2017年09月21日

第39回:「術,学,道」by 家富

先ごろ放送されたNHKの「歴史秘話ヒストリア:最初はひ弱なインテリだった柔道を創った男・嘉納治五郎」は,心の琴線に触れた番組の1つです.

柔道と言えば,私が小学校低学年のころ放映されていたテレビドラマ「姿三四郎」を真っ先に思い起こします.子供の私は,柔道の旗手である三四郎と柔術家との対決に手に汗を握りながら見入っていました.嘉納治五郎も名前を変えて三四郎の師匠として登場します.
私は,柔術と柔道の関係を単に対決の図式でしか理解していませんでした.ところがその「歴史秘話」は,私に柔術と柔道との関係に深い理解を与えてくれました.

虚弱な体質であった治五郎はなんとか強健な大男たちに一泡吹かせたいと思い,柔術(平安時代に起こった合戦のための組み討ち技術がその源流)の大家に弟子入りしたそうです.柔術の極意を得ようとその師匠に質問したところ,師匠からは「柔術は習うものではない.投げ飛ばされて体で覚えるもの!」との答が返ってきました.
これで私はなぜ柔「術」と呼ばれているのか合点しました.「術」とは結果さえついてくればよいので,その背景にある合理性を追求する必要はないのです.

ところがインテリ青年の治五郎にとってそのような非合理的な上達法は我慢できず,独自に技の力学的研究を始めました.重心の置き方や体の使い方を運動力学的に探求し,その際に人形模型,様々な書物,他の競技との参照比較などを大いに活用しました.
「物事を達成する上で合理性を尊ぶ」というこの方法論は,まさに「術」から「学」への進化です.確立した柔「学」を使って,治五郎は見事に柔術の師匠を大技で投げ飛ばしたとのことです.

治五郎の独創的なところは,柔「学」に留まらず,柔「術」から柔「道」へと一気に昇華させたところです.
勝負の勝ち負けにこだわらず,共に高め合いながら1つの道を進むことを主軸に据えました.また,囲碁・将棋から段位性を取り入れ,上達していく喜びを子供たちが明示的に実感できるようにしました.加えて治五郎
は,国へ働きかけ「柔道整復師」という国家資格を創設し,柔道家の生計に役立てました.
まさによい教育にはよい指導者を確保することが肝要と見通していたからですね.治五郎の思慮の深さにあらためて驚きます.このように誰もが柔道を楽しみながら修行でき,柔道を通じて人生そのものも学べ,さらに次の世代にも教えることができるようになったのです.

どうも私はいつもテレビを見ながらこのブログの内容を考えているようです(笑い).本NPOにとって嘉納治五郎はよいお手本です.「学」から「術」への応用ばかりではなく,「学」から「道」への進化が問われています.
さて今年も余すところあと3日になりました.2000年代が終わり,次の10年間が始まります.新しいミレニアムの幕開けも,バブル崩壊後の1990年代「失われた10年」を引きずったまま依然として不況トンネルを抜け出すための出口は見つかず,色あせてしまったようです.回復の特効薬はなくとも,教育がその一番の鍵であることに疑問の余地はありません.
皆様,どうぞよい新年をお迎えください.