2017年12月16日

2016年 新年を迎えて(ブログ その127)

1.あけましておめでとうございます

2016年が始まります。みなさま、お元気で新年を迎えられたと思います。

新年になると、おたよりがとどき、皆さんがどんなことをしてこられたかわかるのが年賀状です。
この年賀状を今年は出さないことにしました。そのきっかけは、昨年、中学校時代の仲良しだった友達の1人が足腰を悪くしてほとんど寝たきりの生活になり、お見舞いに行ったときにはじまります。この友達は5人組でしたが、みんな集まりました。
このとき、「みんな結構な年になってきたね」、「年を取ったら、できるだけ身辺を整理すること」だという話になりました。物だけでなく、儀礼的なことはできるだけやめて、本当にやりたいことを残りの人生でやるべき、というものでした。すでに、このような思いは私の中にはあったので、2015年の年賀状に「そろそろご挨拶をやめようと思います」と書きました。そして、今年は出すのをやめてみました。年賀状による情報交換は懐かしいたよりもあり、また、みなさまの現状がわかることもあるのですが、今はインターネットの時代、たくさん書きたいと思っても余白がなくて中途半端になります。やっぱり無駄なような気がしています。
それより時間が増えた分、こうしてお便りを発信するほうが皆さんによくわかっていただけるのでは、と思いました。こうして、年賀状をやめてみた心境を今年は経験しています。

というわけで、いくつか昨年経験したことをお伝えします。

2.分野横断型研究会への思い
 
私は現在も京大基礎物理学研究所の所員、国友浩さん(その前は九後さん)のお世話で、協力研究員にしていただいています。国友さんには基礎物理学研究所での研究会のお世話など、いろいろなところで、お世話になっています。特に昨年は、「生物・医学を物理する:放射線と物理、医療を物理する、生命システムのモデリング」研究会の開催に多大のお世話をかけました。国友さんのおかげで分野横断を目標にした国際的な素晴らしい研究会が成功裏に終わって、どんなにありがたいかしれません。しかもこの、研究会に「出席してくださった海外の後援者はどの方も超優れた研究者であったことを今、とてもうれしく思っています。

マーク・リトルさんは、National Institutes of Healthの所属で疫学の大家で、国際的にも優れたリーダーですが、とてもいろいろなことに配慮が行き届いた方で、この研究会が終わった後で、医学物理分野の講演の中で提案された、「data-based radiation therapy」つまり現在の放射治療の現状を知るためにデータを集積しておく提案に賛同され協力をしたいと、メールで研究会世話人の羽賀さんに提案され交流が始まっています。さらに参加者のおひとりである高垣さんが「実は中性子照射の実験をしたいのだが」と申し出られたところ、米国の施設を紹介され、高垣さんからは「そういうわけで米国に実験に行ってきます」とお知らせをいただきました。

ヘイコさんは、Moffittのがんセンター研究所に所属しておられ、治療の現場を目の当たりにした疫学研究を手掛けておられます。本格的な研究をこうした治療の現場が持っているのは素晴らしいですね。まだ若い方ですが、所属の研究室は若い研究者が生き生きとしておられる様子に感銘を受けて招待したのですが、予想にたがわず素晴らしい方でした。そのあと参加したミュンヘンでのMELODIワークショップでは医療との連携は今年初めてということもあり、ヘイコさんの話のすばらしさが思い出されました。米国の放射線治療の現状は、すでに個人差までもきちんと考慮した治療計画を立てる段階に来ており、」学ぶべきものがたくさんあります。「とても有意義だった」と言ってくださり「今度は家族を連れてくるよ」と言ってくださいました。また、すでにアメリカ物理学会で知り合っていたハンナさんは、ウイルスの研究など数理モデルを構築されている元気な女性研究者で、学生も巻き込んで研究の幅を広げられている方です。私たちに仕事をアメリカ物理学会で発表したとき、知り合いになりました。それ以来、やっと日本訪問が実現しました。

