2017年03月24日

なぜ、たった1年で世論が変わったのか・・・原子力発電導入の謎(ブログ その66)

1953年に米国大統領アイゼンハワーによる国連での演説、「アトムズ・フォー・ピース」で、原子力の平和利用の幕が落とされました。
日本でも、鉄腕アトムが空を飛び、家々に明かりをつけてまわる広告がでてきて、原子力は未来への希望の象徴となったのです。このなかで、日本は、日米原子力協定を結び、米国産の軽水炉を輸入して原子力発電を開始しました。自主・民主・公開という原子力3原則を打ち立て、日本の未来を誓いあったはずです。
当時東海の原子力研究所で新しく仕事を始めた原子科学者たちは、希望に燃えて新エネルギーの開発に携わったのですが、政府の「原子炉は米国(GEとWH)から輸入する、日本での開発はしなくてよい」と言われがっかりしたということです。
もっとも、当初(1966年)、日本の商用原子炉第1号として導入されたのは、英国製のコールダーホール(黒鉛減速ガス冷却炉)でしたから、米国一辺倒になったのはそののちのようです。コールダーホール型は、天然ウランを使えるのですが、軽水炉に比較して、取り出せるエネルギーは少ないので、結局、軽水炉が商用として普及したということです。

ところで、1954年3月1日、日本の遠洋マグロ漁船(第五福竜丸)の船員がビキニ環礁で行っていたアメリカ軍の水爆実験で発生した死の灰を浴びました。1945年以来、広島長崎で原爆による被爆国だった日本は、3度目の死の灰を浴びることになったのでした。放射能汚染の危険が叫ばれ、それが原子力はもうこりごりだ、という世論となっていました。日本が原子力エネルギーの平和利用という方針を決定したのは、実に、このパニックのあと、たった1年を経た頃だったのです。

「日本にはエネルギー資源がない」という危機を訴え、アメリカから原子力平和使節団の招へいし、ジェネラル・ダイナミック社長ホプキンスが来日(1955年)、読売新聞と日本テレビによって大宣伝されました。講演会場は満席で人があふれたということです。そして、この世論に乗って、原子力の平和利用を掲げ当選した正力松太郎(読売新聞社主)と中曽根康弘議員のリードで、1956年6月には、日米原子力協定を結び、正力氏が、初の原子力委員会委員長になるのです。放射線の恐怖、反戦、反米という嵐のなかで、たった1年後に、どうして、このような世論の変化が起きたのでしょうか?

それがたった1年の間に、変わったのでしょうか。「原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~」(NHKスペシャル)によると、この世論を変えたのは、正力松太郎、柴田秀利(日本テレビ局の重役)のコンビで、日本の世論が、ビキニ事件の後1年で、原発導入に賛成に変わる過程について、「読売の原子力導入キャンペーンが成功した」となっています。テレビというマスコミの武器を使って大宣伝したのだというのです。

私たちは、「原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~」(NHKスペシャル)のビデオを見ながら、議論しました。

実際はどうだったのでしょうか?いくらマスコミの宣伝があっても、一年余りの短い間に「放射線は怖い、原子力はすべて反対」から、「原子力時代の幕開け」という世論に変わったのはどうしてなのでしょうか。当時、科学者からの発信は?市民の意識は?本当のところどうだったのでしょうか?

核兵器廃絶と反原発は同じではありません。しかし、現状は、反核として何もかもひとからげにして論じられるようになっています。すると、科学的姿勢が薄まり、イデオロギーが先行するようになります。放射線をめぐっての、さまざまな異なった意見表明を整理してみると、そこにも、いくつかの認識や立場の違いがあるように思われます。

さらに、日本の、そして世界の原子力発電の歴史を振り返ってみると、疑問が次々と湧いてきます。原子力発電の方法も、今はウラン原子力発電とともに、当初はトリウム型原子炉も有力だったのですが、、どうして世界のすう勢がウラン型になったのか、という疑問がわいてきます。

さよならウラン、こんにちはトリウム 米中印が続々参入…福島原発事故で浮上した未来の原発」というタイトルのニュースが、「日経ビジネスオンライン」にでています。

この記事の中では、元NASAのエンジニアで、トリウムの専門家であるカ-ク・ソレンセンの次のようなコメントが紹介されています。

「この原子炉は驚くほど安全な構造になっている。もし、過熱し始めると、小さな栓が溶けて溶融塩は鍋の中に排出される。津波で損傷して使えなくなるコンピュ-タ-も、あるいは電動ポンプも不要である。原子炉自体で安全が守られる」

こういう魅力的なトリウム型原子炉が、どうして選ばれなかったのか、半世紀を経た今頃になって、どうしてこういう話が浮上するのか、それが知りたいとおもいませんか。日本物理学会が主催したシンポジウムで講演された井上信氏に、坂東は質問してみました。

そしてその答えにショックを受けたのです。

でもその先は、ここではいうのを控えておきたいと思います。以下の9月11日の井上信氏の講演を聞き、ご一緒にじっくり考えてみましょう。井上さんの原子力導入の歴史の解説と「原子力とはなんだろうか」という問題提起は、科学者にとっても、市民にとっても、いや、日本人だけでなく、人類全体にとっても、科学と社会の関係を考えさせられる深刻な課題を提起しています。

関心のある方はどなたでも、お気軽においでください。お待ちしております。

文責 坂東昌子・真鍋勇一郎


シリーズ東日本大震災にまつわる科学 第3回公開講演討論会

テーマ:原子力とはなんだろうか

日 時:2011年9月11日(日) 13時30分〜16時30分

場 所:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館 Panasonic国際交流ホール

詳しくは、こちら をご覧ください。