2017年05月01日

技術者から学ぶ(ブログ その89)

私たちが始めた低線量放射線検討会(LDM)の新しいページができて活動が可視化され、その様子が皆さんの目に少しとまるようになりました。
ここに活動報告が出ていますが、参加した方が熱心にメモを取り、詳しく報告しています。最近では学生グループの間浦くんが、自分の感想もいれてこの勉強会で学んだことを報告(セミナー報告_120606 セミナー報告_120609)を書いてくれています。
若いエネルギーがどんどん吸収している様子が伺えて楽しみな報告なのです。ぜひ見てやってください。

さて、艸場よしみさんの5月28日の報告が、まもなくアップされます。これを読むと、私たちの質問に対してデータに基づいて答えていただいたことがわかります。この内容は、来る8月8日から始まる基礎物理学研究所研究会「原子力・生物学と物理」の1日目に議論されるテーマの素材ともなっています。

私は、ここでは、この日の印象に残ったことを記しておきたいと思います。

2012年5月28日は、朝からたくさんの方々が集まって、可視化実験室は満杯になりました。直接の現場でリードしてこられた技術者、金氏さんのお話を聞くことになっていました。
金氏さんは、当ホームページで「あいんしゅたいんアピール:「追跡!真相ファイル: 低線量被ばく 揺れる国際基準」についての質問」をみて、当NPOにアクセスなさり、いろいろと意見交換しているお一人です。私たちは、どんなご意見を持っているかではなく、どういう正確な情報を基にご意見を述べておられるかが大切だと考えています。サイエンスとバリューを混同することは避けたいと思っているからです。
金氏さんには、すでに一度、LDMでご意見を頂きました。しかし、あまりに多くの質問や意見が飛び交ったので、肝心の技術的問題に特化したお話ができなかったので、再び京都においでの機会をとらえて、はっきりしなかった問題を箇条書きにまとめて、それを元にお話を聞くことにしたものです。箇条書きにした質問事項はこちらの論点のまとめをクリックすると見られます。
断っておきますが、原子力に携わってこられた方でもあり、原子力エネルギーが私たちにとって必要不可欠という立場から普及活動もなさっているのですが、LDM研究会では、そのご意見に必ずしも同じではありません。むしろ、今、日本がどうすべきか、批判的な立場から検討しているといったほうがいいと思います。

今回は、日本の原子力発電を支える技術について、どう評価すべきか、いろいろな疑問をぶっつけたいと思っていました。
私たちにとっては、特に技術畑の現場のプロの方々とは、ほとんど話したことがありません。今回は、その意味で、新しい認識をいたしました。特に、また、原子力の特殊な組織形態、ある意味の巨大産業(巨大科学と結びついた、というべきかもしれません)のあり方に、いろいろと考えさせられました。実は、坂東、艸場でまとめた「論点のまとめ」に、原子力の評価について、次のような文章があります。

いわば、原子力という生まれた赤ちゃんを、推進派はアメリカ任せでターンキー方式で安く上げようと、丁寧に育てず、反対派は、これまた、ちょっと病気したり事故が起こったりすると「それみろ、だからこんな子を産まなければよかったのだ。もう捨ててしまえ」という。この2つの狭間で、この生まれた赤ちゃんを悪い子にしてしまった、ともいえます。生まれた赤ん坊を経営側と取り巻きの反原発の両者で、よってたかって悪い子にしてしまった。

この表現は、現場を支えてこられた金氏さんには、大変失礼な言い方だったかもしれません。しかし、それに対して丁寧に、「技術者が、どう取り組んできたか」を説明いただきました。現場の技術者として、初期のターンキー方式を克服し、独自の技術で蓄積されてきたというお話は大変印象に残りました。

では、なぜ事故は起こったのか。そして、どうして不手際が発生したのか。それが見えてきたような気がしました。福島原発と対比して、新幹線は新潟県中越地震で走行中の新幹線車両が脱線したことを覚えている方も多いでしょう。このことを踏まえ、新幹線の地震時の車両面と施設面から脱線対策を検討し、しっかり対策を立てていたので、今回の震災でほとんどダメージを受けなかったのです。この違いがどこから来るのか、です。それは、「現場の技術者がしっかりシステム全体に関わることができたかどうか」だったのでないか、この議論が私にはとでも印象に残りました。
原子力の評価に関して、湯川・朝永・武谷・坂田等が初期の段階で、「原爆でなく人類の次のエネルギー源として」高く位置づけていたのは事実です。つい最近出された坂田昌一の本の紹介が、素粒子論グループのメールネットワークに紹介されていましたが、そこに、坂田昌一先生の考え方を紹介した1文が掲載されていました(戦後の時期)。
「1台の原子炉さえももたぬ国に、科学や技術があるといえるであろうか。」と述べ、外国製の科学技術のコピーではなく、日本の科学者が1から研究を初めて自問自答しながらきちんとと作り上げた原子炉等の高度な科学技術を持つべきことを述べているそうです。それは戦後、原子核物理学の研究が禁止され、アメリカの占領下の中で、日本の原子炉が全部海に捨てられたなかで、やっと研究を再開し、次の時代に向けて日本の科学を発展させようとした素粒子論グループの思いともつながってくるのだと思います。