どの方も、自分の領域を超えて、あらゆるトークに質問を投げかけ、まさに分野横断的な議論ができました。そこに、日本の幅広い物理屋さんとして定評のある土岐博さんや吉川研一さんが、活発に質問され、物理屋らしい雰囲気が会場全体を覆いました。土岐さんはあとで、「これ、もう一度日本語でやってほしいなあ、やっぱり英語だと徹底的にわかるところまでいかないからなあ」と言っておられましたが、今年はそういう会をやってみたいと思ったりしています。
 いずれ詳しい報告が出ると思いますが、たくさんの方々に助けられて先につながる素晴らしい会議になったことをとてもうれしく思っています。これからのエネルギーをいただきました。

3.久しぶりに科研費が採択されました!

昨年は新しいことが起こりました。もちろん、毎年新しいことを経験する今日この頃ですが、それでも、このことは「ギネスブックに載ってもいいんじゃないですか」と言われたくらいなので、ちょっと、シルバー族の皆さんにお伝えしたくなりました。
ギネスブックに載ってもいいのでは、と励ましてくださったのは、物理学会のみなさんです。昨年行われた物理学会大阪支部の講演会のあと、主催者と講演者で食事をした時のことです。そうか、こんなことも結構みんなを元気づけるかもしれない、と思ってお伝えすることにします。

先ほども言いましたように、私は基礎物理学研究所の協力研究員ですが、残念ながら、ここは科研費の受け入れ機関になってもらえません。いわゆる科研費と呼ばれる研究補助制度は、どこか受け入れ先の機関がないと申請できないのです。かつて、愛知大学に所属していたとき、定年1年前に、3年間継続の科研費申請を出したら「来年からは愛知大学の所属ではないので申請はできません」と大学に言われました。愛知大学には定年後の研究者の世話をするシステムは存在しなかったからです。そしてそれ以後、長い間研究のための助成金は申請できない状況でした。当NPOは科研費の受け入れ機関ではありません。そこで、佐藤名誉会長、松田副理事長、竹本主幹(当時)などが意気投合して舞原主幹(当時)が中心になって科研費受け入れ機関になる書類を用意し申請をしようとしたことがありました。業績リストも整えていざ提出という段階になったときです。担当していただいていた舞原さんから、
「実は科研費受け入れ機関に申請できないことがわかりました。研究員1人に対して他の援助なしに機関から1人当たり年間最低36万円研究費を支給している実績があること、という条件があるのです」と言われてショックを受けました。NPOなどという貧乏な機関が運営する中からそんな研究員の研究費の予算が捻出できるはずはないどころか、研究費がないから申請しようとしているのに。

NPOは、私たちが個人的に行う寄付と、会費で運営している組織です。しかも、実績を作るためにも少なくとも3年間はかかります。何とかこれをクリアしようとしましたが、資金を自分たちで稼がないといけないうえに、NPOも結構忙しい中で、実現しないまま今日に至っていまいました。
こんな話をしていたら、一緒に研究している阪大の真鍋さんが、大阪大学の核物理センター(RCNP)が、研究する気力もあり実績のある活発な人は協力研究員として受け入れ、しかも科研費申請が可能だというのです。こうしてRCNPの研究員にしていただき、阪大に通うことも多くなった次第です。ここでは、懐かしい方々にもお会いし、会うと議論になり楽しく研究させていただいています。

