2017年05月25日

円城塔氏についての誤記のお詫び(ブログ その82)

ブログ その81で、円城氏の物理学会誌によせられた記事について書きました。

それに対して、円城さんから「過去、佐野研に所属したという事実はありません。」というメールを頂きました。私の方が、ずっと誤解していたようで、確かめもせずに、記事を書いた事をお詫びします。実は、東京大学大学院というところまでは間違いはなかったのですが、佐野研ではなくて、金子邦彦教授の研究室だったそうです。早川さんには、「確認せず書いたのは失敗でしたね。」と言われてしまいました。円城さんには失礼をいたしました。事実誤認をしたことをお詫びします。佐野さん、早川さん、そして、金子さんにも申し訳なかったと思いました。早川さんに確かめるべきだったと後悔しています。

実は、早川さんも佐野さんも、当時日本物理学会の理事でしたので、早川さんと分野が近い方として、ダイレクトに、すぐ佐野研と思いこんで、ずっとそれが訂正されないまま、今日に至っていたということでしょうね。ただ、よく考えると、ちょっと違和感があったことも事実です。研究者の世界ですから、同じ研究室でも、個性があり、時には全く正反対のキャラクターがみられることも事実なのですが、それでも一種の研究室の雰囲気があります。もちろん、どの研究室に入ったからこういう考え方、というわけではありません。しかし、科学に向きあう姿勢というか、考え方というか、そういうものが、やはり、研究室によって異なります。

例えば、私の育った湯川研では、伝統的に、色々なタイプの研究者が生み出されました。湯川先生は、大学院生に懇切丁寧に指導するというタイプではありませんでしたが、「好奇心」の強い方でしたので、好奇心の対象をどこに定めようと、好きなようにさせておられました。この湯川先生の学問への姿勢を反映して、素粒子論だけではなく、物性分野、生物分野、宇宙分野、はては科学史をやる人まで、さまざまな先輩がおられます。2005年に基研の研究会として組織した「学問の系譜」では、その精神を象徴されている、南部陽一郎先生、林忠四郎先生、大沢文雄先生、などが話してくださいました。断っておきますが、この先生方が、湯川研出身というわけではありません。こういう伝統が日本の素粒子論グループにはすっと受け継がれていたという意味です。学問の系譜で問題にしたのは、この精神でした。この記録はとても面白いので、「本として出版したら」と言われたものです(これについてはまた別にお話しします)。

さて、何となくですが、佐野研というと、みんな楽天的で、ネアカが多いという印象を何となく持っていました。何でも面白がるというか、なんでも科学にするという寺田寅彦のキャラクターです。正直言うと、当時、円城さんの文章は、さすが筆のプロだけあって、リアルに描かれているのですが、「やりがいのある仕事はリスクも多い」といった雰囲気がありました。事実そうなのですが、とはいえ、「新しい分野に挑戦して、いろいろなキャリアで自分の能力を発揮したらいかが」と励ましてほしかった私としては、ちょっとびびったものでした。それはまた、視野を広げて、「世の中にはいろいろ面白いことがあるよ。それを追求したらもっと能力が生かせるかも」といった転身を促すという意味だけではありません。当時、このポスドクシリーズの世話係だった私は、世の中の色々な現象に目を向け、これまで培った科学的な訓練を生かす道を進めば、学問分野としても、物理学がより豊かになるという思いがあったからです。

それで、円城さんのポスドクシリーズに、私のコメントをつけようと考え、当時、私の思いを書いたのでした。書いたものの、結局躊躇して、出さずに埋もれていました。ファイルが見つかったので、これを紹介しようと思います。

**円城さんの「ポスドクからポスドクへ」の寄せた想い(2008年2月26日ファイルより)**

さまざまな道    キャリア支援センター長 坂東昌子

私の実家はネクタイ卸を主とし同時にネクタイ専門店を開いていた。ネクタイは生活必需品ではない。だから、戦争が始まったり景気が悪くなったりすると、パタッと売れなくなる。生活に余裕があり、豊かであれば繁盛するという商売であった。

