2017年09月21日

円城塔とポスドク(ブログ その81)

早川尚男氏が、「とうとう、やりましたね」
私は、「え?」とききかえすと、
「円城さんですよ。」
「あ、あの人!」

そうです!『道化師の蝶』で第146回芥川賞を受賞した円城塔氏は、実は物理のドクターを出た方でした。

それは、ついこの間、2012年1月19日のことでした。私は基礎物理学研究所の次年度研究会の申請のため、基礎物理学研究所の第4回同利用運営委員会にでかけました。基礎物理学の共同利用部門では、全国の関連ある研究者が、研究会を提案することができます。それを全国から選ばれた運営委員会の席で質疑応答を加えて約15分説明し、そのなかから採択するという方式をとっています。

私の提案したのは、「原子力と原子物理」というテーマでした。この1年、「東日本震災の科学シリーズ」で市民から「どうして原子力と原子物理がこんなに乖離しているのですか」とよくきかれました。この状況を少しでも改善し、原子力と原子物理のネットワークを作るような学問の内容に立ち入った研究会を科学者の間で持ちたい、という思いからでした。もっとも、普段行われる研究会とはちょっと毛色が違います。はっきりしているのは、社会問題としてとりあげるのではなく、この歴史的な時期に、あくまで、科学の対象として、異分野科学者間のネットワークを強めるための第1歩にしたいという気持ちからでした。

それはともかく、午後1時から始まるはずの説明会は、午前の部が議論が長引き、1時半からだったようで、余り人がいなかったのですが、丁度その場におられた早川尚男さん(基礎物理学研究所教授)が、上のように言われたのです。

物理学会でポスドク支援活動を学会として始めたころのことです。私は、ポスドク支援の1つとして、物理学会誌に、「ポスドクシリーズ」という企画の担当をしていたのです。ポスドクがキャリアを広げるには、先輩たちの経験を語ってもらうのがいい、ということでした。

ポスドクシリーズには、いろいろな分野に挑戦されたポスドクの方々に登場願って経験談を書いていただいていました。

当時の内容は、日本物理学会キャリアセンターのポスドクシリーズ一覧から見ることができます。このシリーズでは、医学物理士、IT企業、等に進出した方々の記事が出ています。なかには非常勤講師を続けている報告もあれば、ポスドク問題に対する提言や調査資料もあります。

円城氏を紹介いただいたのは、早川尚男(基礎物理学研究所)さんでした。当時、早川さんも私も物理学会の理事の仕事をしていました。理事会の帰り、新幹線の中で相談していたときに、早川さんが提案くださり、交渉して書いてもらったというわけです。こうして、「ポスドクシリーズ」に円城氏に書いてもらったのです。実際には、作家とかジャーナリストなどは、けっこう、科学的知見を持ったという強みを生かせるような気がしますが、いうほど簡単なことではありませんが。作家という新しい「やりがい」はあるが、生活の基盤としては不安定な身分に転向されていたと思います。芥川賞にはノミネートはされているが、受賞できない段階でした。

早川さんから紹介を受けてお願いするにあたって、頼む前にちょっと見ておこうと、小説をいくつか読みました。時系列にも論理系列にもよくわからないので、なかなか読みすすめませんでした。まあ、たまに、名作と言われているもの、例えば、「吉里吉里人」などよんでも小説を読んで、この話は***から始めてもいい、式の話が長々続いて「なんやこれ、はよ、何がいいたいのか、率直に言えないのかな」というくらい無粋な私ですから、こういう小説の醍醐味がわかっていないのですが。

円城氏のタイトルは、「ポスドクからポストポスドクへ」( (<シリーズ>"ポスドク"問題 その12) 円城 塔 日本物理学会誌 63(7) pp.564-566 20080705)をご覧ください。

注意:上記のURLに直接アクセスしても、エラーが出るので、いったんhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110006825822にアクセスし、その中にあるRead/Search this Articleのところにある、CiNii Fulltext PDF - Open Accessをクリックすると、PDFファイルを見ることができます(なぜ直接にアクセスできないのか理由はわかりませんが、試してください)。

「やりがい」はあるが「めしのたねにならない」仕事を続けていた円城氏の文章は、切実でリアルな記述で、ちょっといえばシニカルなタッチです。

この円城氏は、東大佐野雅己研の出身だということで、同じ分野の早川さんがよくご存じだったのです。2011年12月にも「身の周りの科学から震災まで ー寺田寅彦とサイエンスの今ー」という講演会を主催されていることからも分かるように、幅広い物理の視野を持っておられます。この講演会の情報発信として、佐野さんが、「科学者がもっと勇気を持って自由に発言することが大切」と言われているのには、今、身に沁みる言葉ですね。

この分野では、吉川研一氏(京都大学理学研究科)といい、佐野さんといい、幅広い視野で物理学の境界を切り拓いている方々ですね。ここでいつか紹介した砂山をやっておられる稲垣紫緒さんも、この分野です。生物と物理の間をつなぐ「ソフトマター」という分野ですが、昨日聞いた研究会提案を聞いていてわかったことですが、「アクティブマター」という言葉がソフトマターよりさらに生物に近い対象には使われているようです。まあ、今回、こんな形で、ポスドク問題の一例に接したのも、なんとも因縁のようなものを感じます。

物理学の対象は、どんどん広がっていきます。私も今、低線量放射線の生体に与える影響を物理学の手法で、今取り組んでいるところです。若い方々との討論を通じて新しい仕事ができること、それも今緊急の課題になっている「低線量放射線の影響」を対象にしたさらに突っ込んだ理解が、できる日も近いかもしれません。それはそれこそ、このNPOを通じてのネットワークの威力なのかも知れません。円城氏は、新しい仕事と、物理学をどのように位置付けておられるのかな、等と考えるこの頃です。

物理学で身につけたスキルを、いろいろな方面に活用できる道は、さまざまです。円城氏のような例はまれですが、円城氏が訴えたポスドクとしての声は、これから、もっと価値を増し、私たちに警告を発し続けることでしょう。

ついでながら、ポスドクの切実な声と、これからの展望を説いた著書、「ポストドクター問題 ― 科学技術人材のキャリア形成と展望」世界思想社は、国立教育政策研究所 編/日本物理学会キャリア支援センター 編です。その帯には、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠氏の次の言葉があります。

若き科学者のキャリアに夢と未来を!
ノーベル賞をめざす若き研究者の不安と苦悩の日々・・・

「基礎科学の発展の裾野には、見えないところで競いあう若き研究者のエネルギーが存在する。溢れんばかりの若き頭脳、その将来を社会全体が大切に考えて欲しい。」

小林誠(2008年度ノーベル物理学賞受賞)