2017年03月23日

人間にやさしい科学(ブログ その11)

看護学への期待 

2009年4月25日、東京ガーディンパレスで開かれた一般社団法人「日本看護研究学会」の法人格獲得創立記念講演ということで、お話しさせていただき、とても感銘を受け(講演した方が感銘を受けたんですよ!)、それに新しい発見をたくさんさせていただいたので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。

「沈黙の春」を書いたレーチェル・カーソン、100年以上も前に、アスベストの危険を指摘した女性技術者、ルーシー・ディーン、それに鉛の公害を指摘し鉛会社に警告を発し、のちに産業医学という新分野を拓いたアリス・ハミルトンなど、多くの女性たちが切り開いた「命への思い」を科学に託した生き方と、そこから芽生えた新しい科学の方向には、心を打たれるものがあります。

科学者全体からみれば、ごく少数派である女性科学技術者が、数少ないわりには、科学と人間のつながりや、人にやさしい科学に尽くした貢献度は、統計的には突出しているような気がします(証明したわけではありませんが)。それをなんとかデータで示したいものと、私は「プロジェクトXX」という構想を前から持っています。これは、男のロマンを描いた「プロジェクトX」になぞらえて命名したものです。この構想については、既に、いくつかのプロジェクトを実行してきたので、そのうちに(生きている間に、ですね!)、実現して皆様にお目見えできるよう、頑張るつもりです。

これらの女性科学者に加えて、なんといっても燦然と輝いている存在はナイチンゲールです。この日本看護研究学会では、看護学を立ち上げたナイチンゲールを中心にお話しすることになりました。彼女はクリミアの天使といわれますが、それは彼女の全体像からいえば、ごく一部に過ぎません。むしろ、看護という仕事を、プロの職業としてレベルアップし、看護学校を創設した実行力のある人というべきですね。当初このことだけでも、歴史に残る人物として、高く評価しておりました。

まだ愛知大学で総合科目を担当していたころ、そして、生命をめぐる総合科目を担当した後、愛知大学研究助成班(代表・坂東)で研究会を積み重ね、そのとき、ナイチンゲール著作集を調べ、その鋭い物の見方にいたく感激しました。中でも、感銘を受けたのが、「医者は1日に1度か2度、患者をみて指示を与えるが、看護婦(今では看護師という)は24時間患者を診ている」と高らかに宣言していることでした、科学者たるもの、現実を見ることこそその基本です。まさに「Get the fact」なのです。ナイチンゲールは、ヒポクラテスの医療の基本をしっかり押さえていたということができるのです。この意味から看護学が医学に比べて低い地位にあり、しかも実際には学としては未熟であることから脱していく必要性を訴えたのです。

その成果を、2,003年11月「生命のフィロソフィー」としてまとめました。その中で私はいくつかの論考を書きましたが、その1つが、「医療・看護・医学、そして生命科学」でした。そして、看護学と医学とが対等平等な学問となったとき、医療の真の姿が見えてくることを述べました。このあたりは「生命のフィロソフィー」をぜひご覧ください。 

でもこのときは、私はナイチンゲールの真の価値を知りませんでした。それを知ったのは、「女性科学者のリーダーシップ研究会」を立ち上げて後のことです。この研究会での企画について、当あいんしゅたいん理事でもある宇野賀津子さんと相談していたときに、彼女から、「ナイチンゲールは統計学者だった」ということを聞いてびっくりしたのです。しかも、多尾清子さんが、「統計学者としてのナイチンゲール」という本 を書いておられることを知り、早速、研究会でお話を聞くことにしました。多尾清子さんには、いろいろ学ぶところがあり件名を受けたのですが、それは別に機会にお話しするとして、ともかく素晴らしい機会を持つことができました。

ナイチンゲールは統計学者ケトレから多くを学び、統計学会員になっていたというのです。そしてなんと、グラフというものを初めて活用したのはナイチンゲールだったのです。それまでは、「マンガみたいなものを書くのは統計学者のすることではない」と思われていますのです。事実をしっかり把握し、それをみんなに分かる形で伝えるという科学者精神をしっかり身につけていたナイチンゲールは、まさに女性科学者だったのです。

