2017年09月21日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 25

理科とSTEMは同じか?

去る11月27日、基礎物理研究所を会場にした科学教育のシンポジュームで、私は「日本の学校教育での理科教育の理念はいわゆる欧米流のサイエンスとは違うのではないか?」という発言をした。この疑念は、ある会社の高校教科書の編者をやるなど指導要領や理科教員団体の書きものに十数年ほど接してきて、私のなかに芽生えてきたものである。拙著「職業としての科学」(岩波新書)でも簡単にふれたが、その後、藤島弘純「日本人はなぜ「科学」でなく「理科」を選んだのか」(築地書館、2003)という本に出会い、「ああ、やっぱりそうか!」と合点がいった。

もっとも、この著者が訴えていることと、私が問題にしているポイントはずいぶん違うので、現在の日本の理科教育をめぐる問題状況への藤島氏の提言・主張への意見はすぐには述べられない。ただ、明治以来の文部省の理科教育の発祥のときから、欧米のサイエンス一辺倒ではない、日本文化に根ざした自然観の教育が理科に織りこまれているという史実を学ぶことはできる。藤島氏は学校教育の理科と欧米産のサイエンスの微妙な差が問題にされずに「理科=科学」でながく推移した背景には、農耕社会が1970年代頃まで続いていたことを挙げている。この辺りからの主張は独特のもので、ここで安易なまとめ方はしない方がいいであろう。

私の問題意識は次世代の日本は「科学技術創造立国」として豊かさを維持していこうという大方針のもとで叫ばれている教育目的と伝統的「理科」とは微妙にずれているのではないかということである。科学というのは人によって意味の取り方が違う広いものだから、より明確に違いを強調するために前者の意味での教育はSTEMとでもいった方がいいかもしれない。STEMとは、現在、科学教育強化のために、アメリカで取り組まれているscience-technology-engineering-mathematicsが一体になった学校教育の教科のくくりである。サイエンスも入ってはいるが、ここの主題はイノベーションである。イノベーションとは社会システム革新であり、STEMがその“源泉の一つ”であるという位置づけである。科学内部の結び付きは意外なものがあるから、イノベーションのための科学と云ってもクオークも人類学も排除はされないが、ベクトルは自然とは別方向を向いている。

どちらが良いとか悪いとか、お互い矛盾するとか、そういうことよりも違いを意識して、対処する必要があるということを私は指摘したいのである。理科教育のなかに埋め込まれていた自然観の教育はそれ自体、初期の教育には、非常に重要なことである。しかしそこからSTEMにほっておいても結びつくものか?日本的自然観の教育はSTEMとだけ同居させるのがいいのか、社会科とでももっと融合させるべきなのか?こうした、新たな問題意識が必要であろう。なにしろSTEMでのグローバルな競争と崩れつつあるが独自の自然観が、プラスに働けばいいが、たがいに中途半端になる危険性もあるような気がする。