2017年09月20日

(続)静岡大学での出会い(ブログ その22)

年齢制限への挑戦・・・

静岡大学での奇しき再開は、当法人の、「京都府の雇用促進プロジェクト『京都未来を担う人づくり推進事業』への応募者に対する年齢制限を問う」のアピールと関係している。佐藤名誉会長と連名で出したアピールのきっかけは、このプロジェクトに興味を持ち、応募しようと思ったあるポスドクが、「年齢を超えているので諦めます」といわれたことから始まっている。

アピールを出しながら、私は、はるか遠いある出来事を思い出した。実は静岡大学というと、なんとなく、温かい親しみの感触があった。どうしてかな、と思っていた。それが、ある出来事とつながっていたことがわかったのである。

それは、もう30年以上も前のはるか遠い記憶であった。当時、女性研究者のほとんどは、国立大学の助手以下の身分であった。つまり、当時でも、大学の教員の中で、助手までの階層には、多少は女性も存在した。しかし、女性研究者のほとんどは、それ以上の身分にはなかなかなれなかった。このことは、統計的には明らかであって、「The higher, the lower rate」(高い階層ほど比率が少なくなる)とか、「ガラスの天井(Glass Ceiling)」と言われた。目に見えない厚い天井があって、上へ昇れないのだという意味である。ポスドク問題は、今や男性にも重くのしかかっていて、まさに、非正規雇用から正規雇用になるのは「ガラスの天井」どころではなくなったが、当時は、女性特有の障害であった。その意味では、女性は、昔からこの重い問題をずっと抱え、経験してきたのである。私も、長く京都大学の助手をしていた。

塩川さんのことを思い出したのは、以下の事件があってからである。
塩川さんは、東工大の電気工学分野で仕事をしておられた。その頃、静岡大学で公募があり、たしか32歳という年齢制限が付いていた。塩川さんは、すでに約10歳、年齢が超過していた。彼女は、悩んだ末に、応募することにした。「私は子育て中の女性でしたので、業績も少なく、なかなか応募できる機会がなくて、40歳を超えてしまいました。しかし、研究を進める情熱も人一倍強いし、今は頑張っています。採用されたらご期待にこたえて一生懸命仕事をします。」というような内容の長い手紙を同封したのだという。

そして、なんと、彼女は採用されたのだ!私たちは、この朗報に躍り上がって喜び、彼女の挑戦に拍手を送った。

塩川さんもあっぱれだけど、それより静岡大学が、公募できちんと評価して、年齢制限にも関わらず、正確にいいものを見て議論を深め、塩川さんに決めた、というのがうれしかった。静岡大学のスタッフは、相当なレベルだと感心したものであった。年齢だの、性別など、気にするのは、本当にみる眼をもたない自信のないあらわれではないか。
男女共同参画と今は言うけれど、静岡大学は、そんなことを言われる前に、先端を切っていたのである。

彼女は、期待にこたえて、いや期待以上に、スマートに研究をこなし、見事に、静岡大学工学部教授第1号になられ、期待以上の活躍をされたのだ。ところが・・・

「塩川先生はスマートに教授職をこなし、スマートにやめられましたよ」 

「え?やめたって?定年前に、ですか?」 

「そうですよ。塩川先生は、ベンチャーの社長ですよ」

あの、塩川さんが、そんな人生をたどられたのか! 
2004年10月に設立した静岡大学発ベンチャー企業、SSTの社長が、元静岡大学教授の塩川祥子さんだそうである。ネットの上で久しぶりに、塩川さんのお顔を拝見!【SAW&SPR-Tech有限会社】塩川祥子社長の写真であった。
もう20年以上も前のあのころを思い出した。なつかしかった。

「あのときは、ダメモト(ダメでもともと)の気持ちでしたね.このこと以来,ダメモトという気持ちで自分を前に進めることができるようになりましたよ.」

という塩川さん。可能性がどんなに少なくても、応募しなかったら、可能性はゼロ、応募先に、どんな正論を吐く人が審査に加わっているかわからないではないか。その可能性はゼロではないのだ。挑戦してこそ可能性は開ける!人生、一度しかないのに、悔いを残してはいけない。「諦めないで、挑戦すること」を自ら実行したという例として、塩川祥子さんの挑戦は、大いにみなさんを励ますだろう。
こうして、不思議な縁で、昔と今が結びついた!

早速メールアドレスを教えてもらい、メールを出した。


塩川さん

何年ぶりでしょうか!懐かしいお名前を静岡大学に行く機会に思い出し、どうしておられるかなあ、と思ってお聞きしたら、静岡大学での工学部の唯一の教授として「かっこいい先生」だったことを知りました。就職されるときに、年齢制限を越えていた採用公募に、しっかり理由をつけて応募され、採用されたときに、とてもうれしく、みんなで喜び合ったのが、何年前だったのでしょう!そして、私自身も定年を迎えた今ごろになって、久しぶりに、塩川さんにめぐり合うことができたのも、何かのご縁ですね。そして、「かっこよく、定年前に新しいチャレンジでやめられました」ときいて、塩川さんのすばらしさを再認識しました。
草分け時代の女性研究者のすばらしいチャレンジ精神を示していただき、胸のすく思いです。本当にうれしかったです! 又いつかお会いできることを楽しみにしています。
とりあえず、ごあいさつです。HPで塩川さんにお目にかかれてなつかしかったです。

坂東昌子


うれしいお返事が来た。


坂東昌子様

静岡大学でお話しされたと聞き,誇らしくてまた懐かしく,すぐにメールいただきうれしく拝見しました.ホームページにも訪問,その中を感心したりしながらたのしく散策いたしました.学会の会長時代は大変でしたね.いつも応援していました.本当にご苦労様でした.
私は,6年前に退職し,工学部ですごした時期に得た成果を形にしたいと思って,会社を設立し現在製品を開発中です.未知な経験でうまくいくかどうかは分かりませんが,何もしないのは晩年に後悔をすると思ったからです.もう少し続けて,若い人にバトンタッチしたいと思っています.会社のホームページを作る予算が立ったので今作成中です.(8月上旬予定)そのときには紹介させてください.
こちらでは,昔、一緒に頑張ったみなさん達とは,毎年春の連休やまたは年末・年始に料理を囲んでお互いの情報を交換しています.
暑い日本の夏がやってきました.健康に留意されてご活躍ください.
またお目にかかりたいです.

塩川祥子


そうだったのか。こんなところにも、私を応援してくださっていたのか、そう思うと、目に見えないネットワークでつながっている、たくさんの仲間がいることを、ほんとに幸せだと思う。
ベンチャー立ち上げのアイデアは、浜松の気風を反映したものかもしれない。塩川さんの挑戦を、心から私も応援しよう。

そして、いつか、プロジェクトX、いやプロジェクトXX第1号として登場してほしいものだ。