2017年10月23日

巨大科学・原子力(ブログ その85) 

NPO科学カフェ京都の第85回定例会は、急遽、北澤宏一氏の講演に変更されました。
この回での予告されていた長谷川晃氏の「巨大科学の効用と弊害」を急きょ変更して、関西ではなかなか聞く機会がなかった、いわゆる民間事故調査(正式には、福島原発事故独立検証)委員会の北澤宏一委員長にお願いすることになったものです。この民間事故調は、関係者のインタビューを含めて踏み込んでおり、今回の事故を通じて、その背景や制度、組織について考える機会になります。

科学カフェ京都 第85回定例会(5月12日(土)午後2時~4時30分)は既にご紹介しました。これに関連して、2つ資料を交えてご紹介します。

1.湯川先生の思い・・・原子力委員辞任のいきさつ

2012年4月27日、「湯川博士の弟子らが脱原発依存訴える声明」の記事を見られた方もいらっしゃると思います。しかし、朝日新聞に出た記事は、あまり目立たなかったので見落とした方も多いと思います。それに、このとき発表された「訴え」は、全文どころかその一部も掲載されず、概要が紹介されただけでした。当NPOでも全文をご紹介しておきます。

原発の再稼働

この声明文の前文には、訴えを出すに至った思いが込められています。また、湯川秀樹先生(1907~81)が、1956年1月に原子力委員に就任され、その翌年3月に辞任されたいきさつが説明されています。この前文まできちんと掲載しているのは、呼びかけ人の1人である菅野礼司さんのブログです。

原子力と原子物理学とが、どうしてその間の壁が暑いのか、どうして湯川先生は原子力から手を引いたのか

私たちがこの1年、「東日本震災の科学シリーズ」シンポジウムを開くたびに、市民からこうした質問を受けました。私自身も、幾度となくこの疑問を繰り返し、仲間たちと議論してきました。今回の訴えの前文には、いくつかの記録を基にしてまとめられており、これを読むと、当時の湯川先生の切実な思いが改めて伝わってきます。そして、被爆者でもあった故森一久氏(元湯川研究室同窓会メンバー)が、「こういう状況だからこそ、委員を辞めないでほしい」と先生を説得したのだそうです。ノーベル賞受賞者の湯川先生をもってしても、「外国から買えばいいので研究などいらない」という圧力に抗しきれなかったのだという事情があったことを示す資料です。この先生の怒りがだんだん無力感に変わっていったのではないかと思います。それはまた、この「訴え」を起草した呼びかけ人をはじめとした湯川同窓生の思いでもあります。それがひしひしと伝わる前文でした。賛同人がどれだけになったのかは、また整理中だということですが、呼び掛けに応じて私も賛同人に名前を連ねました。この訴えの中にある科学技術者のあり方に、感じるものがあったからでした。ただ、それにしても、その先にある「どうしたらいいか」「どうあるべきか」という訴えの内容は、さらに具体的な形で訴える必要があるのでは、という気持ちがあります。ですので、記者会見した後に、訴えを紹介することと同時に「私の意見を付け加え、意見を書いてもいいか?」と呼びかけ人の方にお伺いしたら、「たくさんの方から、意見がこちらにも届いています。もちろん、それは自由です」ということでしたので、ここに紹介させていただくこととしました。

科学者に対する市民の不信がこれほど広がったことはないでしょう。私の思い、それはまさに今回の事故を通じて科学者の真実に基づいて発言できる、行動できる仕組みが、うまく機能していない現状を、なんとかこの機会に変革しないといけないという思いなのです。それは簡単なことではありませんが、それを真正面に据えて向き合うときなのではないでしょうか。