日本は、かなり最近まで、看護師が、本当に勉強して博士を取ろうと思うと、アメリカに行くしかなかった、つまりアメリカには看護学が大学の講座として存在したのに、日本はなかなかそういう体制にならなかったのです。そして、先進的な看護学の先輩たちは、アメリカでドクターをとって、日本に帰ってきたのだそうです。その歴史を振り返りながらも、しかしまた、日本には素晴らしい先輩がたくさんいることを知ったことをお話しました。その日本の先輩たちの中でも川嶋みどりさんの論文には、たいへん感激したことを述べました。

そしたらなんと、実はこの会場に川嶋みどりさんがおられたのです。論文だけしか知らなかった方に、こうしてお会いする機会を得たのも、なんという幸運だったことでしょうか。こうして、私は、大変素晴らしい出会いを楽しむことができたのです。しかし、それだけではありませんでした。貴重な情報を得る機会を得たのです。

ナイチンゲールの話に戻ります。ナイチンゲールを科学者として認めるには、ちょっと抵抗があるのでずっと気になっていたことがあります。それは、ナイチンゲールが、細菌を認めなかったという話です。当時、生命科学と医療とが結びつく画期的な時期を迎えていました。それまで、医者が生物学の実験などしていたら、「そんなことをする暇があったら患者を診てくれ」という雰囲気でした。ところが、それまで原因不明だった病気のほとんどが、細菌の存在と関係していることがわかってきました。そこで果たした化学者パスツールの存在は、まさに時代を画したもので、細菌の存在こそ近代医学が成し遂げた驚異的な医学の発展に結びついていくことになるのです。

ところが、ナイチンゲールが、この画期的な科学の新しい時期に、細菌を認めようとしなかったというのです。これについては、例えば、宮本百合子の「真実に生きた女性」(新日本出版社)には、「彼女は組織者、企画者、行為する天才であった。が、近代科学者ではなかった。経験によってその範囲での成功を固執する彼女の主観的な態度そのものが、科学的ではなかった。いってみれば、貴族らしい強情さでもある。」(フローレンスナイチンゲールの生涯97ページ)と記されています。私は彼女の統計学者としての素晴らしさをすでに知っているので、この記述にみられる一般説にずっと引っ掛かっていました。

やっぱり、科学の素養が足りなかったのかなあ、ナイチンゲールにも、限界があったのかなあ・・・。でもそれまでのナイチンゲールのすごさ、統計学で見せたあの科学者魂が、そんな態度をとり続けたのは、どうも納得できないなあ、と思ったりしていたのです。

ところがで、です。川嶋みどりさんとお会いしてこれがはっきりしたのです。さすがです。ナイチンゲールの「看護覚え書き」に、この記述があり、「私は誤っていた」と当時を反省しているというのです!すごい発見です。やっぱり彼女は「科学の真髄」を身につけていたのです。なんと、うれしい発見ではありませんか。川嶋さんにお会いしてほんとによかった!

この会では様々な素敵な方々にお会いしました。皆さんすべてをここでご紹介できないのが残念ですが、お一だけご紹介いたします。そのお一人は、石川稔生千葉大名誉教授が、「私は看護学をサイエンスにしなければならないと訴え続けています」とい言われたことだけをご紹介しておきます。実は日本で、看護学部があるのは千葉大学だけらしいです。日本には、こんなにたくさんの優れた看護学の達人たちがいるのだ、制度こそアメリカに後れを取ったかもしれないが、中身ではもっと素晴らしいものをたくさん蓄積している、それを知ってうれしかったのです。その誇りをしっかりもって、そしてネットワークをしっかり広げながら、日本の新しい看護学の歩みを踏み出してほしいと切に思っています。

