2017年03月30日

科学者は信頼できるか・・・高橋真理子さんへ(ブログ その92)

「日本人の科学者が信頼を失った理由は2つあると思います。福島県原発事故の収集にあたる科学者の顔が見えなかったこと、そして、放射線の健康影響について科学者によって説明が違っていたことです。欧州からはどう見えていましたか。」

初代EU主席科学館顧問のアン・グローバーさんに投げかけた鋭い質問から始まるオピニオン「科学者は信頼できるか」(高橋真理子編集委員)が、2012年8月2日の朝日新聞朝刊にでた。

たとえ不確実性の中にあっても、科学者がその知識を集めて決断すること、これが危機に遭遇したときに、取るべき道を示すことが、科学者の責任ではないか。高橋さんはそう問いかける。

思い起こすと、それは、1年以上前に遡る。昨年の3月のことであった。
科学的なデータと資料に基づいて、一人一人が放射能汚染と放射線障害から身を守りましょう(ブログ その48)をかきあげようとしていた頃であった。このとき、放射線量の換算の問題に四苦八苦していた。ベクレルからシーベルトへの変換がわからなかった。よくわからないことが多すぎた。ちょっとしたきっかけで、ネット上で、梶野敏貴先生(国立天文台理論研究部准教授・東京大学大学院理学系研究科天文学専攻併任准教授・総合研究大学院大学数物科学研究科併任准教授)と議論をした。

そうこうするうちに、いつの間にか議論の輪が広がり多くの人とつながった。不思議なネットワークが形成されていた。混乱した情報の中で、「正しいことを知りたい、情報を交換したい」という思いが、あちこちで生まれていたのだ。私も、梶野さんの計算を知り、ひょんな具合からいつの間にかそのグループの皆さんと議論していたのであった。それは、東大卒業生のネットワークの輪であった。私は東大出身ではない、だから関係もないのに、ありがたいことには、東大物理学科1979年卒業生メーリングリストに入れてもらったのだ。そして、そこで、ヨウ素の線量評価について、やり取りしているうちに、高橋真理子さんもその中のお一人だということを知った。「お久しぶり!」ということで、色々と教えてもらった。当時のメールを読み直すと、あの頃は白紙から出発して日々やり取りしていたことが思い出される。質問してわかったことは、高橋さんが元論文にまでさかのぼって読んで確かめられているということであった。さすが、と感心した。

物理出身の高橋さんは、科学の価値、科学とはどういうものか、わかっておられる。その先に、高橋さんは、先に進むための科学のあり方を問い直すという姿勢が現れているのだと思った。

EUの動きに対して、日本の科学者の動きが見えなかったのはなぜか、と高橋さんは、科学者に問いかけている。

でも、私は思う、たくさんの科学者が、市民と一緒になって、真実を知るために、横につながっていったのだ。私もそうだった。

当時のメールを読み直すと、東大だけではない、あの頃、中野さん(新潟大学)、伊藤さん(KEK)一瀬さん(神戸工専)など、たくさんの議論仲間ができ、徐々にその議論の中で間違いがどんどん修正されていったのであった。情報を交換議論することによって知識は淘汰され、だんだん見えてくるものがあった。まさに、研究をはじめるのと同じプロセスである。こうして真実が明らかになっていくのである。そして、わかったことを一緒にまとめて情報発信した。

こういう状況に立ったとき、人の話を鵜呑みしたり、元データを確かめないでそのまま使っていると、とんでもない誤解を生じる。自分でしっかり判断しなければ情報の波に釣られて、余計混乱を起こす。幸い私たちは、判断するだけの基礎知識を持ち合わせた価格者である。だからこそ、情報の波に溺れず、正しく易しく事実を紹介し、わからないところを解説する義務があったのだ。そういうことができるのは、科学の力なのだ、そのことを忘れると、権威や人の噂だけで判断してしまうのである。当時、知りたいという気持ちだけで自然に形成されたネットワークを通じて、膨大な情報をやり取りした多くの科学者がいたはずである。

しかし、残念ながら、科学者の総意が反映される仕組みがなかった。文科省も厚生省も情報に振り回され、言うことが違ってくる。データに基づかない情報ばかりテレビやネット上に発信されるのでは、力が及ばない。ごく初期から、心ある科学者は、やきもきしていた。その頃のブログ「なぜ学者はバラバラなのか(ブログ その57)」は、その間の事情を訴えたものであった。

その頃、「やっと科学者のプロ集団が立ち上がった」と喜んだのだった。それはそれほど遅い対応ではなかったはずである。そして、そのグループは、プロの科学者たちで声明を発表した。
「事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、・・・・我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的に取組むことが必須である。」と訴えていた。

