。</p> <p>しかし、避難者のWBCへのニーズが高いままの状態で、放置するわけにはいかなかったため、さらに宇野先生が中心となって骨を折られ、WBC検査を受けられる機関を探すこととなった。関西に複数存在する緊急被ばく医療の二次被曝医療機関にいくつか打診されたものの、WBCがあっても、お蔵入りしていて、避難者の測定には使えないという回答であったとのことであった。後に、滋賀県避難者の会の高野さんからも、震災直後にWBCをもっている医療機関に何件も電話で問い合わせたけれども、無理だということで断られて結局受けられなかった、という事情もお聞きした。</p> <p>そんな中で、坂東先生と宇野先生が、大阪府熊取町の京大原子炉実験所でWBCを持っており、震災直後に福島県に派遣された人がそこで測定を受けたという情報を得られた。なお、この初期派遣者の測定結果は、<a href="http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/anzen_kiban/outcome/Proceedings_for_Web/Topics_5-03.pdf" target="_blank">国際会議のプロシーディングにまとめられて公開されている</a>。</p> <p>京大原子炉実験所へは、坂東先生・宇野先生から京大総長を経由して、<a href="npo-introduction/message/248-appeal6.html">要望書(2012年10月8日)</a>が出された結果、「管理用の機器であり、共同利用・共用は原則行っておりませんが、当方の業務にさし障りの無い範囲で、ご協力いただくことは可能」という返答が得られ、11月30日に先行実施として、9名の避難者と2名の協力者の、合計11名の検査が実施できた。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-1.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>京大原子炉実験所のWBC。純鉄で周囲が遮蔽されている。NaI検出器が上からぶら下がっている。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p>検査に際しては、原子炉実験所教職員の皆様に丁寧なご対応(校正の仕方の実演しながらの説明や、MONDAL3での線量評価の説明など)をして頂き、被験者の方々は非常に満足され、有意義なものとなった。ただ、この検査において、1名のみ有限のCs-137が計測されたと判断された方がおり、この測定値の分析を通じて、後述する問題が判明した。</p> <p>さらに、2012年の先行実施として、12月23日に福井県にある関西電力美浜発電所を訪問し、避難者17名と1名の協力者の検査を実施した。美浜発電所では、まずはPR館に通され、案内の係員の方々から、大人にお茶、子供にジュースが振る舞われ、測定待ちの時間に発電所内の案内まで実施して頂くなど、非常に気を遣って頂いた。測定結果としては18人全員が、Cs-137, Cs-134は検出されなかった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-2.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>美浜発電所の富士電機製WBC。手前側のみ、NaI検出器を積んでいる。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p> 二つの施設での先行実施の後、避難者の方々自身がさまざまな事情を総合して検討した結果、関西で原子力施設に設置されているWBCを間借りして、避難者の測定を続けていくことはせず、福島県内で実施しているプロトコルに基づいて、県のWBC車を呼んで来るのが良いと判断され、坂東先生・宇野先生が、2月7日に<a href="npo-introduction/message/247-appeal7.html">要望書</a>を出されて、直接福島県庁と交渉に当たられることになった。避難者の要望があれば可能との県庁の感触を得て、関西県外避難者の会(現・一般社団法人東日本大震災復興サポート協会)から要望書が出され、さらに8月29日に坂東先生・宇野先生からの<a href="npo-introduction/message/926-appeal8.html">追加の要望書</a>が出され、交渉が続けられた結果、この度の京都府庁と兵庫県庁WBC車派遣の運びとなった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-3.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>京都府と兵庫県に派遣されたWBC車での測定の様子(京都にて)。検査着に更衣の上、Canberra社のFastscanで2分間測定。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p style="text-align: center;"> <span style="text-decoration: underline;">関西で先行実施した結果判明した問題点</span></p> <p>原子炉実験所のWBCは、鉄室に入った独自の型式のもので、フォトマルとNaI検出器は富士電機製、マルチチャンネルアナライザーはセイコーEG&amp;G製とのことであった。しかし、管理目的に沿った独自の分析方法として、「134Csに関しては、エネルギーが137と近いこと、放射性セシウムとして一括してスクリーニングすることで管理上問題ないことから、弁別していません」との指針が採用されていた。当日、被験者のうち男性1名に若干の有限値のセシウムが検出されたと言い渡されたため、後にスペクトルの数値データを提供して頂いて分析した結果、この指針が問題となることが判明した。この分析の際に、京都女子大の水野義之先生からチャンネルの元のビンの取り方が細かすぎるので、合算して分析するようにアドバイスを頂き、8ch分のカウントをひとつのビンに取り直して分析を行った。その結果は、以下のようにまとめられる。(以下の考察の責任は、一瀬にあり、アドバイスを頂いた先生方にはない)</p> <ul> <li>プロトコルに基づいた分析方法では、150-2000keV を10個のROI(スペクトルの色分けの通り)に分け、管理上の測定として目的とする核種であるK-40, Co-60, Cs-137, I-131のROIが、それぞれの光電ピークのエネルギーの入る領域に設定され、各ROIにてBGを引いたカウント数が統計的に3σを超えたときに、下のエネルギーのROIから、それに比例したスピルオーバーのカウントをさらに引く手順になっていた。今回の測定では、チャンネルとエネルギーの対応が、K-40の領域で30keV程度ずれていたために、体重が大きい人ほどK-40の光電ピークが、K-40のROI (1390-1540 keV)からはみ出す面積が増え、K-40を過小評価することになってしまっていた。そのため、Cs-137のROI (590-740 keV)から差し引く、K-40のスピルオーバーのカウント数が少なくなり、下のエネルギーの高くなったベースラインも余分にカウントされ、Cs-137のROIでも、上がったカウントの分までが”Cs-137”とみなされていた(ベースライン・ドリフト)。このことは、1260keVより下の7つすべてのROIで起こっており、体重が大きい人(=K-40が多い=”K-40”のROIからはみ出す光電ピークの面積が大きい)ほどカウント数が大きく、体重が小さい人ほどカウント数が小さい傾向になっていた。</li> <li>更衣をしないまま検査されたため、被験者の衣服に付着したBi-214の609keVのピークが、そのまま、予め定められた”Cs-137”のROI (590-740keV)にカウントされていたとみなせる。また、検査当日は少雨であったので、衣服にBi-214が付着した可能性が高い。特に、”Cs-137”の有限値を言い渡された方のスペクトルには、Cs-134の794keVのピークが確認できないことから、主にBi-214がカウントされてしまったものと考えられる。</li> <li>Cs-137については、500Bqが検出限界との説明であったが、”Cs-137”のROIでの、統計的な3σから来た値がそれに対応してはいたが、上記のような機器や環境に依存する系統誤差、また、スピルオーバー引きに由来する統計誤差を含んでいなかった。</li> </ul> <p>これらの問題点を指摘して系統誤差を詰めるための話し合いを持ちたい旨の希望を坂東先生から送ってもらったが、WBCの設置目的があくまで施設使用者の数万Bq単位の汚染の管理目的の測定であること(内部被ばくの記録レベルが、2mSv/3ヶ月、セシウムでは摂取後3日で14万Bqの体内存在量であるとのこと)、事故時にはバイオアッセイのデータも利用することから、本来の管理目的では問題となるものではない旨の返答があり、この話はここで終わった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-4.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <div><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-5.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></div> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-6.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <p>美浜発電所のWBCは、富士電機製で、分析はセイコーEG&amp;Gのマルチチャンネルアナライザーが使用されていた。2台あるWBCうちの1台にのみにNaI検出器が積んであるが、通常はプラスチック検出器のみの作動で、1分間のスクリーニングで引っかかった場合にのみ、NaIが使用されるものとのことであった。全員NaIで計測して頂いた結果としては、Cs-137, Cs-134は誰にも検出されなかったが、被験者18人中7人に、Bi-214の609keVまたはPb-214の352keVが見えていた。