湯川先生の思いもそこにあったのですが、それが原子力委員会に出て、自分が飾り物のような存在で、日本は自ら作り上げる気がないのだと身をもって痛感し、憤懣やるかたないお気持ちだったに違いありません。湯川先生の落胆と怒りを思うとき、このようななかで、現在につながる原子物理学者の思いが集約されていたのだと思います。
こうした情勢の中で、その思いを裏切られた湯川先生は、ストレスのため体を壊され持病が再発して原子力委員を辞任されました。朝永先生は、原子核研究所という原子力研究所とは一線を引いた研究所の設立を、田無市の住民に説得するために、「原子力と原子核は違うのだ」と強調されたのでした。
こうした経緯を背負っている原子核物理のコミュニティは、原子力コミュニティにある種の不信感をいだいたまま、現在に至っていたとも言えるでしょう。

今日のお話を聞いて驚いたのは、金氏さんのような技術プロが、原子核研究所どころか原子力研究所ともほとんどネットワークを持っておられないということでした。こうした状況の中で、初期の輸入原子炉のトラブルを1つづつつぶして、国産の原子炉を構築し、現場を支えてこられたその歴史を、初めて直に聞くことができたのでした。こういう情報は、私たちを含めてほとんど、入ってこないのが現実です。このような事故が起こって、初めて、横につながるネットワークができたとも言えます。そうでなかったら、こんなお話は聞けなかっただろうとつくづく思いました。

ところで、このセミナーに参加された水野義之教授が、ゼミの学生さんといっしょに来てくださいました。そして、学生さんたちが、「もっと勉強したい」ということで、京都女子大学で、小規模の話し合いの場を企画されています。こうしてネットワークが広がっていくのですね。

最後に艸場さんの大作(6月28日のまとめ)にあるあとがきの一部をここにご紹介しておきましょう。

原発の技術や安全性の向上に注がれた技術者の努力は理解できた。原発導入を国策として、巨額のお金と人員を投じて度重なるトラブルに挑戦し、今の技術が作り上げられたのだろう。

技術者の技能と熱意が反映されるシステムにしなければならない。同時に、技術者一人ひとりが幅広い素養と哲学を持たねばならない。これには、大学など専門教育の場での人材育成が大事なのだろう。

いっぽう、原発を推進・護持する組織の不誠実な体質が一掃されないと、高い技術は生かされないのではないか。地震活動期に入ったと言われる今後、過酷事故が再発するのではないかという不安はぬぐえない。この不誠実な体質が変わるためにも、原発以外の、特に再生可能エネルギーの比率を高めることが必要ではないだろうか。

それに、長期的な人類の幸福を考えれば、自然エネルギーの活用を拡大していくことは誤った道だとは思わない。かつて石油ショックで、資源のない日本は知恵を絞った。そして省エネ技術は世界のトップになったと言われている。原発技術に注ぎ込まれたエネルギーと熱意と技能を再生可能エネルギーの開発に向ければ、いまの延長線上では見えない新しい局面が開けないだろうか。

もし金氏さんが再生可能エネルギーの技術者あるいはインテグレーターだったら…と考える。いまの日本にある太陽光発電に不利な数々の条件を、どんな知恵で突破されるのだろう。「もし」で考えることは現実的ではないが、誰も、これまで依って立ってきた場所からものを見る。しかし、一度立場をずらして考えてみることから、何かが生まれないだろうか。昨日と同じ明日を作るのではなく、日本を含めた先進国に価値観の大きな転換が求められているのではないか。

脱原発の主張は見た目にも派手だが、多くの市民は原発の是非について判断しかねていると思う。世論に影響力ある立場にある人は、原発を是とするにしても、否とするにしても、できる限り科学的な根拠に基づいて、謙虚で建設的に語ってほしいと思う。

詳しくは、セミナー報告_120528 をご覧ください。LDMの様子は、参加した方々が報告を書いておられるので、それも参照して頂ければと思います。