2017年09月21日

第44回:「大学入試センター試験」by 家富

先週後半,ここ新潟市は大雪に見舞われました.私は新潟大学に着任してちょうど15年となりますが,このような降雪は初めての経験です.26年ぶりに積雪 量が80センチを越えたとのことですから,さもありなんです.雪に対するリスク管理を忘れた私は,まず長靴を手に入れることから始めました.新潟に来た 当初は,冬には長靴,スコップ,毛布などを車の中に入れておいたものでしたが...防災の警句「天災は忘れたことにやってくる」を改めて思い起こしました.

さてこのような大雪が三週間前に実施された大学入試センター試験とぶつからず幸いでした.センター入試は真冬の一大イベントとなっていますが,前身となる共通一次試験も含めると,かれこれ30年の歴史があります.その歴史が深まるとともに,ますますセンター試験の実施体制は先鋭化しています.今年はヒアリングの試験では試験の開始時刻と終了時刻を秒単位で報告することが求められました.もちろん入試の公平性を確保する上では言わずもがなのことな のですが.実施体制が厳密になればなるほど,子供たちの緊張も増すようで,見ていて痛々しくなります.

センター試験は慣習と違い,恒例行事ではありません.そろそろその功罪を真剣に考えるべきときではないでしょうか.共通一次試験の導入のきっかけは, 大学入試の競争がどんどんエスカレートし,高校の授業の範囲を逸脱するような難問が続出するようになった状況,いわゆる「受験戦争」の緩和が目的だったと記憶します.一期校,二期校の区別を無くすことももう一つのねらいだったかもしれません.ところが近年では少子化が進み,マクロ的には希望すれば 誰もが大学へ行けるような状況へ変化しています.大学院レベルになると,むしろ優秀な大学院生をいかに確保するかが急務の課題となっています.

試験の方式が固定化すれば,子供たちもそれに合わせて勉強するようになります.センター試験の解答方式は,与えられたいくつかの解答例から正答を選択するものです.つまり,消去法的思考(あら探し)が自然と身についていきます.ところが最先端の未知の問題に遭遇したときはどうでしょうか? まずはその問題を解決すべく,発見法的にいろいろな可能性を探ることから始めなけ ればなりません.あらかじめセンター試験の問題のように解答例が用意されているわけではないのです.天然資源の少ない日本の将来にとって,子供たちの創造性をいかに伸ばすかが最重要であることは,衆目の一致するところです (むしろ,失わせないかが重要!).そのために現在のセンター試験の有り様 が相応しいかどうか,私にとっては疑問です.

センター入試制度の批判を行いましたが,私はセンター試験の問題を見るのを楽しみにしています.作成者が払った多大な努力の跡を見て取れるからです.特に今年の国語の第1問は資本主義と人間をテーマにした文章が採用されています.貧困率の議論に代表されるように格差社会の問題が顕在化してきた今, まことに時機を得たテーマです.「資本主義の歴史の中で人間がただの一度たりともその中心にいたことはなかった.」との著者の洞察は,私にとって目から鱗が落ちる思いです.もっと余裕をもって子供たちに読んでもらいたい論考 です.国語の第2問は打って変わり,伸び盛りの少年を題材とした小説からの抜粋です.自ら未来の扉を開けていく受験生へのエールでしょうか.少年と母親との間のほほえましくも,ちょっとぎこちない日常会話を読みながら,とうに忘れかけていた昔の自分を思い出しました.

 <写真説明:新潟大学キャンパスの一こま>