これについても、被験者には不安要因となっており、自然放射線であることの説明を要した。K-40の値については分析プログラムではすぐに出ないため、効率校正曲線を用いて計算した値として、口頭で伝達されていたが、5000~8000Bq程度の高い目の値であったため、定量性については検証の必要性を感じた。</p> <p>美浜発電所での継続的な実施については、関西電力の担当者は前向きな意向を示してくださっていたが、関西から福井県まで行くことの移動時間や移動費用の面の問題もあった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-7.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>美浜発電所のWBCでの被験者のスペクトルの例。自然放射線源のBi-214とPb-214が検出されたことが示されている。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p>京大原子炉実験所と関電美浜発電所での先行実施を、福島県での広い範囲の実施で確立されてきた方法と比較して、判明した問題点として次のようなことが言える。</p> <ul> <li>2013年12月に関西に派遣された福島県のWBC車での測定では、更衣の上、自然放射線源であるBi-214が付着しないよう静電気防止や、事前の表面汚染検査、WBCでセシウムが有限値で検出された場合には再更衣の上、再測定という対策がなされていた。しかし、2012年11月の原子炉実験所での測定、および12月の美浜発電所での測定では、更衣をはじめとした自然放射線への対策がされなかった。</li> <li>分析ソフトについては、特にCs-137の662keVとCs-134の605keVの複合ピークがあった場合に、Canberra社のGenie2000以外は、ピーク分離とその定量に問題があることが判明しているため、微量なセシウムの分析を行うためにはこの種の検証が必要である。また、ファントム校正も念入りに行う必要がある。しかし、これらの検証作業は、間借りする方式では、思うように行えない。</li> <li>どちらの施設のWBCも、標準的な測定のために1人10分間かかったため、1日あたりに検査できる人数が少ない。一方、福島県の多くで採用されているCanberra社のFastscanでは、大きいNaI検出器が2個ついているため、2分間で済む。従って、より多くの人数の測定を迅速に行うことができる。</li> </ul> <p>なお、今回の原子炉実験所のデータの分析のために、早野先生の公開されたレポート類を幾度となく参照させて頂いた。見よう見まねで取り組んで、身に沁みてわかったのは、早野先生達の福島県内各所でのWBCの校正作業は驚異的であるということである。その努力なくして、こんにちの福島県内での正確なWBC検査体制はありえなかったであろうことは、既に多くの方が言及されていることであるが、改めて指摘しておきたい。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">考えたこと・・・常識の違い</span></p> <p>私と坂東先生には、このセシウム有限値の問題が出てきたとき、認識の違いがあった。検出限界ぎりぎりでセシウムとして値が出た場合、それが微量であっても本当にセシウムであるかどうか、慎重に見極める必要があると私は考えたが、それは関係者の共通の見解ではなかった。坂東先生は当初、「そもそもこんな微量な量を測らなければならないというような基準値を設定して、どうするのか、そのためどれだけ無駄なエネルギーを使っているのか」とおっしゃり、検出限界ぎりぎりの有限値が、誤検出であるか否かを検証すべきことに、懐疑的であられた。誤検出を防ぐためには、(福島県のWBC車での測定でされていたように)更衣などの配慮や、スペクトル分析もピークをきちんと分析した丁寧な方法が採られるべきと私は考えたが、頼み込んで施設を利用させてもらっている立場としては、先方にそこまでの労力を求めることは困難であった。更衣については、原子炉実験所では、通常のWBC測定では行って測定しているものの、更衣が省略されたのは『出来るだけ多数の方の測定を行ってほしいとのご要望があったこと、また、当方がお聞きしていた測定目的が「放射線影響が発現するレベルでの摂取量でないことを証明すること(避難の方の安心の実証)」であり、微量の体内セシウムの精密測定であるとはお聞きしていなかった』からであるとのことであった。</p> <p>しかし、(科学的な真偽はどうであれ)たとえ微量なセシウムであっても、内部被曝をすれば、健康被害をもたらし得ると考える人が少なからず存在することには、一定の配慮が必要であったと思う。その上、(私は疑わしいと思っているが)今回の事故で撒き散らされた放射性物質による内部被曝よって、実際にその健康被害が起こっているとまで認識されている方も多くいる。特に現状の放射能汚染を危険であると判断して避難してきた方々に、その傾向は強いとみるべきだと思う。また、京都の送り火の騒動や、瓦礫の分散処理への反対運動などをみれば、そういった判断をする人も少なくないことは容易に想像できる。一方で、(一般に)放射線に携わっている科学者の間には、数万Bqの摂取ではじめて1mSvに届くくらいであるから、たかが数百Bqの有限値は、大して問題になるものではない、という認識が共通して根底にあるように思う。こういった、いわば「常識の違い」が引き起こす問題は無視できない。実際に、福島県内で数百Bqのセシウムの有限値の検査結果が郵便で送られてきたのを契機にして、避難を決断したというような話もあると聞いている。被験者との齟齬をできるだけ小さくするためには、測定値を出すとき、特にセシウムが有限値であることを言うときには、できる限りそれが正しいものであることに努めるべきであったと私は思っている。その配慮を行うことを、共通の理解として事前に関係者で共有できていなかったことが、大きな反省事項である。しかし今回は、測定直後に、丁寧に説明をして頂けたために、被験者との間では問題はほとんどなかったのが救いであった。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">勉強会とパンフレットについて</span></p> <p>これらのWBC検査の先行実施に先立ち、<a href="activity-report/ldm/seminar/415-detail-121031.html">2012年10月31日</a>と、<a href="activity-report/ldm/seminar/418-detail-121116.html">11月16日</a>に、私がアドバイザーになり、先行実施を受ける避難者のうち数名を招き、勉強会を実施した。放射線の種類、代表的な核種の崩壊様式、スペクトルの見方、事故で放出された核種の構成、生物学的半減期、慢性・急性の摂取シナリオと被曝線量の関係などの基礎的な知識を、インターネット上に公開されている資料(文部科学省の副読本、早野先生と宮崎先生のスライド等)から引用してまとめた資料を、あいんしゅたいんに出入りしている土田さんと私が中心になって用意し、説明を行った。避難者の伊藤さんと菅野さんも、ご自身で勉強したことを、資料を用意して他の避難者に説明された。この会で、避難者の方々から、初期被曝とその影響を非常に心配していることを教えられた。初期被曝と、震災後1年半後に行われるWBC検査との関係の説明の難しさを感じた。</p> <p>12月17日には、宮崎先生をお招きしてのセミナーが行われ、午前中には福島県内でのWBC検査やガラスバッジ調査の状況などを、私を含めたあいんしゅたいんのサポートメンバーに、午後には避難者の方を交えてその説明を詳細に行って頂いた。</p> <p>京大原子炉実験所での実施の反省に立って、検出限界についての統計の説明や、初期被曝についての説明を追加した資料を用意し、12月23日の関電美浜発電所に向かうバスの中で、被験者に配布し、私から口頭で説明を行った。</p> <p>その後、私の本業が忙しくなったことと、原子炉実験所のスペクトルの分析と考察に時間を取られるようになったため加わらなかったが、ホールボディカウンターについてのパンフレット作成するプロジェクトが進んだ。この経緯と内容については、坂東先生の<a href="images/blog/masako/blog110.pdf" target="_blank">ブログ110中の紹介スライド</a>のp.13-29あたりをご参照頂きたい。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">まとめ(反省と謝辞)</span></p> <p>避難者の要請が強く、実現したWBC検査であったが、関西の原子力施設での測定では自然放射線の排除や、丁寧なスペクトルの分析などに、必ずしも配慮が行き届いたものではなかった。原子力施設の管理目的のWBCと、微量な体内放射能を観察するWBCでは、求められる精度や、測定・分析において気を付けるべきことが少し異なることを、セシウムの健康被害を懸念する避難者に配慮し、極力正確な測定値を得ることについて、実施する私達の側が気を配り、先方に十分に確認して、共通の理解をもっておくべきところであったが、事前に十分に準備はできていなかった。従って、この点は検査に協力して頂いた施設の責任に帰すべきではないことを、強調しておきたい。</p> <p>これらの反省に立って、福島県からWBC車と、県内で測定に携わっている技術者の方々も派遣して頂き、2013年12月13~19日に京都府庁で、12月21~26日に兵庫県庁で、福島県内と同じプロトコルで測定が行われた。それぞれで100人以上、合計300人近くが検査を受けたと聞いている。</p> <p>この実施に至るまで、多くの方々にご支援を頂いた。京大原子炉実験所の教職員の皆様、関電力美浜発電所の皆様には、測定の実施と被験者に説明を頂いた。また、高橋千太郎・京大原子炉実験所副所長には、測定後にも大変お手を煩わせ、丁寧なご対応を頂いた。福島県立医科大学の宮崎真先生には、福島県内の対応でご多忙の中を、私達のために京都までおいで頂き、測定値の問題や測定後のケアなどについての助言など、手厚くサポートして頂いた。東京大学の早野龍五先生には、測定結果について大いにご心配をおかけした。京都女子大学の水野義之先生には、さまざまなアドバイスを頂き、坂東先生と私の間の侃々諤々の議論の仲裁に立って頂いた。松本紘・京大総長には、原子炉実験所との仲介を担って頂いた。