2.巨大科学と科学者倫理

今回の科学カフェ京都で最初予定されていたのは、「巨大科学の効用と弊害」というテーマで、長谷川晃先生の講演でした。このテーマで先生が何をお話されたかったかをこの機会に知りました。長谷川晃先生は、アメリカ物理学会プラズマ部会長として、ブッシュ大統領に国家エネルギー戦略についてまとめるよう要請を受けたそうです。そして、核融合については、ITERについて批判的な答申をまとめた経験をお持ちです。そのことを含め、巨大科学のあり方をめぐって考えてみたいということでした。巨大科学が一旦動き出したら膨大な資金が出る。莫大な資金を得ると、そのプロジェクトを遂行する義務が大きくなる。資金があれば下請けに出すことにもなる。だんだん、単なる仕切り人になってしまい、科学技術の遂行には疎くなる。そういう仕切り人が、科学界のなかでも支配力を強めるようになる。そのため、現実にはプロジェクトとして成果が出ていなくても、できるだけ成果がでているように公表する。そうすると、批判力が弱まり、科学者が真実を語らなくなる。資金を獲得するのがトップの最重要の仕事になると科学的真実から遠ざかる、真実を明らかにする仕事は疎んじられ、批判をすると「アカハラ」にあう。 こうして「ものを考えない世界」ができあがるのでしょうか。こういうループができてしまうのです。原子力分野で起こったのは、重点プロジェクトだけが先行し、科学本来の特徴である批判的精神がなくなっていったのではないでしょうか。北澤委員長の率いる民間事故調査のレポートは、その実情を明らかにしたものです。

巨大科学が科学者をスポイルするという力学が働くと科学は堕落する、という構図は、単に原子力分野で見られるものだけではなく、他の分野でも同様のことが起こっているのだ、これが長谷川氏の最近の論考「博者不知―真実を見つめて批判の目を養おう」の主張でもあります。

巨大科学に対するこういった指摘は、以前から言われていたことではあるのですが、今、その矛盾が不幸な形で可視化された現在、この現状にメスを入れる必要があるのではないでしょうか。もちろん、正当な根拠があって資金を獲得し、いい仕事をする場合もあります。科学研究を遂行するには、優秀な人材、資金が必要ですから、巨大科学というだけで敵視するのも、間違っています。どういうシステム、どういう条件が整っていれば、それを、歴史にも学びながら分析することが、今、求められているのではないでしょうか。

3.原子力研究の歴史と湯川精神

20世紀の科学を振り返ると、原爆と優生思想という人類史の悲劇が浮かび上がってくるのです。原子力が、巨大科学の体制を急速に固めていった背景には、原子力の発見の歴史と、ファシズムの台頭、原爆製造計画、そして、アメリカでの軍産複合体(Military-industrial complex, MIC)、という歴史的経緯があります。兵器製造が産業の中で最も利潤を上げるなかで、それと結びついて、原子力エネルギー分野が台頭したことは、現代科学の持つ悲劇でした。核兵器製造は、最も巨大な産業となったわけです。

軍産複合体ということばは、アイゼンハワー大統領が提唱した言葉だそうです。この体制は、抗しがたい勢いで科学者のみならず、政治家もまきこんでいきます。この圧力の前にして、アイゼンハワー大統領でさえ抗えなかったのだと、彼は、その退任の演説(1961年1月)(全文がこちらでで聞けます。日本語訳は、例えばこちらにあります。)の中で語っています。そこに出てくる「scientific-technological elite」(科学技術エリート)という言葉は、私たちの胸に突き刺さり、鋭く問いかけています。大統領も、「これでやっと自分はただの市民になれる」というのがなんとも、哀しいですね。

しかし、巨大科学が、いつも堕落するのではないと思います。科学者精神、それを私は「湯川精神」「コペンハーゲン精神」と呼ぶことにしていますが、とは、地位にも、国籍にも、人種にも、性別にも関係なく、お互いに真実を解明するためには平等であるところから出発します。そして、お互いに批判しあい、議論を戦わせるようなネットワークができている学界では、たとえ、異なった主張があっても、科学的実験によって確かめられたり、真実が明確になれば、徐々に科学者の間で合意が成立し、最終的には真実が明らかになるのです。湯川先生は、専門の素粒子論だけでなく、研究を推進するシステム作り、核兵器廃絶への道、さらにはヒトの進化と戦争の科学、を「湯川精神」で貫いて取り組まれた、その思いをもう一度、今思い起こしています。