それは、 3 月 31 日のことであった。そこには、田中 俊一(前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長)、長瀧 重信( 元放射線影響研究所理事長)、永宮 正治(学術会議会員、日本物理学会会長)住田 健二 (元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長 )それに、今回開かれる「原子力:生物学と物理」の世話人でもある柴田 徳思( 学術会議連携会員、基礎医学委員会。総合工学委員会合同放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長  )諸氏をはじめとする本当のプロの名前が連ねられている。「ああ、やっと本当のプロの姿が見えた」とほっとしたのだ。

しかし、結局、この方々の努力は報われなかった。私たちはうしろでやきもきしていたのであった。メーリングリストでは、「どうしたらこのグループの訴えをサポートできるのだろう」という議論が盛んに行われた。事態を分析でき、評価できる、専門家集団が立ち上がることは、私たちの何よりも望んでいたところであった。

しかし、この動きも、政府には取り上げられず、突如として、内閣官房参与の涙の辞任、という事態に突入する。プロのはずの衆議院厚労委員会の参考人が絶叫して政府の無策を非難、といった報道が大きく国民の目に映った。

科学者の総意を結集できるコアがない。科学者は信頼を失ったのは、こんないきさつがあったと思われる。

4つの事故調査が出揃ったが、聞き取りが主で、シミュレーションによる確認やデータの裏付けによる検証が不足していて、大前研一氏に言わせれば、「3面記事の枠を出ない」という悲しい現実を知らなければならなかった。どうして、プロの科学者を動員して、分析と精査を、自らの手で検証しなかったのだろう。せっかく、日本でも、プロ集団が自ら訴えを出しているのに、こんな動きがあったのに、結局、受け入れられなかったのはなぜか、なんとやりきれない思いが残っている。

高橋さんの記事は、いろいろなことを思い出させた。

科学者の信頼を回復しないといけないのは、科学的知見に基づいて方向を定めないと、社会全体が誤まった方向へ行くからだ。誤りを修正し、正しい方向へ進む強力な武器は科学を基本に据えることだからである。決して科学者のエゴから、信頼を回復しようとしているのではない。科学の復権なくして復興はありえないからだ。

もちろん、時には科学者の判断が誤ることもあるが、できるだけ多くの知恵を結集して、軌道修正することを通じてしか、正しい道を探す手段はない。

もちろん、科学者自身の力不足もある。今回の事故の解決には、原子力部門、生命科学部門、物理部門、その他多くの専門分野にまたがるさまざまな領域のネットワークが必要だった。今振り返ると、各々の専門分野のなかでは、情報交換は密になされたかもしれないが、分野を横断する科学者のネットワークがやはり不十分だった。1年たった今思うことは、この間、徐々に形成された分野横断的なネットワークを、さらに学問的交流を通じて広め深めることが、切に望まれるということである。高橋さんの思いに応えるには、「私は専門ではないから物を言うのは控えていよう」とか「プロでないから精査しなくても言いたいことを言ってもいいだろう」という、2つの極論ではなく、「正直さと透明さ」を保ちながら、科学者の知恵を集めるために、努力を惜しんではならないということではなかろうか。

この思いが、明日から始まる基礎物理学研究所の研究会「原子力:生物学と物理」ならびに、プレコン「科学者に何ができるか」につながる。まさに多彩な分野の方々が集う。

この会の準備のために、力と知恵を出してくださった世話人の皆さん、特に、惜しまず働いてくださった真鍋勇一郎さん(大阪大学工学研究科:世話人副代表)、艸場よしみさん(編集者:企画担当)、宇野賀津子さん、勉強会にでて事前討論を重質した内容にしてくださった一瀬昌継さんをはじめとするLDMの皆さん、それに、女性陣にはJA福島と連絡をとって、福島産の野菜や果物も用意いただき、手作りの浅漬けも準備いただく。そしてまた、いろいろ面倒な仕事を引き受けてくださった基研の研究会担当、南島さん、HPや論文投稿をサポートしてくださった加藤さん、福本さん、国友さんたち、に感謝する。また、HP全般について全責任を持ち、たくさんの情報を細かく分類精査してアップしていただいたあいんしゅたいん事務長のおかげで、情報交換がスムースにできた。これらの支えがなかったら、とてもここまで来られなかった。感謝に耐えない。

高橋真理子さんのオピニオンでは、英国でも狂牛病に関して間違った情報を発信したことがあったことに対し、「その時、どうやって信頼を回復しましたか」という質問を発している。

それに対して、アン・グローバーさんは答えている。「私は、間違いも・・・。

透明さと正直さでもって真実を明らかにするという1つの目的に向かって、分野を超えて、忌憚のない意見を出し合いたい。そして、それを通じてネットワークを広げていきたいものだ。この研究会が、新たな1歩を踏み出すための大きな力になることを期待している。(2012年8月6日 広島原爆の日に・・・)