2017年07月22日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 21

科学教育の表彰制度あれこれ

3月21日、東大小柴ホールでの小柴昌俊科学教育賞の表彰式に、選考委員の一人として、出席した(http://www.hfbs.or.jp/)。この賞は発足以来6年目で、毎年だいたい優秀賞(副賞100万円)一件、奨励賞(50万円)3件を表彰している。この審査に2回携わったが、それを通じて、世の中には多くの科学教育の表彰制度があることを知った。公募書類に目を通すと、学校の教員などの場合は、幾つもの受賞歴が記載されている。包括的というわけではないが、そこで垣間見たことを紹介しておく。

まず、表彰が、「日本学生科学賞」のように学生や科学部などを対象にしたものと、それらを指導する教員を含めた指導者・考案者を対象としたものに分かれる。後者には教材開発や実験演示の考案から科学に目向けさす体験学習のリーダーまで含まれる。小柴賞は後者のタイプである。前者のタイプで中心にあるのが「日本学生科学賞」で「科学の甲子園」とよばれている。生徒や部活を表彰するといっても、「野球の甲子園」以上に、現実にはその指導者もクローズアップされる表彰である。

「野球の甲子園」は朝日新聞主催だが、「科学の甲子園」は読売新聞主催であり、政府が後援し、中学と高校の両方で、内閣総理大臣賞・文部科学大臣賞・環境大臣賞・科学技術政策担当大臣賞・全日本科学教育振興委員会賞・読売新聞社賞・科学技術振興機構賞・日本科学未来館賞・マイクロソフト賞・読売工学院賞・旭化成賞を一件づつ毎年表彰している(副賞は大体30-20万円)。野球のようにまず都道府県でしぼり、次の全国の予選でしぼり、残った候補(中高20づつ)が科学未来館で2日にわたるプレゼンの審査を経て、三日目に上記の賞の表彰式が盛大に行われる。中学と高校、各々、毎年、十数個選ばれる。選考は全日本科学教育振興委員会という大学の先生がメンバーの組織の委員に高校教員の委員を加えて行っているようである。

これは学校教育の業界では重要なイヴェントのようである。「**オリッピック」の場合のように、近年、大学入試で多くなったAO入試の有資格要件にこの甲子園での入賞を掲げる大学が増えているようだ。(団体・個人の区別も絡むが)

このようにもう五十数回目という歴史のある表彰には、教員の教材開発に焦点を当てた「全日本教職員発明展」での総理大臣、文部科学大臣、経済産業大臣、特許庁長官、発明協会会長、弁理士会会長、NHK会長、毎日新聞、の表彰がある。歴史で言うと発明協会の「全日本学生児童発明くふう展」が古い。

1969年創設の東レ理科教育賞は教育者を対象にしたもので総理大臣賞(100万円)、理科教育賞(70万)、奨励(20万)、10件程度表彰している。

ひと時代前の理科振興策として発足したこれらの歴史のある表彰制度でない、真新しいものに「野依科学奨励賞」(国立科学博物館)と「科学の芽賞」(筑波大学)がある。何れも小学1年生から部門を設けていることで、理科への動機を与えることが主目的になっている。野依賞にも指導者への賞、また科学の芽賞には学校賞があるが、応募した個人の表彰が主になっている。野依賞は国立科学博物館に見学に訪れて感想文を提出した中から選ばれる。賞金10万円は子供には大金である。朝永振一郎生誕百年を記念して発足した科学の芽賞も「ふしぎと思うこと」の感想文の公募のなかから、選ばれる。

皆が理科に熱中して中身を競っているというより、理科に目を向けさせるイヴェントという性格が強くなっている。小柴賞もこうした新しい賞であるが、ひろく科学教育活動でがんばっている人を激励することが目標である。また学校教育だけに偏らないこと、さらに、教材開発のようなハードウエアだけでなくアクテイビテイーにも焦点を当てるようになっている。

歴史といえば「日本学生科学賞」は1957年の国際地球観測年(IGY)を契機に始まったらしい。このIGYの成果を持ち寄る国際会議が1961年に京都で開かれた。当時はロケットが上がって宇宙空間科学の誕生時で、素粒子加速器の登場で一次宇宙線にシフトしていた宇宙線の国際会議とこのIGY国際会議が合同で開かれた。大学院M2の私は岡崎の京都会館であったこの会議でアルバイトをして、沢山のガイジン初めて見たことを思い出す。この会議は戦後最大級の国際会議だったのではないかと思う。南極観測で国際学界への復帰など、世は1960年代の科学技術拡大期の出発点にあったのである。時代の変転を感じると同時に、学校教育と関係した制度のしぶとさを感じる。