福島県庁の方々には、先行実施について陰から支えて頂き、後のWBC車派遣に至るまで大変お世話を頂いた。測定避難者のとりまとめをしてくださった、伊藤早苗さん・遠藤雅彦さん・高野正巳さんにもご尽力頂いた。(株)ペスコの篠原邦彦先生のグループには、2013年12月に京都府庁と兵庫県庁に派遣されたWBC車での測定において、大変丁寧なご対応を頂き、相談会を行っていた私どもへも懇切にご協力を頂戴した。記して謝意を表したい。</p> <p>反省が多くなってしまったが、良かったことも最後に触れておきたい。福島県の実施するWBC検査では、その場では結果を言わず、後日に数値の結果を郵送する形式である。今回派遣して頂いたWBC車でも、その形式が踏襲された。しかし、2回行った先行実施においては、数値だけでなくスペクトルをその場で手渡すとともに、説明が入ったため、被験者の納得感は大きいものがあったようである。初期被曝の心配と、1年以上経った後のWBC検査とを関係させて理解している方、NDという結果や測定値そのものへの疑念を抱いている方もおられた。それは、懇談を行うことで、多少の議論があったとしも、時間が経ってから理解につながることがあるようであった。説明体制をきちんととることと、測定がセットになることが理想的であると考えられる。この点がはっきり理解されたことが、1年前の実施にて判明したポジティブな結果のひとつであった。また、その結果として、WBC検査に付随した相談体制を整えるという、今回の「<a href="fon/wfp.html">We love ふくしまプロジェクト</a>」に繋がったことを最後に明記しておきたい。</p> </td> </tr> </tbody> </table></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><strong>まえがき</strong></p> <p style="text-align: right;">坂東昌子</p> <p>関西にホールボディカウンター(WBC)車がやって来る!<br />思えば長い道のりでした。2012年秋に、京大原子炉と関電美浜発電所に行ってから今日まで、結果をいただいて生じる疑問をめぐって幾度議論を重ねたことか!メーリングリストを通じて、また顔を付き合わせて激論を交わしたこともしばしばでした。<br />なにしろ、ごく微量の放射線量を測定するには、それ相当の精密な測定器が必要なことはもちろんですが、たくさんの放射線が周りにあるとき、「いかにして体内から出てきた放射線だけを見分けるのか」が大変重要になります。ちょうど、雑音の多い中で特定の人の声を聞き分けるのと似ています。相手の声が雑音に比べて大きければ問題はありませんが、ひそひそ声を取り出すのは至難の業です。その場所場所によって異なる雑音(バックグランド)を、きちんと差っ引くには、まずできるだけ雑音を取り除いて周りを静かにすること、そこから雑音の性格をえぐり出し本物だけを取り出す技術(これを校正といいます。英語ではキャリブレーションと言って、このほうが馴染み深い人もいるでしょう。)、この腕が必要になります。<br />腕は磨くものです。でも、「おかしいな」と思ったとき、誰かに「おかしいのでは?」と言われたとき、しっかり受け止め、誤りを正していくための努力をすることによって、徐々に磨かれていくものです。経験を積んだ福島でのWBCの測定から、腕を磨いた方々との連携があれば、それだけ早く目の前にあるWBCでは、どのようにして校正すれば最も正確な値を出せるかという技術が向上します。この技術の向上は、世界的な発見といった華やかさはありませんが、こういう一見地味な仕事を日ごろから積み重ねておくことが、私たちが生活していくうえで、いざという場合に正確な測定ができるということになるのです。<br />残念ながら、こうした地道な研究に対して、予算が少なく、十分な設備が整っていないのが現状ということです。今回の3・11原発事故は、まさにこの大切な地味な仕事にきちんと予算の手当てをすることの大切さをいみじくも教えてくれました。</p> <p>原子炉での測定では制度をできるだけ上げるために1人10分の測定時間でした。今回の福島から派遣されたWBCはたったの2分で、もっと精度のいい測定結果が得られるのです。低線量放射線の影響についても同じですが、いざというときに、データでものが言えるだけの研究を日ごろ積み重ねていることが大切です。</p> <p>高原子炉実験所で、1日中お世話いただいた高橋千太郎先生が、「電力の三分の一が原子力で賄われていたにもかかわらず、事故時に必要となることが明白なWBCが十分に整備され、それに関連する研究に研究費が配分されてこなかったのか、別の言い方をすれば、ノーベル賞をとるような研究はもてはやされ、安全研究は常に日蔭の研究分野であるのか」と嘆かれるのも、もっともです。ご苦労を掛けたのだなと、今更に1年間を振りかえると感慨深いものがあります。</p> <p>そんな中で、一瀬さんは福島での測定についてしっかり把握しようと真摯に検討を続けられました。<br />私は、実験から正確な値をどうして求めるかについては、かなり甘い考えをしていたように思います。第1、雑音で見えなくなる程度の放射線量なら、そもそも生体に影響がないはずだから、「実際に私たちが日常周りから受けている放射線量に比べて同じ程度なのだから、心配しなくていいよ」といえばいいのではないか、それをわざわざより分けて正確な値を出すのは、意味がないじゃないか、そう思っていたように思います。なんで、そんなところにいつまでもこだわるのか、そんな無駄なエネルギーを使うのは意味がない、というようなことを一瀬さんに言って、さんざん議論したと思います。もちろん、微量な放射線をきちんと測る技術自体は、とても意味があります。<br />例えば、素粒子の世界での実験は、1兆個ものイベントの中にたった1つぐらいの割合で発生するヒッグス粒子を見分けて「確かにヒッグスだ」と同定しなければならないのですから、ゴミの中から宝物を探すようなものです。これが、今年のノーベル賞につながったのです。こういう時には、こだわることは意味があるのです。</p> <p>福島でWBC検査が始まって以後、福島で献身的に働いている方々は、経験を積み、腕を上げてきました。一瀬さんは、その校正の状況を、宮崎先生に教えを請い、早野先生のレポートを読み、見識を高めておられたのです。この皆さんの努力で、改善に改善を重ねている取り組みは、人間の持つ素晴らしさの証でもあります。こうして、福島の技術は全国のレベルをはるかに凌駕していたのです。私たちが、京都でWBC検査に取り組んだあと、侃々諤々で議論してきたことは、実は「もう1年も前の議論だよ」といわれても仕方なかったのです。こうして、私たちが、「ホールボディカウンター検査とは」というパンフレットを作ったときには、いろいろと議論を重ねました。そして、「どのように改善されていったのか」を知ると、それはいろいろな教訓を教えてくれるのです。</p> <p>今回、WBC車を迎えて、取り組む中で、福島のこうした改善工夫が随所に生かされ、実践されているのです。例えば、簡単なことですが、上着を脱いで付着したほこりからでる放射線源を取り除いて、検査することも実行されています。一瀬さんは、福島から派遣されたWBC車を見学して、「すごい改善されているのですね」とすぐに言われました。人間の素晴らしいところは、「はじめは失敗しても、着々と改善し向上する力を持っているのだ」ということですね。それを目の当たりにしました。その思いは、これからの危機に面した時の、当初の失敗、初期トラブルを改善し克服したとき、素晴らしい取り組みに見る見るうちに変わっていくのだ、という確信を与えてくれました。確かに、当初の行政の取り組みも、お医者さんの対応も、配慮にかけていた部分、間違いや失敗があったかもしれませんが、それが、ここ1、2年でこれだけ改善され、心のこもったやり方ができるようになったことを、しっかり見ておきたい、そう思います。</p> <p>ただ、そのためには、探究心があり、向上していこうという謙虚さが必要です。決して傲慢になったりしてはいけないのです。そして、また逆に、今までのやり方が間違っていることに気がついたときにも、隠そうとしたり目を背けたりしないで、しっかり前を向いていなければならない、これがなければ、科学的な真実を明らかにできないことを、痛感しました。</p> <p>そんな思いから、私の反省も込めて、ぜひ、一瀬さんの思いを記録に留めて欲しい、とお願いした次第です。一瀬さんのお話は、時には専門的になるところもありますが、以上のような経緯を頭に入れて、是非とも読んでいただきたいと思っています。「記録は短くてもいいので書いてください」とお願いしたのですが、「やはり短文では書ききれないので、できるだけ事実関係を正確に記述するように努めました。スペクトルも、今や見せてもいいのではとおっしゃってくださったので、それを前提に文章を組んでいます。」と、大作を書いていただきました。</p> <p>この取り組みを通して、あいんしゅたいんとして一貫して貫いてきたのは、「科学に基づいた真実を明らかにし、皆さんに伝える」ということでした。時には、自分の価値観とは異なる真実に向き合わねばならないこともあります。「あなたは原発に賛成ですか、反対ですか」と詰め寄られたこともあります。私は原発に批判的な立場をとってきましたし、大学の講義でも、一貫して「原発の技術はまだまだ未完成、廃棄物問題を解決しないまま原発設置に踏み切ったのは、時期尚早だった」と話していました。ただ、レントゲンやキュリー夫妻からはじまった原子力エネルギーの発見をともなう人類の自然の法則の発見まで含めて、それをまるで悪魔の存在のようにいうのは、間違っていると思います。放射線の影響が、たとえいかに少なくても危険だという立場から、原発に反対する側に有利だからと、間違ったことでも伝えるのは間違っています。プロでない人なら、その人と話し合って正しい認識に至ってもらおうと思いますが、科学者と自称する人が、「正しくない情報でも有利だから」という理由で素を突くのは許せません。それなら、科学者などと言わないでほしい、そう思っています。私たちは、法則を知ることによってよりよく生きられるのです。間違った知識でこれからの方針を決めると、当面はうまくいったように見えてもいつか破たんします。自然の掟は厳格で、謝ったらしっぺ返しを受けるのです。私たちにできることは、正しい情報を発信することです。価値観は人によって違います。あいんしゅたいんができることはここまでなのだと思います。