2017年07月24日

SNN配信開始!(ブログ その26)

科学者自らが主体的に届けるサイエンスの情報に声援を!

坂東です。お久しぶりです。

ブログのアップ、長らくご無沙汰していました。というのは、にわかに忙しくなってきたからです。
すでにニュース出もご紹介していますが、わがNPO法人から発信するサイエンスニュースづくりで、ここ1カ月走り回っていたからです。といっても、最も大変な仕事をしておられるのは、この企画責任者、当法人保田理事(株式会社ズームス代表)です。

私たちは、科学者の内側から発信する「生きた情報」をとどけようと、いくつかの企画を同時に走らせています。
その中で、佐藤名誉会長の「科学を斬る」や、私が担当する「昌子の部屋」の企画が動き出し、関西のあちこちで行われる科学関係のイベントの取材や、「サイエンス紙芝居」など、それになんと、テーマ音楽(作詞は当法人青山副理事長 文才があるんだなあ!)など、盛りだくさんで楽しい映像を届けようと頑張っています。

そして、11月9日、JST サイエンス・ニュース・ネットワーク の配信を無事開始しました。

第1回の配信は、南部先生の講演会の様子から始まります。
導入部で出てくる京都大学基礎物理研究所では、湯川記念館史料室委員会(九後汰一郎委員長)にお願いして、録画をさせていただいた史料をご紹介しています。湯川先生の伝統を背負った学術の香り高い書籍、かつて湯川先生がおられた研究室の映像、そしてノーベル賞の対象になった論文が紹介されます。佐藤さんと柳澤さん(京都大学吉川研ポスドク)の軽妙、かつ楽しいやり取りが圧巻です。

第2回と3回目は、「昌子の部屋」が始まります。
最初のお客様は、阿部光幸先生です。阿部夫人のお父様が、やはり近くにお住まいの西谷啓治先生(1900年~1990年)で、よくおいでになっておられました。西谷先生は当時も80歳を越しておられ、当時中学生だった娘は何かのお使いでお伺いした時に、恐れ多くも西田幾多郎の流れをくむ高名な西谷先生とお話しをしたらしく、「あのおじいさん、しっかりしてはる」と帰ってきていいました。「そら、偉い先生や、あたりまえや!」と大笑いをしたのを覚えています。
阿部夫人とは、子供たちが同級生で、PTA活動などもご一緒に取り組んだこともありますが、すぐに気風が同じで意気投合し、展覧会を見に行ったりしたものです。

阿部先生とは、故牧二郎基礎物理学所長のお手伝いで取り組んだ湯川理論50年記念国際会議の際にお目にかかりました(1985年)。
「放射線、特に湯川パイ中間子を用いた医療」というお話を公開講演会でお願いすることになり、その打ち合わせで、初めてお目にかかりました。その時、阿部先生が「僕は実ははじめ素粒子論をやりたかったのです」といわれたことをよく覚えています。
阿部先生は、京都大学医学部放射線科の教授でいらっしゃって、放射線を使った新しい治療に取り組んでおられたのでした。当時、黎明期の放射線治療という未踏の地にいち早く取り組まれた阿部先生のご苦労をお聞きできました。

ごく最近、日本物理学会の キャリア支援センターも「切らずに治すがん治療」をめざす放射線治療では重要な役割を果たす放射線は、物理学の果たす役割が大きいので、人材の活用の道として、物理医学学会と協力して、物理医学への道を拓くために取り組みました(「物理学(特に核物理学)と医学を結ぶ連携プロジェクト・・その発端と現状」として、まとめをHPで見ることができます)。
そして、この2年の間に、20名を超す若手が「医学物理」の方向で活躍するようになりました。物理学会のシンポジウムでお話しいただいた田島俊樹先生(関西光科学研究所 日本物理学会ビーム物理領域)が、阿部先生のお仕事に触れられ、「阿部先生には、光(ガンマ線?)医療のプロジェクトやそれに先立つ粒子線治療 について、手を引きご指導を賜って参りました。
1年(か2年)ほど前でしょうか、先生とどの席だったか定かに覚えて いないのですが、ご一緒した際に先生の学問の淵泉をお尋ねしたことがあり、 その折京大学生時代湯川先生を憧れて居られたこととか、講義などにも出ておられたことなど、若き阿部先生と、湯川博士は、医学の分野に素粒子研究の方法を持ち込む(すなわち粒子線癌治療など)ことの意義を同意なさっていたようです。
私自身、子供のころ未だそのころは科学というと湯川の時代でしたから、幼心に湯川博士には憧れて漠然と京大(父の転勤で叶わなかったのですが)へなどと思ったりしておりましたので、こうした阿部先生の心情が良く分かったような気がしました。
湯川先生も、ご自分の研究対象であった原子物理学が、医療分野で役立つことをことさらお喜びになったことでしょう。
湯川先生との出会い等もお話できてよくわかりました。

