| 女性と男性の違いはあるか?(ブログ その15) |
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| 作者: 坂東昌子 |
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再び湯浅年子さんをめぐって まず、去る2009年5月21日、湯浅年子博士ラボラトリ・セレモニーが、高エネルギー研究所とフランス国立科学研究所・フランス原子力庁の国際的な研究連携として立ち上げた「日仏素粒子物理学研究所(FJ-PPL)」の主催で行われました。そこでお話しした中の一部は、オピニオン欄で紹介いたしましたが、そのあとの議論で感じたことを書いてみようと思います。それは、物理学者の女性が、「女性ならではの仕事をしている」というコメントを後で聞かされたからです。 当日の私の話には、短くしか話せませんでしたが、「科学の活動に女性の特性があるか?」ということについて述べたのです。断わっておきますが、自然科学の成果は、客観的なものですから、男性にとっての真理と女性にとっての真理が異なるわけではありません。誰からみてもどこで見ても変わらないのが真理の定義ですからね。 ただ、その見つけ方や、理解へ至る道は、男性と女性で異なっているかも知れない、あるいは、女性であるがゆえに、さまざまな思いがあり、それが学問の選び方に影響するといったことは、当然のことながらあると思われます。 私の講演の中では、こうした例をいくつか挙げて、これからの科学社会における、男女の「協働」とはどういうものかを探りたいと思ったのです。この講演の後、懇親会がありました。そこで、いろいろな人が、いろいろなご意見を聞かせてくださいました。このたび、いろいろな方にお聞きすることができ、ますます、親近感を覚えています。お写真で見る限り、とても温厚で、若いころのお写真など、学問にあこがれた楚々とした女性であり、さらに、お年を取られたときに、湯川先生へあてたお手紙を、湯川史料室から見つけてもらって拝見しても(私が講演した PPT の中に入れておきました)、最後が「かしこ」という古風な言葉で終わっているので、控え目な方だと思っていました。その湯浅さんが、どうして海外に行くなどという当時としては思い切った行動に出られたのか、それも私には不思議でした。 湯浅さんが、戦後しばらく日本で教鞭をとっておられたときに、授業を受けられたからや、フランスでお世話になった後輩たちのお話を聞くと、「J.キュリーが亡くなられたからは、湯浅さんも大変だったみたいですよ。湯浅さんも自己主張の強い方でしたからね」と言われていたので、「そうですか。私は大変控え目な方と思っていました」といったら、「そんな控え目だったら、あの時代、とてもやって行けなかったでしょう」といわれ、それもそうか、と思いました。 そういえば、あの湯浅さんの若いころの写真は、猿橋勝子先生の若いころのお写真と、とても雰囲気がよく似ています。楚々として、学問似、心から献身するっていう雰囲気です。その猿橋先生も、後年は、厳しい方でした。特に、学問に対する厳しい姿勢は、若い人に対して「叱咤激励」という感じで、身が引き締まったものです。 まあ、この世界で生きていくためには、優しさばかりではいられないのかもしれません。私も、本来なら、大人しい方だったのに、いつの間にか、だんだん、厚かましく、自己主張が強くなってきたなあ、などと思っています。実は私は小学校の低学年の頃は、親が授業参観を見に来て、「蚊の鳴くような返事をしていたなあ」と嘆いていたことを思い出します。あ、別に、湯浅さんとか猿橋さんと比べるつもりはないんですけど・・・。 ところで、このようななかで、同じ素粒子原子核の先駆け研究者ですが、実験分野だったせいもあり、存じあげなかった湯浅さんの生き方に、だんだん興味がわいてきました。特に、お茶の水女子大学博士を出られて、その後活発な研究を続けておられ、イギリスやフランスでポスドクを続けておられた洪江美さんが、昨年の「湯浅年子100年シンポジウム」でお話しされている 記事 や、山崎美和江さん(素粒子論の先輩)がつい最近出版された「湯浅年子の肖像」が参考になります。 ★ 洪さんは、フランス国立科学研究センターで職を得られ、お子様を育てながら、現在も大変活発に研究を展開されています。洪さんは、学会発表やシンポジウムなどで、よく発表され、内容も充実しており、頑張ってるなあ、といつも感心していた方ですが、日本だけでなく、イギリスなどのポスドク機関も含めて、長くポスドクをされていて、「こういう人が決まらないでは、かなしいなあ」といつも思っていた方でしたが、こうして、フランスで職を得られて活躍されているのを見ると、本当に頼もしいです。 ★ 去る2009年5月21日行われた高エネルギー研究所国際企画「湯浅年子博士ラボラトリ・セレモニー」を女性の立場をも加えて担当された湯浅冨久子さんが送ってくださった新刊の「湯浅年子の肖像」は夢中で読みました。私はそこ祖も、ジョリオキュリーのフアンでした。それは彼の「科学者としての信念」を貫き通すその純粋さ、似魅力を感じていたといってもいいでしょう。その中で、日本人について書いているところは特に目をひかれた。 ******「湯浅年子の肖像」から抜粋(P264 )******* ドイツが占領していた当時のフランスにいて、この全く自由を奪われたような時にも、ただ1つ、自分の生命をかけて自己の主張をまもるという権利だけは、誰にも左右されずに残されていることを、実感をもって考えたものであるが、「真剣な主張」はそれがよこしまなものでない限り相当強いものであり、すべての人がこれをするときは頑強に見えるボス的勢力をもくちくしうるものなのであるが、日本の人たちはそれをあえてしないで、むしろそのボスに自分だけが親しい絆を結ぼうとする。この利己的な態度がなんと日本に多いことだろう。 ****** 引用終わり ****** どの人も、ひょっとしたら、このような心境が、フランスに再び帰った(?)1つの要因なのかもしれない。尤も、大方の人は「日本では本当に愛した研究ができないから」というが・・・・。
今まで、こんなことはあり得ないように思っていましたが、ひょっとしてなにかあるか、気になっています。
天文学では、たくさんの女性が活躍しているようですね。例えば、有名な銀河構造を提唱したハーシェルの妹カロライン、労働者として雇われたというヘンリエッタ・スーザン・リーヴィットは、ハーバード大学の天文台で写真乾板からマゼラン星雲中の変光星を見つけたそうです。天文学ではたくさんの女性が女性らしい緻密さと(たぶんですが)星に対するあこがれに支えられて大きな仕事をしています。調べてみると面白いですね。 |