</p> <p>あいんしゅたいんとして取り組んできた、関西でのWBC検査事業の総括の意味は大きいです。ちょっと難しいこともあるかもしれませんが、いろいろなことに配慮をしながら、丁寧に書かれた大作です。心ある方々にぜひ読んでいただきたいと思います。</p> <table style="width: 95%;" border="1" cellpadding="5" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p style="text-align: center;"><strong>関西でのホールボディカウンター検査の経緯</strong></p> <p style="text-align: right;">2014年1月20日 神戸高専 一瀬昌嗣</p> <p>2012年8月頃から2013年12月に至るまでの、関西における福島県外避難者のホールボディカウンター(WBC)検査の経緯を、坂東先生・宇野先生達の後方でお手伝いしてきた。その経緯を、坂東先生の依頼に従いまとめた。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">関西での先行実施の経緯</span></p> <p>関西で、避難者にWBC検査を受けてもらおうという取り組みの始まりは、2012年7月の坂東先生と、南相馬からの避難者の伊藤さんの出会いに始まる。このあたりの経緯は、坂東先生の<a href="blog-bando/238-blog90.html">ブログその90(2012年7月25日)</a>に紹介されている。</p> <p>それ以来、伊藤さんを含め、避難者の方々が、京都のあいんしゅたいんの事務所に出入りするようになった。そして、避難者の方々は内部被曝を心配しているけれども、検査を受けられない事情が伝わって来た。</p> <p>伊藤さんは、8月に福島県に帰られたときに、ある医療機関が移動式のワゴンで実施するWBC検査を受けてきた。そこの責任者の方に、避難先の京都までWBC検診をしに来てくれるように頼み、了承してもらったとのことであった。宇野先生は、あいんしゅたいんでそれを支援することも視野に入れて、動こうとされていた。</p> <p>しかし、その実機と検査票の写真を見せてもらい、さらにいろいろと調べるうちに、これはまずいことがわかった。まず、検出限界(MDA)がいくらかも書かれていない上に、Cs-134が238.9 ± 238.9Bq、Cs-137が262.3 ± 262.3 Bqなどの意味をなさない内容が印字された紙が、そのまま被験者に渡されており、説明も十分でなかったため、それだけの数値が検出されたと被験者に理解されていた。そしてなにより、そのWBCの実機が、「<a href="http://togetter.com/li/221898" target="_blank">遮蔽なしの椅子型ホールボディカウンターの出る幕はもうない</a>」と既に言われていた、ベラルーシ製の椅子型WBCのAT 1316であった。ワゴン車に積まれたそのWBCは、BGの高い福島県内で、遮蔽もおそらく適切な校正もろくにされずに、測定にまわっていた。さらにその医療機関のホームページで、被験者に追加プランとして勧めていた内容は、なんだかよくわからないキレート注射や、○○療法で、それが2万数千円の額であり、疑問を持たざるを得ないものであった。</p> <p>さまざまな方面から情報を収集し、京都のあいんしゅたいんの事務所で、伊藤さんはじめ、坂東先生、宇野先生と様々な側面から話し合った結果、この医療機関のWBC車を呼んで来るという方向性はとりやめることとなった。</p> <p>しかし、避難者のWBCへのニーズが高いままの状態で、放置するわけにはいかなかったため、さらに宇野先生が中心となって骨を折られ、WBC検査を受けられる機関を探すこととなった。関西に複数存在する緊急被ばく医療の二次被曝医療機関にいくつか打診されたものの、WBCがあっても、お蔵入りしていて、避難者の測定には使えないという回答であったとのことであった。後に、滋賀県避難者の会の高野さんからも、震災直後にWBCをもっている医療機関に何件も電話で問い合わせたけれども、無理だということで断られて結局受けられなかった、という事情もお聞きした。</p> <p>そんな中で、坂東先生と宇野先生が、大阪府熊取町の京大原子炉実験所でWBCを持っており、震災直後に福島県に派遣された人がそこで測定を受けたという情報を得られた。なお、この初期派遣者の測定結果は、<a href="http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/anzen_kiban/outcome/Proceedings_for_Web/Topics_5-03.pdf" target="_blank">国際会議のプロシーディングにまとめられて公開されている</a>。</p> <p>京大原子炉実験所へは、坂東先生・宇野先生から京大総長を経由して、<a href="npo-introduction/message/248-appeal6.html">要望書(2012年10月8日)</a>が出された結果、「管理用の機器であり、共同利用・共用は原則行っておりませんが、当方の業務にさし障りの無い範囲で、ご協力いただくことは可能」という返答が得られ、11月30日に先行実施として、9名の避難者と2名の協力者の、合計11名の検査が実施できた。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-1.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>京大原子炉実験所のWBC。純鉄で周囲が遮蔽されている。NaI検出器が上からぶら下がっている。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p>検査に際しては、原子炉実験所教職員の皆様に丁寧なご対応(校正の仕方の実演しながらの説明や、MONDAL3での線量評価の説明など)をして頂き、被験者の方々は非常に満足され、有意義なものとなった。ただ、この検査において、1名のみ有限のCs-137が計測されたと判断された方がおり、この測定値の分析を通じて、後述する問題が判明した。</p> <p>さらに、2012年の先行実施として、12月23日に福井県にある関西電力美浜発電所を訪問し、避難者17名と1名の協力者の検査を実施した。美浜発電所では、まずはPR館に通され、案内の係員の方々から、大人にお茶、子供にジュースが振る舞われ、測定待ちの時間に発電所内の案内まで実施して頂くなど、非常に気を遣って頂いた。測定結果としては18人全員が、Cs-137, Cs-134は検出されなかった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-2.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>美浜発電所の富士電機製WBC。手前側のみ、NaI検出器を積んでいる。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p> 二つの施設での先行実施の後、避難者の方々自身がさまざまな事情を総合して検討した結果、関西で原子力施設に設置されているWBCを間借りして、避難者の測定を続けていくことはせず、福島県内で実施しているプロトコルに基づいて、県のWBC車を呼んで来るのが良いと判断され、坂東先生・宇野先生が、2月7日に<a href="npo-introduction/message/247-appeal7.html">要望書</a>を出されて、直接福島県庁と交渉に当たられることになった。避難者の要望があれば可能との県庁の感触を得て、関西県外避難者の会(現・一般社団法人東日本大震災復興サポート協会)から要望書が出され、さらに8月29日に坂東先生・宇野先生からの<a href="npo-introduction/message/926-appeal8.html">追加の要望書</a>が出され、交渉が続けられた結果、この度の京都府庁と兵庫県庁WBC車派遣の運びとなった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-3.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>京都府と兵庫県に派遣されたWBC車での測定の様子(京都にて)。検査着に更衣の上、Canberra社のFastscanで2分間測定。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p style="text-align: center;"> <span style="text-decoration: underline;">関西で先行実施した結果判明した問題点</span></p> <p>原子炉実験所のWBCは、鉄室に入った独自の型式のもので、フォトマルとNaI検出器は富士電機製、マルチチャンネルアナライザーはセイコーEG&amp;G製とのことであった。しかし、管理目的に沿った独自の分析方法として、「134Csに関しては、エネルギーが137と近いこと、放射性セシウムとして一括してスクリーニングすることで管理上問題ないことから、弁別していません」との指針が採用されていた。当日、被験者のうち男性1名に若干の有限値のセシウムが検出されたと言い渡されたため、後にスペクトルの数値データを提供して頂いて分析した結果、この指針が問題となることが判明した。この分析の際に、京都女子大の水野義之先生からチャンネルの元のビンの取り方が細かすぎるので、合算して分析するようにアドバイスを頂き、8ch分のカウントをひとつのビンに取り直して分析を行った。その結果は、以下のようにまとめられる。(以下の考察の責任は、一瀬にあり、アドバイスを頂いた先生方にはない)</p> <ul> <li>プロトコルに基づいた分析方法では、150-2000keV を10個のROI(スペクトルの色分けの通り)に分け、管理上の測定として目的とする核種であるK-40, Co-60, Cs-137, I-131のROIが、それぞれの光電ピークのエネルギーの入る領域に設定され、各ROIにてBGを引いたカウント数が統計的に3σを超えたときに、下のエネルギーのROIから、それに比例したスピルオーバーのカウントをさらに引く手順になっていた。