その田島先生のこの分野でのご活躍も、今回しっかり阿部先生からお聞きすることができました。
放射線を医療に活用するには、どうしても放射線を出すための加速器が必要です。その加速器を如何に小型化するかは、最大の課題です。「粒子を加速する」仕組みを、レーザーという波を使って(一種の波乗りを利用して)実現するというご提案をされ、それが、ドイツ(マクスプランク研究所)の研究者も同じことを考えていることで、大いに盛り上がり、とうとう田島先生は、今はドイツでお仕事をしておられることもお聞きしました。
他にもいろいろ面白いお話があったのですが、長いインタビューでカットせざるを得なかったのがちょっと残念! いつか前インタビューを紹介したいなあ、と思ったりしています。

田島先生は、「私自身は、若いころは核融合や多体系としてのプラズマに足を踏み込んだものですが、どうした因縁か、プラズマや原子力技術の一部と言ってよい レーザーの技術などを使い、加速器の超小型化で高エネルギー素粒子のフロン ティアの拡張に繋がってきているのが、湯川先生の掌の上で経巡っているようで運命的と思っております。こうした中で阿部先生に巡りあえたのは大変な 幸せと思っております。坂東先生とは今回初めてお会いすることができ、湯川先生直接のお弟子様とお聞きし嬉しく思っております。なお、お弟子様であられる佐藤文隆先生は、当所が運営している「きっづ科学館ふぉとん」の名誉館長をお願いして おりますので、時々お話しすることがございます。今後、坂東先生からもご指導を賜れれば幸甚です。」ということでした。
田島先生が日本におられたら、ぜひ、田島先生にもインタビューしたかったなあ!

「切らずに治すがん治療」というのは大変魅力的であり、私も手術してQOL(生命の質)が下がったまま生きているくらいなら、手術はしたくないな、とずっと思っていました。夫をがんで亡くした時、阿部夫人が、「がんはいわば加齢の問題とも強く結び付いていて、生きていることはどういうことかという解明と重なっていますね」とおっしゃったことを覚えています。
20世紀の最初のノーベル賞受賞者であるレントゲンがX線を見つけた時からの医療に対する、大変重要な発想の転換があり、切らずに診察する、切らずに治すという方向は、医療の理想を追求する方向ですね。
非破壊検査もそうですが、中をあけてみないと、診察はできないし、治療できないという常識を破って、物理学が放射線という新しい手段を使って可能にしたのですね。アメリカでは、物理医学士の資格が確立した職業になっており、その数は7000人を超すともいわれています。それに比較して日本には正式に地位が確立しておらず、その人数もせいぜい2ケタだということです。
日本では、放射線の研究は盛んにおこなわれていたはずです。なのに、どうしてアメリカに比べてこれほど後れを取ったのでしょう?
日本の伝統がもっとあるはずなのに、「アメリカに行って修業してくる」とかアメリカの教科書が使われている」という現状は、不思議で仕方ありません。湯川朝永の伝統は、日本の素晴らしい伝統を作り、それが受け継がれているのです。

国際的な視野をお持ちの先生からみて、こうした伝統はどういう風に受け継いでいくべきなのか、そんなお話もできて、とても興味深いインタビューを終えることができました。

千葉県にある放医研にならんで、兵庫県にできた「放射線医療センター」の初代センター長も務められ、センターの立ち上げに貢献された阿部先生は、今も同センターの名誉顧問でいらっしゃいます。
先生のお話しぶりは、学問的背景の深さと、その先進的な学問に対する姿勢を感じさせるもので、大変感銘を受けました。また、「ここはわからない」ということを明確にされるその厳密さと謙虚さ、それでいてレベルを落とされません。
先生は、若い医者が、検査データにとらわれて、真の原因を見ない態度を深く戒め、「患者がいたいと言っているのに検査データを眺めただけで、それを受け止められないのはダメだ。痛いと言っているのには必ず原因がある。それを見出さねばいけない。」とおっしゃっていたと聞いています。「病気を診てそして病人を診よ」というのがモットーだということです。医療の在り方を、見事に指摘しておられます。
どうそ、阿部先生のお話を一度のぞいてみてください。→ JST サイエンス・ニュース・ネットワーク

【参考資料】
 ● 科学カフェ京都での講演:http://ameblo.jp/kagaku/entry-10273315803.html
 ● 阿部光幸 放射線診療のこころ ―病気を診てそして病人を診よ― 全1巻
  形式: VHS 50分 
  発行年: 1995年
  企画編集:医療放射線防護連絡協議会 ,
  出演:阿部光幸(国立京都病院院長・京都大学名誉教授)