それに、川嶋さんは、実は武谷三男先生の3段階論を、看護学に適用したのだそうで、その勉強会には、武谷先生がご一緒に参加されていたとか。優しい思いやりと、科学の目をもつ女性たちがこんなにたくさんいるのだ、本当にうれしかったです。武谷三男博士が、看護師との勉強会に熱しに出ておられたことは、1年ほど前、猿橋勝子先生の追悼会でお会いした中島篤之助先生からいただいた「それぞれの武谷三男」(技術と人間9 追悼「武谷先生と看護技術」臨時増刊号)で知って、「湯川・朝永も幅広い視野を持っておられたと思っていたけど。この意味では武谷はもっとすごい」と感激した印象がありました。でもそれを書かれたのが川嶋さんだったとは!今まで結びつきませんでした。そこに掲載されていた写真をついでにご紹介します。物理と看護学、結びついていたのですね。 

 川嶋さんからいただいた素敵の本。 「あなたの看護は何色ですか」

新幹線の中でよんで、亡き夫のことを思い出しました。 
この本を最後のページを紹介して・・・ 

だから強くなれる

だからやさしくなれる

かんご大好きな

あなた 

追加記事1

日本看護研究学会副理事長の田島桂子さんから、日本の看護学の現状と、私の講演についての感想をいただきました。私が一番言いたかったことをしっかり受け止めていただき感謝です!ご意見をご紹介します。 

********* 田島桂子さんのコメント ************

「日頃わが国の看護界が米国に影響されすぎていることを危惧しておりますので,追随・模倣ではなく追い越せなのだとおっしゃってくださったことをあり難く思いました.私も古きよき時代の米国で学んでおりますが,その後もタイムリーに米国に出かけてその実情を 追跡しております.現時点で,米国から学ぶことは「悪ければ変更する」という精神だと 考えております.」 
「千葉大学の看護学部は,国立大学の中では1つですが、他の公立大学,私立大学では多数の看護学部があります.国立大学で2つ目以降が看護学部にならなかったのは,医学部との 関係だと思います.すべて医学部看護学科となってしまったのです.このことが、それ以降を引き摺ることになっております.当時の看護の力の弱さがあったからでしょう.」

追加記事2

またコメントが来ました。3代前の元理事長である草刈淳子さん(神奈川県立保健福祉大学 研究科特任教授)です。草刈さんたちが、法人としての学会を目指してこられたご苦労がよくわかります。看護学にかける思いが伝わってきます。 

********* 草刈淳子さんのコメント ************

「先日は貴重なご講演をありがとうございました。朝日新聞でその直前に紹介されていたこともあり、若い会員にはとても刺激的であったと思います。私にとってはかつて自分が第二子出産を機に、やはり職業を捨てざるを得なくなった折に、女性のライフサイクルとキャリア発達について考えた当時先生方の本に接していたので、初めてお目にかかったのですが、大変懐かしい気がいたしました。
本学会は昭和50年ごろから四大学看護研究会として、当時、熊本、徳島、弘前、千葉の4つの大学の教育学部に新設された、教育学部特別教科(看護)教員教育課程 通称「特看」といわれたコースの教員達が自分たちのアイデンテテイを明確にするため、看護研究を立ち上げたことに遡ります。 
私は、厚生省医務局看護課を退職し、第二子が小学校に入学した時に、同級生の現在京都橘大学看護学部長をしている前原澄子さんから誘われて、昭和52年に教育学部に就職しました。その後、この四大学看護研究会を基盤に「日本看護研究学会」として今日に至っております。 
今回は、学会創設から30年以上を経て、法人化についてさんざん論議されてきましたが、ようやく「一般社団法人」として登録したことを記念し、再出発の意味を込めて、先生にご講演いただいたので、今回初めて発足した会ではなく、日本の看護界では最も古く、かつ会員が最も多い会と自負しております。 
その6年後に、聖路加など看護系6大学を中心に「日本看護科学学会」が発足しております。看護研究者の多くは両方に参加しておりますが、だんだん性格が似てきてしまっているので、私は、看護科学学会には看護系学会が168大学にもなった今日、看護の理論を作り、さらに抽象化し科学としていくため、日本看護研究学会とは異なる方向をしっかり狙ってほしいと考えています。従って、本日本看護研究学会は裾野を広げる役割があると考えております。」