今回の測定では、チャンネルとエネルギーの対応が、K-40の領域で30keV程度ずれていたために、体重が大きい人ほどK-40の光電ピークが、K-40のROI (1390-1540 keV)からはみ出す面積が増え、K-40を過小評価することになってしまっていた。そのため、Cs-137のROI (590-740 keV)から差し引く、K-40のスピルオーバーのカウント数が少なくなり、下のエネルギーの高くなったベースラインも余分にカウントされ、Cs-137のROIでも、上がったカウントの分までが”Cs-137”とみなされていた(ベースライン・ドリフト)。このことは、1260keVより下の7つすべてのROIで起こっており、体重が大きい人(=K-40が多い=”K-40”のROIからはみ出す光電ピークの面積が大きい)ほどカウント数が大きく、体重が小さい人ほどカウント数が小さい傾向になっていた。</li> <li>更衣をしないまま検査されたため、被験者の衣服に付着したBi-214の609keVのピークが、そのまま、予め定められた”Cs-137”のROI (590-740keV)にカウントされていたとみなせる。また、検査当日は少雨であったので、衣服にBi-214が付着した可能性が高い。特に、”Cs-137”の有限値を言い渡された方のスペクトルには、Cs-134の794keVのピークが確認できないことから、主にBi-214がカウントされてしまったものと考えられる。</li> <li>Cs-137については、500Bqが検出限界との説明であったが、”Cs-137”のROIでの、統計的な3σから来た値がそれに対応してはいたが、上記のような機器や環境に依存する系統誤差、また、スピルオーバー引きに由来する統計誤差を含んでいなかった。</li> </ul> <p>これらの問題点を指摘して系統誤差を詰めるための話し合いを持ちたい旨の希望を坂東先生から送ってもらったが、WBCの設置目的があくまで施設使用者の数万Bq単位の汚染の管理目的の測定であること(内部被ばくの記録レベルが、2mSv/3ヶ月、セシウムでは摂取後3日で14万Bqの体内存在量であるとのこと)、事故時にはバイオアッセイのデータも利用することから、本来の管理目的では問題となるものではない旨の返答があり、この話はここで終わった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-4.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <div><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-5.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></div> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-6.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <p>美浜発電所のWBCは、富士電機製で、分析はセイコーEG&amp;Gのマルチチャンネルアナライザーが使用されていた。2台あるWBCうちの1台にのみにNaI検出器が積んであるが、通常はプラスチック検出器のみの作動で、1分間のスクリーニングで引っかかった場合にのみ、NaIが使用されるものとのことであった。全員NaIで計測して頂いた結果としては、Cs-137, Cs-134は誰にも検出されなかったが、被験者18人中7人に、Bi-214の609keVまたはPb-214の352keVが見えていた。これについても、被験者には不安要因となっており、自然放射線であることの説明を要した。K-40の値については分析プログラムではすぐに出ないため、効率校正曲線を用いて計算した値として、口頭で伝達されていたが、5000~8000Bq程度の高い目の値であったため、定量性については検証の必要性を感じた。</p> <p>美浜発電所での継続的な実施については、関西電力の担当者は前向きな意向を示してくださっていたが、関西から福井県まで行くことの移動時間や移動費用の面の問題もあった。</p> <p> <img src="images/fon/activity-report/wfpreport3-7.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="400" style="display: block; margin-left: auto; margin-right: auto; border-width: 0px;" /></p> <table style="width: 400px;" border="1" align="center"> <tbody> <tr> <td> <p>美浜発電所のWBCでの被験者のスペクトルの例。自然放射線源のBi-214とPb-214が検出されたことが示されている。</p> </td> </tr> </tbody> </table> <p>京大原子炉実験所と関電美浜発電所での先行実施を、福島県での広い範囲の実施で確立されてきた方法と比較して、判明した問題点として次のようなことが言える。</p> <ul> <li>2013年12月に関西に派遣された福島県のWBC車での測定では、更衣の上、自然放射線源であるBi-214が付着しないよう静電気防止や、事前の表面汚染検査、WBCでセシウムが有限値で検出された場合には再更衣の上、再測定という対策がなされていた。しかし、2012年11月の原子炉実験所での測定、および12月の美浜発電所での測定では、更衣をはじめとした自然放射線への対策がされなかった。</li> <li>分析ソフトについては、特にCs-137の662keVとCs-134の605keVの複合ピークがあった場合に、Canberra社のGenie2000以外は、ピーク分離とその定量に問題があることが判明しているため、微量なセシウムの分析を行うためにはこの種の検証が必要である。また、ファントム校正も念入りに行う必要がある。しかし、これらの検証作業は、間借りする方式では、思うように行えない。</li> <li>どちらの施設のWBCも、標準的な測定のために1人10分間かかったため、1日あたりに検査できる人数が少ない。一方、福島県の多くで採用されているCanberra社のFastscanでは、大きいNaI検出器が2個ついているため、2分間で済む。従って、より多くの人数の測定を迅速に行うことができる。</li> </ul> <p>なお、今回の原子炉実験所のデータの分析のために、早野先生の公開されたレポート類を幾度となく参照させて頂いた。見よう見まねで取り組んで、身に沁みてわかったのは、早野先生達の福島県内各所でのWBCの校正作業は驚異的であるということである。その努力なくして、こんにちの福島県内での正確なWBC検査体制はありえなかったであろうことは、既に多くの方が言及されていることであるが、改めて指摘しておきたい。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">考えたこと・・・常識の違い</span></p> <p>私と坂東先生には、このセシウム有限値の問題が出てきたとき、認識の違いがあった。検出限界ぎりぎりでセシウムとして値が出た場合、それが微量であっても本当にセシウムであるかどうか、慎重に見極める必要があると私は考えたが、それは関係者の共通の見解ではなかった。坂東先生は当初、「そもそもこんな微量な量を測らなければならないというような基準値を設定して、どうするのか、そのためどれだけ無駄なエネルギーを使っているのか」とおっしゃり、検出限界ぎりぎりの有限値が、誤検出であるか否かを検証すべきことに、懐疑的であられた。誤検出を防ぐためには、(福島県のWBC車での測定でされていたように)更衣などの配慮や、スペクトル分析もピークをきちんと分析した丁寧な方法が採られるべきと私は考えたが、頼み込んで施設を利用させてもらっている立場としては、先方にそこまでの労力を求めることは困難であった。更衣については、原子炉実験所では、通常のWBC測定では行って測定しているものの、更衣が省略されたのは『出来るだけ多数の方の測定を行ってほしいとのご要望があったこと、また、当方がお聞きしていた測定目的が「放射線影響が発現するレベルでの摂取量でないことを証明すること(避難の方の安心の実証)」であり、微量の体内セシウムの精密測定であるとはお聞きしていなかった』からであるとのことであった。</p> <p>しかし、(科学的な真偽はどうであれ)たとえ微量なセシウムであっても、内部被曝をすれば、健康被害をもたらし得ると考える人が少なからず存在することには、一定の配慮が必要であったと思う。その上、(私は疑わしいと思っているが)今回の事故で撒き散らされた放射性物質による内部被曝よって、実際にその健康被害が起こっているとまで認識されている方も多くいる。特に現状の放射能汚染を危険であると判断して避難してきた方々に、その傾向は強いとみるべきだと思う。また、京都の送り火の騒動や、瓦礫の分散処理への反対運動などをみれば、そういった判断をする人も少なくないことは容易に想像できる。一方で、(一般に)放射線に携わっている科学者の間には、数万Bqの摂取ではじめて1mSvに届くくらいであるから、たかが数百Bqの有限値は、大して問題になるものではない、という認識が共通して根底にあるように思う。こういった、いわば「常識の違い」が引き起こす問題は無視できない。実際に、福島県内で数百Bqのセシウムの有限値の検査結果が郵便で送られてきたのを契機にして、避難を決断したというような話もあると聞いている。被験者との齟齬をできるだけ小さくするためには、測定値を出すとき、特にセシウムが有限値であることを言うときには、できる限りそれが正しいものであることに努めるべきであったと私は思っている。その配慮を行うことを、共通の理解として事前に関係者で共有できていなかったことが、大きな反省事項である。しかし今回は、測定直後に、丁寧に説明をして頂けたために、被験者との間では問題はほとんどなかったのが救いであった。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">勉強会とパンフレットについて</span></p> <p>これらのWBC検査の先行実施に先立ち、<a href="activity-report/ldm/seminar/415-detail-121031.html">2012年10月31日</a>と、<a href="activity-report/ldm/seminar/418-detail-121116.html">11月16日</a>に、私がアドバイザーになり、先行実施を受ける避難者のうち数名を招き、勉強会を実施した。