2017年07月22日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 26

クニマス速報展示会見学記

1月23日の日曜日、京大総合博物館に行く用事があって午前中にエントランスホールにおったら、「70年ぶりのクニマス生存確認」で最近大きな話題を提供している中坊徹次教授にばったり会った。今から五年ほど前になるが、湯川・朝永生誕百年記念巡回展をするためのパネル・展示ボックス・展示場工作など仕事の契約・発注は博物館を通じてなされることになった。当時、中坊さんは博物館の館長であったが、彼は業者との交渉には出てきていろいろ一緒に仕事をしてくれた。展示会の経験が豊富な様で、彼のアドバイスは資金を有効に使うために役立った。最近よくテレビでお顔を拝見していたの、懐かしく思い出していた矢先だった。

私は知らずに博物館に行ったのだが、この日は二階の展示場の一角にクニマスの標本などが展示してあること、またこの日の午後に中坊さんの講演があることを知った。昼に百万遍でカレーを食べて博物館に戻ると、クニマス目当てなのか来館者が目立って増えていた。講演会場は混雑すると思ったので30分前ぐらいに会場に行くと、もう一杯の感じだった。すごい人気である。(ちなみに、入館は有料だが、70歳以上は無料であることを知った。市バスの老人敬老パスを見せればいい)

中坊さんの講演で、テレビの報道ぶりとは違う、この発見の背景をいろいろ認識した。大正時代に京大の北村多實二教授が、田沢湖のクニマスの深いところで生息しているという特異な性質に注目して、12体の標本をつくり、そのうち3つを淡水魚の大きな本を書くための情報調査に来日したジョルダン教授に託したという。ジョルダンはスタンフォード大学の学長になった人物であるらしい。そして残りの9体の標本が京大に保存されていた。昔流にいうと、中坊さんは農学部の水産学科の先生で主に海の食用魚が専門だが、マスには食用でつながる。絶滅したクニマスの標本がある事から、彼は前からこのことは気になっていたらしい。

展示してあるこの標本を見たが、一つの瓶に三匹がぎゅうぎゅう詰めされたものだった。黄色く変色して「黒」マスの面影はない。中坊さんは解剖的な二つの性質の相関で判別したようだった。そのほかの状況証拠あるようだ。体色というのはマスは一年で変化していくもので、「黒」がポイントではない。

講演の質問では二十以上もあったが、小一時間丁寧に答えておられた。聞いていて興味があったのは、質問者と講演者の関心の差である。質問者は殆どが「保存」であるが、「魚は食用」というのが講演者の専門性である。確かに、農業でも漁業でも、商品価値のある作物に品種はたえず変えていく営みである。保存というよりはサスタインナブルである。昭和の初めに田沢湖のダム利用の話がでた昭和10年頃に、10万粒の発眼卵がいくつかの湖に「売られている」。カナダにも売られている。今回見つかったと言われている西湖もその時買ったところだ。「保存」の発想でいうと、緊急避難的に移植したように考えられるが、漁業では今も昔もこういう卵の売買は普通の商慣習らしい。当時も、西湖の漁協などが代金を払って買い取ったもののようだ。

今回の流れにつながる、中坊さんの動きのきっかけは、数年前に田沢湖が村おこしの様な取り組みで、「Wantedクニマス」といった懸賞金付きの情報収集を行ったことのようだ。初め百万円、次に五百万円。長年気になっていた中坊さんも刺激され、博物館に関わっていることもあって、絶滅したクニマスのCGの動画を作れないかと考え、マスコミに番組制作などの働きかけを始めたようだ。標本で形状も参考になる。生きたクニマスを見た世代はもう80歳代で、そういう方の生存しておられる間となるとラストチャンス。そういう動画制作みたいな話の中で、西湖の黒マスを参考にするとかなり、サカナ君とかの登場となる流れのようだ。

「あいんしゅたいん」と無理に関係づけると、ジョルダンが来日した1922年とは、「アインシュタインが来日した年」である。結構、日本の科学は昔から国際化していたんだなと思った。中坊さんの話を聞いて受けた印象は、テレビでだけ接すると降ってわいたような話題だが、背景には長い歴史があるということである。