そして、2015年度の科研費の申し込みを久しぶりに書きました。なにしろ、私が今取り組んでいるのは、「放射線の生体影響」の研究です。新参者でしかも、年寄り、若い人に申し訳ないなあと思いつつも、思い切って出したのです。従来の分野と異なり、いったいどこに出していいかもわからず、「チャレンジするしかない」ということで「萌芽挑戦」のカテゴリィで出してみました。そしてなんと!これが認められたのです。ちなみに同時に出した科研B(規模も大きく、研究会なども組織できるカテゴリィ)にも出してみましたがこれは不採択でした。まだ実績が評価されるところまで行っていないので仕方ないですね。
そいうわけで、今年は、研究会に出かけたり、学会に出席したりする費用が、科研費で出費できるようになりました。真鍋さんやRCNPのスタッフの方々には、大変なお世話になってしまいました。それだけのご努力に、実績を上げてお応えしたいと思っています。ともかく、おかげで、動きやすくなり、たくさんの知見を得ることができて、とても元気をいただきました。とりあえず、こういう形で研究活動ができるようになったことをとても感謝しています。

科研費を久しぶりにいただいたことは、定年組の皆さんに、きっと勇気を与えるのではと思います。もちろん、よほど偉い人はこんな科研費をもらわなくても、ほかの手段でいくらでも資金を得ることができるでしょうが、大方の「普通の」研究者にとっては、定年になったとたん、所属はなくなるし、研究費はないし、せっかくの能力を生かさないままになってしまいます。近頃はまだまだ研究意欲の旺盛な定年組がたくさんいます。この老人力を使わないのはもったいないです。

当NPOは知的人材ネットワークを目指しており、ポスドクの支援とともに定年組の研究者がその力を発揮できるための取り組みを目標の1つにしています。ですから、本来なら、科研費受け入れ機関になることが重要なのですが、それはまだまだ実現に道は遠いようです。
いつか「NPOの研究資金のめどをつけて、当NPOも科研費受け入れの資格のある機関にしたいです。そのために、付置研究所、基礎科学研究所を立ち上げたのですから・・・。

4.中学時代の思い出

先ほど、中学時代の仲良しのお話がでてきました。玉津中学校という公立の地域の中学校でしたので、この仲良し5人組は、「玉津おとめの会」と名付けて時々集まっています。
その仲間は、しっかり者でちょっと大人っぽい文学少女の川野さん、面倒見のいい中川さん、いつも気を配りみんなのことを考えている長谷川さん、美人で世話好き、それにおしゃべりの松崎さん(みんな旧姓で書きました)、それに私です。この5人組はずっと仲よしで、休みの時間になると「若草物語」の役割を分担して劇をやったりしていました。この劇の役割はいつも決まっていて、順番にお母さん、メグ、ベス、エーミー、そして私はジョーでした。お母さん役の川野さんが「戦地のおとうさまから手紙が届きましたよ」と言って適当に作文して読み上げるそばに、みんなが座って聞いている場面など、今も目に浮かびます。勉強も一緒に集まって「試験前だから徹夜しよう」とお菓子をたくさん持ち込んで夜中まで頑張ったこともありますが、考えてみると結局おしゃべりの時間のほうが多かったなあと思います。それに夜中にお菓子を食べ過ぎて、胃を悪くしてしまったものでした。

そんな仲間が今も時々集まるのです。長谷川さんは、当NPOの親子理科実験教室の実験着を作る提案をしてデザインを考えてくださいました。こうして交流でき、いざというときには皆さんに相談したり教えてもらったりできるのはとてもうれしいことです。

ところで、質問です! オルコットの「若草物語」と、モンゴリィの「赤毛のアン」は私もずっと好きな小説でした。なかでも、赤毛のアンは私の愛読書だったのです。確かアンの小学校時代の素敵な先生がアンに「勉強すること」の意味を説明する場面があり「勉強することはよりよく生きることにつながる」みたいな話をしたと思うのですが。正確な文章を思い出そうとしても思い出せません。せっかく全部そろえた本を処分してしまいました。できれば英文で正確に知りたいのですが、ご存知の方があれば教えてください。

新年のあいさつが長くなりました。親子理科実験教室、低線量放射線のデータ集の話、パグウォッシュ会議など、なかなか話題は尽きないのですが、それはまた別途ご報告いたします。

よい1年になりますように・・・・