2017年04月27日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 7

買い込んで書いたもので、我ながら密度の高いものになった。 思い出すと「量子力学解釈問題」で初めて文章を書いたのは3回生の時、何人かで文集をガリ板刷りでつくって友人に売って歩いたことがある。

当時でも「量子力学解釈問題」は食っていけない禁断の魅惑のテーマだったから、まず「食える」学問に進んで定年にまでいたって、また戻った感がある。このテーマでは「孤独になったアインシュタイン」(岩波書店)の前半につづく第二弾である。

「博士浪人」(いまのポストドック問題はこう呼ばれていた)という問題の発祥は、多分、湯川ショックの後遺症として旧湯川研に最初に発症したのではないかと思う。1960年前後、湯川研は「物理的」にもあふれ廊下も居室になっていた。しかし50年代末の、中曽根札束発言での原子力のスタートや、続く電子工学ブームで、量子力学を講義できる人材に需要が増して大分捌けたようであった。一代目は理論物理屋が行っても、次は自家生産になるから新天地は一代限りで、あとは自分の田んぼで食っていくことになると、食えなくなるのは世の常である。私も山形県の山奥から出てきたのは三男坊は新天地でしか食えないからである。

現在の新天地というとmedical physicsだというのが国際的な潮流である。2007年秋にケンブリッジに行った時、名門キャベンデッシュ研究所のすぐ側にmedical physicsの新建物が建築中だった。最近のHPによるとケンブリッジ流にはphysics of medicine。キャベンデッシュに旧市街から行くバスの停留所名は「JJThomson」なのだが、降りても「キャベンデイッシュ」は見えず手前に大きな「ビル・ゲイツ・センター」の諸建物に圧倒される。懐かしいRutherford, Bragg, Mott棟はみすぼらしく見えてきた。旧市街から歩けばJJ Thomsonまで行かずにMaxwell Roadを入った方がBil-Gatesを通らずRutherford棟のあたりにでる。まったく、物理学を知らないと歩けないようなキャンパスである。

京大学術出版会の理事長をやっている当時、編集会議で同席していたことのある竹内 洋氏は「ひけらかす教養」と「かくす教養」という話を前からしている。確かに「教養がじゃまして」というセリフが横行している時代があった。行動に駆り立てるものは「非教養」で、「教養」は抑制に働く因子というわけである。そうしたとき「学ぶ」のは「教養」なのか「非教養」なのか?「ひけらかさない」ものを一生懸命学ぶというは何なのか?どっちが正解とかいうことでなく、「職業」「知識」「教養」「学ぶ」「生きる」などをめぐる構造は、半世紀もすると、大きく変貌してしまうことである。大事なことは眼前の事態を位置づける背後にある構造の中に変貌をとらえることである。「上に歩く」をイメージして「下に歩く」といった、観念と行動の相対化、そういう曲芸が出来るのが「教養」だと考えるが、その修業の王道は古来歴史である。

「アインシュタインの反逆と量子コンピュータ」では100年以上昔の歴史、マッハやシュレーデインガーの師エックスナーに触れて歴史の襞に分け入ってみた。NPO「あいんしゅたん」でお手伝いを一生懸命やるつもりだが、こうした歴史に分け入る至福を残された時間大切にしていきたい。