放射線の種類、代表的な核種の崩壊様式、スペクトルの見方、事故で放出された核種の構成、生物学的半減期、慢性・急性の摂取シナリオと被曝線量の関係などの基礎的な知識を、インターネット上に公開されている資料(文部科学省の副読本、早野先生と宮崎先生のスライド等)から引用してまとめた資料を、あいんしゅたいんに出入りしている土田さんと私が中心になって用意し、説明を行った。避難者の伊藤さんと菅野さんも、ご自身で勉強したことを、資料を用意して他の避難者に説明された。この会で、避難者の方々から、初期被曝とその影響を非常に心配していることを教えられた。初期被曝と、震災後1年半後に行われるWBC検査との関係の説明の難しさを感じた。</p> <p>12月17日には、宮崎先生をお招きしてのセミナーが行われ、午前中には福島県内でのWBC検査やガラスバッジ調査の状況などを、私を含めたあいんしゅたいんのサポートメンバーに、午後には避難者の方を交えてその説明を詳細に行って頂いた。</p> <p>京大原子炉実験所での実施の反省に立って、検出限界についての統計の説明や、初期被曝についての説明を追加した資料を用意し、12月23日の関電美浜発電所に向かうバスの中で、被験者に配布し、私から口頭で説明を行った。</p> <p>その後、私の本業が忙しくなったことと、原子炉実験所のスペクトルの分析と考察に時間を取られるようになったため加わらなかったが、ホールボディカウンターについてのパンフレット作成するプロジェクトが進んだ。この経緯と内容については、坂東先生の<a href="images/blog/masako/blog110.pdf" target="_blank">ブログ110中の紹介スライド</a>のp.13-29あたりをご参照頂きたい。</p> <p style="text-align: center;"><span style="text-decoration: underline;">まとめ(反省と謝辞)</span></p> <p>避難者の要請が強く、実現したWBC検査であったが、関西の原子力施設での測定では自然放射線の排除や、丁寧なスペクトルの分析などに、必ずしも配慮が行き届いたものではなかった。原子力施設の管理目的のWBCと、微量な体内放射能を観察するWBCでは、求められる精度や、測定・分析において気を付けるべきことが少し異なることを、セシウムの健康被害を懸念する避難者に配慮し、極力正確な測定値を得ることについて、実施する私達の側が気を配り、先方に十分に確認して、共通の理解をもっておくべきところであったが、事前に十分に準備はできていなかった。従って、この点は検査に協力して頂いた施設の責任に帰すべきではないことを、強調しておきたい。</p> <p>これらの反省に立って、福島県からWBC車と、県内で測定に携わっている技術者の方々も派遣して頂き、2013年12月13~19日に京都府庁で、12月21~26日に兵庫県庁で、福島県内と同じプロトコルで測定が行われた。それぞれで100人以上、合計300人近くが検査を受けたと聞いている。</p> <p>この実施に至るまで、多くの方々にご支援を頂いた。京大原子炉実験所の教職員の皆様、関電力美浜発電所の皆様には、測定の実施と被験者に説明を頂いた。また、高橋千太郎・京大原子炉実験所副所長には、測定後にも大変お手を煩わせ、丁寧なご対応を頂いた。福島県立医科大学の宮崎真先生には、福島県内の対応でご多忙の中を、私達のために京都までおいで頂き、測定値の問題や測定後のケアなどについての助言など、手厚くサポートして頂いた。東京大学の早野龍五先生には、測定結果について大いにご心配をおかけした。京都女子大学の水野義之先生には、さまざまなアドバイスを頂き、坂東先生と私の間の侃々諤々の議論の仲裁に立って頂いた。松本紘・京大総長には、原子炉実験所との仲介を担って頂いた。福島県庁の方々には、先行実施について陰から支えて頂き、後のWBC車派遣に至るまで大変お世話を頂いた。測定避難者のとりまとめをしてくださった、伊藤早苗さん・遠藤雅彦さん・高野正巳さんにもご尽力頂いた。(株)ペスコの篠原邦彦先生のグループには、2013年12月に京都府庁と兵庫県庁に派遣されたWBC車での測定において、大変丁寧なご対応を頂き、相談会を行っていた私どもへも懇切にご協力を頂戴した。記して謝意を表したい。</p> <p>反省が多くなってしまったが、良かったことも最後に触れておきたい。福島県の実施するWBC検査では、その場では結果を言わず、後日に数値の結果を郵送する形式である。今回派遣して頂いたWBC車でも、その形式が踏襲された。しかし、2回行った先行実施においては、数値だけでなくスペクトルをその場で手渡すとともに、説明が入ったため、被験者の納得感は大きいものがあったようである。初期被曝の心配と、1年以上経った後のWBC検査とを関係させて理解している方、NDという結果や測定値そのものへの疑念を抱いている方もおられた。それは、懇談を行うことで、多少の議論があったとしも、時間が経ってから理解につながることがあるようであった。説明体制をきちんととることと、測定がセットになることが理想的であると考えられる。この点がはっきり理解されたことが、1年前の実施にて判明したポジティブな結果のひとつであった。また、その結果として、WBC検査に付随した相談体制を整えるという、今回の「<a href="fon/wfp.html">We love ふくしまプロジェクト</a>」に繋がったことを最後に明記しておきたい。</p> </td> </tr> </tbody> </table></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2013 レポート2 2014-01-04T08:57:35+09:00 2014-01-04T08:57:35+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1025-wfp2013-report2.html 宇野賀津子 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>We love ふくしま プロジェクト in Kyoto &amp; Hyogo</strong></span></p> <p style="text-align: right;">報告 宇野賀津子</p> <p>2012年の6月に、南相馬から避難してこられた伊藤さんからの依頼に端を発した関西でのホールボディーカウンター検査をとの取り組みが実現し、2013年12月13日から19日まで京都府庁、つづいて21日から26日まで兵庫県庁に、検診車が福島から来て実施された。検診を受けられた方は、両方併せて約300人ぐらいである。この検診に併せて、「<a href="fon/wfp.html">We love ふくしま プロジェクト</a>」の実行委員会を組織した。実行委員会にはNPOあいんしゅたいんや東日本大震災復興サポート協会他11チームが参加した。</p> <p>この間、京都で4日間、兵庫で3日間、「寄ってみっぺカフェ」の運営に係わった。そこでのアンケートや質問のまとめにはもう少し時間を頂くとして、その概要を紹介し、学んだこと、感じたことを紹介する。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />We love 福島 プロジェクト in Kyoto</strong></p> <p>京都の検診会場は、京都府庁の職員福利厚生センター3階に受付・説明・着替え会場があり、福利センター前に止めた検診車で検診が行われた。受診者は、3階で受付、検診の概要の説明を受け、着替えをしてエレベーターで1階へ降りてセンター前に止めてある検診車でホールボディー検診を受けた。着てきたオーバーを皆様着ていかれたとはいえ、ジャージにコートだけではかなり寒い思いをされたようである。さらに、「寄ってみっぺカフェ」は、2号館を通り抜け、旧本館にある、NPOパートナーシップ会議室で行われていたため、受付で案内を渡していただいたとは言え、初日の午前中は知らずに帰られる人が多かった。誘導する案内板の掲示に府庁側からクレームが付き(担当関係者は板挟みで迷惑をかけたが、府庁全体として、もう少し柔軟に対応してほしいと思ったしだいである)検診会場からの誘導は困難と考え、午後からはスタッフがエレベーター下で待って、交代でお迎えに行くことにし、やっと誘導体制が整った。</p> <p>カフェは、京都府立医大他の先生方による健康相談、東日本大震災避難者の会による生活相談、ナリス化粧品心人プロジェクトによる匂い袋作成とハンドマッサージ、チーム若者によるおもしろサイエンスと、各コーナーを作って実施した。暖かいおいしいコーヒーや飲み物はとても歓迎された。かなり緊張した顔でいらしてちょっとだけと言われた方が、ハンドマッサージを受けられるととてもよくお話されるようになり、生活相談、健康相談と1時間ぐらいゆっくりされていく方が何人もおられた。土、日は間浦さん率いるチーム若者のおもしろサイエンスコーナーは、光華高校生も参加して子供たちに大人気だった。子供は若者チームが相手をして、お母さんやお父さんは、ハンドマッサージを受けてリラックスという風景も見られた。</p> <p>今回資料としては、「ホールボディーカウンター検査とは」「低線量放射線を超えて」「パストール通信」「フォローアップの集いの案内」「ベクレル→シーベルト換算表のクリアファイル」を用意した。特にチーム若者による「ベクレル→シーベルト換算表のクリアファイル」は中々の人気で、アイデアに皆様感心されていた。伊藤さんの紙芝居もその迫力と福島弁に皆様とても喜ばれた。</p> <p>放射線影響については、平行線の議論もあったが、一方では、多様な人材による対応に、感謝されて帰られた方も多かったように思った。家族で来られた方は一定の情報をもっておられたが、お一人の人では、ほとんど情報が伝わっていない様子もうかがえた。</p> <p>また、京都内でも汚染された腐葉土問題があって、以降体調不良が続いていて、相談に来られた方もいた。この件については、ハンドマッサージや医師や私たちと話される中で、かなりリラックスされ、さらに後日事実関係を確かめて関連資料やあったとしてもその被ばく量はわずかであることを計算しその資料をお送りし対応したところ、とても喜ばれて、かなり不安が解消されたようであった。