芸術家も科学者も、昔は、貴族に仕えて養ってもらいながら、自分の好きな音楽や絵画、科学研究を「させてもらって」いた人たちであった。芸術も科学も、目先の金儲けには役立たず「おまけ」の仕事だと思われていた。時代がたつにつれ、人間は工夫を凝らし食べるだけで必死になっていた生活から、豊かな生活を楽しめるようになった。さらに、豊かな生活を支えてくれるのが、役立たずと思われていた基礎科学の力であったことが分かってきた。そしてまた、豊かさも物質的な側面だけではなく、心の豊かさが、人間にとって大きな意味があることがわかってきた。そして、科学が職業として認められるようになり、「職業としての科学者」が誕生したのである。技術の発展に伴ってもたらされたマイナスの影響もなかったわけではないが、「貧困」「病気」を克服するのに、科学が大きな救いの手を差し伸べてくれたし、それによって、より豊かな心を支える仕事への需要も高まった。

しかし、芸術の分野では、ごく一部を除けば、科学技術者に比べればまだまだ職業として確立するというような「しあわせ」な人は、ごく少数にとどまっている。今でも、大多数の芸術家は、中学や高校の先生、あるいは塾を営みながら芸術の分野に貢献している。こうした先生方は、「好きだからこそ伝えられる」ものがあり、子供たちにさまざまな一流のものを見せてくれる先人としての役割も果たしている。

こうして、いろいろな形で「生きがい」を持ちながら、生活を支えているための仕事は別、といった形で生きている。「自分がやりたかった職」につけた人は、実は、こういうたくさんの犠牲の上に、というかこういうたくさんの真摯な努力があってこそ、「やりがいを職にして生きていけるポスドに私は居るのだ」ということを肝に銘じておく必要があるのではないか、そんな想いがこの円城さんの文をよみながら、心を新たに引き締めたい気持ちになった。

「やりがい搾取」という言葉がある。物理学会の会員には、幼い頃から、「なぜ?」と問うのが好きで科学を志したたくさんの仲間がいる。「やりがい」があれば、苦労をいとわないで進んできた人がほとんどだろう。やりがい!素敵な言葉である。芸術・科学・・その他もろもろの分野に、人間としてあこがれる真や美を求め続けている人たち、それはすぐに「もうけ」につながらないかも知れないが、人間として生きていくのに、とても大切なものを私たちに与えてくれているのだと、そういう風に考える豊かさがほしい。

今回、ご登場いただいた円城塔さんは、芥川賞候補にもなっている作家である。これだけの作家でも、生活を維持するのに、別の仕事をしておられるのだということに、驚いてしまう。

昔は、尋常小学校を卒業すると働きに出た。それから新制中学校卒が集団就職で町に出てくる時代があり、今は高校全入時代、そして大学全入時代に突入している。豊かになった分だけ、もっと新しい学問を学び、心も豊かにする仕事が増えてきていいはずだ。「やりがい」搾取はもうやめてほしい。それはいつかきっと人間にとって最も大切なものへ向かっての、人類の投資ではないか。物理の博士でありながら、ほかの才能ももち合わせていた円城さんの生きかたは、私たちにいろいろなことを教えてくれる。

とはいえ、しっかりした物理の素養がある小説・ライターが、生物や化学に比べて少ない気がする。環境問題・エネルギー問題、さまざまな生活の中の要素には、物理学の基礎知識を駆使して、それを易しくエッセンスをさりげなく、そして自然な形で読者に伝えるような、そんなライターがもっといれば面白いのにな、そう思う。誰にでもなれるものではないけれど・・・。特異な道を歩まれた円城さんの真似は誰にでもできるのではないが、物理学の幅と豊かさをあらわす「ちょっと変わった生き方」も、これから紹介していけたらと思うがどうだろうか。

「やりがい」が仕事になるような、そんな社会こそ、豊かさへ向かう人類の目標なのではないでしょうか。それが本当の豊かさなのだ、と思います。金持ちよりは、そんな豊かさのある未来に向かって進みたい、科学がそのために、役立ってほしいなあ・・・。

それにしても、円城さんの文章は読み返してみて、「非正規研究者」という立場の実態をリアルに描き、大学院重点政策を推進した大学人に警告を発しているのがひしひしと伝わりました。そして、3・11以後、私たちの見失ったものを教えてくれたのではないか、と思うこのごろです。