不安を煽るだけでなく、その後のきちっとした対応の必要性を学んだ。</p> <p align="left">なお、今回の派遣されたホールボディーカウンター検査に当ったチームはペスコという会社で、ここでは所長の篠原氏他スタッフによるホールボディーカウンター検査についての、事前説明が行われていた。事前説明を実施しているのは、ペスコのチームだけと聞いて逆に、少し驚いた。東海村の研究所では事前の集合説明、測定後マンツーマンでの詳細な説明をしているとのこと、現実には多くの病院などではビデオ上映か簡単な説明のみで今回のような事前の詳しい説明、検査結果の見方についての説明はペスコのみというのが事実らしい。一緒に拝聴したが非常に丁寧で、何故、着替えが必要かも含めきちっとした説明がなされていた。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />We love 福島 プロジェクト in Hyogo</strong></p> <p>兵庫県庁1号館前の検診車が陣取り、そのすぐ裏の1階の部屋で受付・説明、着替えが行われた。「寄ってみっぺカフェ」は受付会場のとなりで、京都の会場の1/3程度ではあったが、スタッフも少なかったのでちょうど良い大きさであった。21-23日まで休日開催したが、となりで開催分、殆どのかたが寄ってくださり、京都よりもスタッフの疲労感が少なかった。検診スタッフ、県庁職員との関係も場所が近い分スムーズであった。検診者のいないときには、ペスコの方々との意見交換もでき、おおいに勉強になった。健康相談は初日午前のみ兵庫医大の上紺屋先生が担当してくださったが、相談された方はとてもよろこんでおられやはり余裕があれば、健康相談の体制はほしいところである。ハンドマッサージもここでは宇野が紹介した。殆どのかたが、ハンドマッサージをお教えしましょうかと言うと、歓迎だった。特に、何故、ここでハンドマッサージを用意したか、2012年4月に福島県庁に行った際、学術振興会の講師によるお母さん向け講演会の提案をしたら、県会議員の長尾とも子氏に「今、福島に必要なのはえらい先生よりアロマです」と、言われた話をすると皆様そうですねととても共感されていた。</p> <p>22日午後には長尾さんも福島から来られ、色々と避難者と話していかれた。おみやげの「ゆべし」と「薄皮まんじゅう」を皆さん懐かしがって、喜ばれた。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />関西でのホールボディカウンター検査から学んだこと</strong></p> <p>今回の検査での申し込みは、休日はかなり一杯であったが、平日は十数件と少なく、少しもったいなかった。また兵庫では、検診が子供だけと思ってきて、親も受けられると聞いて急遽受けた方々がいた。受付の場での柔軟な対応は、とても良かった。ただ、県のほうの受付の電話が休日は対応していないなど、課題もある。なお効率から考えると、特に県外での検診は、土、日を中心に実施する方が効率的であろう。また1週間などという長期間でなくとも、3日程度でもこまめに回る方が、より多くのかたに受けてもらえるのではないかと思った。</p> <p>事前説明を実施しているのは、ペスコのチームだけと聞いて少し驚いた。やはりホールボディー検診については、何度も説明をきちっとしていくことが必要と改めておもった。事前説明→測定→NPOによるフォローという体制は、今後の検診の一つのモデルとなると考える。アンケートの結果の整理が必要であるが、「寄ってみっぺカフェ」での色々な人による説明はかなり安心に繋がったように思う。県外避難者はとりわけ、不信感や不安感の強い方も多いだけに、多様な背景をもった人に対応してもらうことで、心がほぐれることも経験した。若者チームによる子供対応も威力を発揮した。子供を気にせずに話できる体制は、色々な説明を落ち着いて聞く環境に繋がる。ここでの経験を今後に繋げることが出来れば幸いである。また、関西での検診が、福島からの避難者の放射線に関する不安の段階的払拭あるいは部分的解消の一助になることを願っているし、多少ともその目的は達成されたのではないだろうか。</p> <p>もう一つ感じた事は、原発事故初期の時に情報がなかったと言われた人が多かった。混乱する情報のなかで、判断され、今に至っている。事故直後もう少し、政府が、科学者が適切な情報発信が出来なかったのだろうかと思わずにはいられない。せめてSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータでももう少しきちっと届いていたらと思わないでもない。この経験をまとめて、次に繋げなければならないと改めて思った次第である。</p></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>We love ふくしま プロジェクト in Kyoto &amp; Hyogo</strong></span></p> <p style="text-align: right;">報告 宇野賀津子</p> <p>2012年の6月に、南相馬から避難してこられた伊藤さんからの依頼に端を発した関西でのホールボディーカウンター検査をとの取り組みが実現し、2013年12月13日から19日まで京都府庁、つづいて21日から26日まで兵庫県庁に、検診車が福島から来て実施された。検診を受けられた方は、両方併せて約300人ぐらいである。この検診に併せて、「<a href="fon/wfp.html">We love ふくしま プロジェクト</a>」の実行委員会を組織した。実行委員会にはNPOあいんしゅたいんや東日本大震災復興サポート協会他11チームが参加した。</p> <p>この間、京都で4日間、兵庫で3日間、「寄ってみっぺカフェ」の運営に係わった。そこでのアンケートや質問のまとめにはもう少し時間を頂くとして、その概要を紹介し、学んだこと、感じたことを紹介する。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />We love 福島 プロジェクト in Kyoto</strong></p> <p>京都の検診会場は、京都府庁の職員福利厚生センター3階に受付・説明・着替え会場があり、福利センター前に止めた検診車で検診が行われた。受診者は、3階で受付、検診の概要の説明を受け、着替えをしてエレベーターで1階へ降りてセンター前に止めてある検診車でホールボディー検診を受けた。着てきたオーバーを皆様着ていかれたとはいえ、ジャージにコートだけではかなり寒い思いをされたようである。さらに、「寄ってみっぺカフェ」は、2号館を通り抜け、旧本館にある、NPOパートナーシップ会議室で行われていたため、受付で案内を渡していただいたとは言え、初日の午前中は知らずに帰られる人が多かった。誘導する案内板の掲示に府庁側からクレームが付き(担当関係者は板挟みで迷惑をかけたが、府庁全体として、もう少し柔軟に対応してほしいと思ったしだいである)検診会場からの誘導は困難と考え、午後からはスタッフがエレベーター下で待って、交代でお迎えに行くことにし、やっと誘導体制が整った。</p> <p>カフェは、京都府立医大他の先生方による健康相談、東日本大震災避難者の会による生活相談、ナリス化粧品心人プロジェクトによる匂い袋作成とハンドマッサージ、チーム若者によるおもしろサイエンスと、各コーナーを作って実施した。暖かいおいしいコーヒーや飲み物はとても歓迎された。かなり緊張した顔でいらしてちょっとだけと言われた方が、ハンドマッサージを受けられるととてもよくお話されるようになり、生活相談、健康相談と1時間ぐらいゆっくりされていく方が何人もおられた。土、日は間浦さん率いるチーム若者のおもしろサイエンスコーナーは、光華高校生も参加して子供たちに大人気だった。子供は若者チームが相手をして、お母さんやお父さんは、ハンドマッサージを受けてリラックスという風景も見られた。</p> <p>今回資料としては、「ホールボディーカウンター検査とは」「低線量放射線を超えて」「パストール通信」「フォローアップの集いの案内」「ベクレル→シーベルト換算表のクリアファイル」を用意した。特にチーム若者による「ベクレル→シーベルト換算表のクリアファイル」は中々の人気で、アイデアに皆様感心されていた。伊藤さんの紙芝居もその迫力と福島弁に皆様とても喜ばれた。</p> <p>放射線影響については、平行線の議論もあったが、一方では、多様な人材による対応に、感謝されて帰られた方も多かったように思った。家族で来られた方は一定の情報をもっておられたが、お一人の人では、ほとんど情報が伝わっていない様子もうかがえた。</p> <p>また、京都内でも汚染された腐葉土問題があって、以降体調不良が続いていて、相談に来られた方もいた。この件については、ハンドマッサージや医師や私たちと話される中で、かなりリラックスされ、さらに後日事実関係を確かめて関連資料やあったとしてもその被ばく量はわずかであることを計算しその資料をお送りし対応したところ、とても喜ばれて、かなり不安が解消されたようであった。不安を煽るだけでなく、その後のきちっとした対応の必要性を学んだ。</p> <p align="left">なお、今回の派遣されたホールボディーカウンター検査に当ったチームはペスコという会社で、ここでは所長の篠原氏他スタッフによるホールボディーカウンター検査についての、事前説明が行われていた。事前説明を実施しているのは、ペスコのチームだけと聞いて逆に、少し驚いた。東海村の研究所では事前の集合説明、測定後マンツーマンでの詳細な説明をしているとのこと、現実には多くの病院などではビデオ上映か簡単な説明のみで今回のような事前の詳しい説明、検査結果の見方についての説明はペスコのみというのが事実らしい。一緒に拝聴したが非常に丁寧で、何故、着替えが必要かも含めきちっとした説明がなされていた。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />We love 福島 プロジェクト in Hyogo</strong></p> <p>兵庫県庁1号館前の検診車が陣取り、そのすぐ裏の1階の部屋で受付・説明、着替えが行われた。「寄ってみっぺカフェ」は受付会場のとなりで、京都の会場の1/3程度ではあったが、スタッフも少なかったのでちょうど良い大きさであった。21-23日まで休日開催したが、となりで開催分、殆どのかたが寄ってくださり、京都よりもスタッフの疲労感が少なかった。検診スタッフ、県庁職員との関係も場所が近い分スムーズであった。検診者のいないときには、ペスコの方々との意見交換もでき、おおいに勉強になった。健康相談は初日午前のみ兵庫医大の上紺屋先生が担当してくださったが、相談された方はとてもよろこんでおられやはり余裕があれば、健康相談の体制はほしいところである。ハンドマッサージもここでは宇野が紹介した。殆どのかたが、ハンドマッサージをお教えしましょうかと言うと、歓迎だった。特に、何故、ここでハンドマッサージを用意したか、2012年4月に福島県庁に行った際、学術振興会の講師によるお母さん向け講演会の提案をしたら、県会議員の長尾とも子氏に「今、福島に必要なのはえらい先生よりアロマです」と、言われた話をすると皆様そうですねととても共感されていた。</p> <p>22日午後には長尾さんも福島から来られ、色々と避難者と話していかれた。おみやげの「ゆべし」と「薄皮まんじゅう」を皆さん懐かしがって、喜ばれた。</p> <p style="text-align: center;"><strong><br />関西でのホールボディカウンター検査から学んだこと</strong></p> <p>今回の検査での申し込みは、休日はかなり一杯であったが、平日は十数件と少なく、少しもったいなかった。また兵庫では、検診が子供だけと思ってきて、親も受けられると聞いて急遽受けた方々がいた。受付の場での柔軟な対応は、とても良かった。ただ、県のほうの受付の電話が休日は対応していないなど、課題もある。なお効率から考えると、特に県外での検診は、土、日を中心に実施する方が効率的であろう。また1週間などという長期間でなくとも、3日程度でもこまめに回る方が、より多くのかたに受けてもらえるのではないかと思った。</p> <p>事前説明を実施しているのは、ペスコのチームだけと聞いて少し驚いた。やはりホールボディー検診については、何度も説明をきちっとしていくことが必要と改めておもった。事前説明→測定→NPOによるフォローという体制は、今後の検診の一つのモデルとなると考える。アンケートの結果の整理が必要であるが、「寄ってみっぺカフェ」での色々な人による説明はかなり安心に繋がったように思う。県外避難者はとりわけ、不信感や不安感の強い方も多いだけに、多様な背景をもった人に対応してもらうことで、心がほぐれることも経験した。若者チームによる子供対応も威力を発揮した。子供を気にせずに話できる体制は、色々な説明を落ち着いて聞く環境に繋がる。ここでの経験を今後に繋げることが出来れば幸いである。また、関西での検診が、福島からの避難者の放射線に関する不安の段階的払拭あるいは部分的解消の一助になることを願っているし、多少ともその目的は達成されたのではないだろうか。</p> <p>もう一つ感じた事は、原発事故初期の時に情報がなかったと言われた人が多かった。混乱する情報のなかで、判断され、今に至っている。事故直後もう少し、政府が、科学者が適切な情報発信が出来なかったのだろうかと思わずにはいられない。せめてSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータでももう少しきちっと届いていたらと思わないでもない。この経験をまとめて、次に繋げなければならないと改めて思った次第である。</p></div> 「We love ふくしま プロジェクト」2013 レポート1 2014-01-04T08:51:11+09:00 2014-01-04T08:51:11+09:00 https://jein.jp/fon/activity-report/1024-wfp2013-report1.html 栗原賢太郎 <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>We Love ふくしま プロジェクト レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都光華高等学校 理科教諭 栗原賢太郎</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-1.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />福島から京都へ避難して来られた方々のため、福島県からホールボディカウンター検診車が京都府庁にやって来ました。それに伴う各種イベントの一つである「おもしろサイエンスコーナー」を12月14日(土)と15日(日)の二日間、本校の生徒がお手伝いさせて頂くことになりました。</p> <p>当プロジェクトに参加した生徒は、高校1年生と2年生を合わせて11名。そのうち、1年生は「ボス」である間浦幹浩さん(京都大学理学部3回生)の助手として働きました。この日のために、2回にわたり、本校の実験室にて、間浦さんとの綿密な打合せを行った甲斐あって(もちろん、間浦さんのご指導のお陰で)、訪れた子どもたちと触れ合いながら、スライムや浮沈子、フィルムケース爆弾などの実験を演示したり、体験させたりしていました。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-2.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />2年生は、ポスター発表を担当。放射線について、感情的にではなく、科学的に正しく理解することを目指して取り組んできた放射線についての学習成果をポスターにまとめました。せっかくの機会だったので、検診に来られた方々にもポスター発表を聞いてもらいたかったというのが正直なところですが、関係の先生方がとても熱心に発表を聞いて下さったことは本当にありがたいことでした。先生方からは、今後の学習活動につながるアドバイスやご指摘を頂戴することができ、生徒たちも非常に満足した表情を見せていました。</p> <p>そもそも、本校が当プロジェクトに参加させて頂くことになったのは、今年の6月に実施したサイエンス・パートナーシップ・プログラム(SPP)講座での連携がきっかけでした。それからというもの、坂東先生(NPO法人あいんしゅたいん)や角山先生(京都大学放射性同位元素総合センター)のご指導のもと、生徒たちは放射線についての学習に真剣に取り組んできました。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-3.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />お二方との出会いが、本校の理科教育に質的転換をもたらしたことに間違いはありません。今後も、知的な交流と連携の輪を大事にしながら、生徒に科学的態度を身につけてもらえるような教育の実践を展開していきたいと、強く、そして改めて実感した今回のイベントでした。</p> <p>お声がけ頂きましたことを、心から感謝申し上げます。</p></div> <div class="feed-description"><p style="text-align: center;"><span style="font-size: 14px;"><strong>We Love ふくしま プロジェクト レポート</strong></span></p> <p style="text-align: right;">京都光華高等学校 理科教諭 栗原賢太郎</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-1.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />福島から京都へ避難して来られた方々のため、福島県からホールボディカウンター検診車が京都府庁にやって来ました。それに伴う各種イベントの一つである「おもしろサイエンスコーナー」を12月14日(土)と15日(日)の二日間、本校の生徒がお手伝いさせて頂くことになりました。</p> <p>当プロジェクトに参加した生徒は、高校1年生と2年生を合わせて11名。そのうち、1年生は「ボス」である間浦幹浩さん(京都大学理学部3回生)の助手として働きました。この日のために、2回にわたり、本校の実験室にて、間浦さんとの綿密な打合せを行った甲斐あって(もちろん、間浦さんのご指導のお陰で)、訪れた子どもたちと触れ合いながら、スライムや浮沈子、フィルムケース爆弾などの実験を演示したり、体験させたりしていました。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-2.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />2年生は、ポスター発表を担当。放射線について、感情的にではなく、科学的に正しく理解することを目指して取り組んできた放射線についての学習成果をポスターにまとめました。せっかくの機会だったので、検診に来られた方々にもポスター発表を聞いてもらいたかったというのが正直なところですが、関係の先生方がとても熱心に発表を聞いて下さったことは本当にありがたいことでした。先生方からは、今後の学習活動につながるアドバイスやご指摘を頂戴することができ、生徒たちも非常に満足した表情を見せていました。</p> <p>そもそも、本校が当プロジェクトに参加させて頂くことになったのは、今年の6月に実施したサイエンス・パートナーシップ・プログラム(SPP)講座での連携がきっかけでした。それからというもの、坂東先生(NPO法人あいんしゅたいん)や角山先生(京都大学放射性同位元素総合センター)のご指導のもと、生徒たちは放射線についての学習に真剣に取り組んできました。</p> <p><img src="images/fon/activity-report/wfpreport1-3.jpg" border="0" title="クリックすると拡大画像でご覧いただけます" width="200" style="margin-bottom: 10px; float: right; margin-left: 10px;" />お二方との出会いが、本校の理科教育に質的転換をもたらしたことに間違いはありません。今後も、知的な交流と連携の輪を大事にしながら、生徒に科学的態度を身につけてもらえるような教育の実践を展開していきたいと、強く、そして改めて実感した今回のイベントでした。</p> <p>お声がけ頂きましたことを、心から感謝申し上げます。</p></div>