2017年09月21日

戦争と憲法第9条(ブログ その116)

先日(2015年1月13日)、佐藤文隆さんがホワイトハウスを訪問。話に花が咲いた。
私と2人だけだが4時半ごろまでずっとおしゃべりが続き、話題も多岐にわたったが、忘れないうちに特に印象に残った2つの話題を記録しておこう(火曜日に来るとたくさん話ができますよ!)。せっかく得た新しい認識をそのままにしておくと忘れるので、今年は気楽に日記のように書いてみようと思う。ただし、論文ではないので、裏づけになる証拠は確認していない。単なる砲弾を書きとめただけなので、その点ご容赦願いたい。

科学方法論

第1回のサロンの話題林忠四郎先生の話になって、佐藤勝彦・佐藤文隆の宇宙論の図(実は第3回サロンで坂東が紹介したので、そのスライドを参考に入れておこう)の話から、林先生が「全ての現象を物理の基礎から研究する」方針で徹底して大学院生を鍛えられた話になった。そうしたら、こういう科学へのアプローチは、実はヨーロッパの当時の科学界では異質だったのだという。

   

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「アインシュタイン原理的なところから出発して理論を展開し、予測をするという科学のやり方は、実はユダヤ人の特徴だ」という論があるそうだ。私は、「そうか、それで湯川先生は、1937 年、ボーア来日の際、できたてのパイ中間子論を説明したら、そんな見たこともない粒子(パイ中間子)を導入して核力を説明するなど、「あなたはよっぽど新しい粒子が好きですね」と皮肉られたのも納得いくね。これも、ヨーロッパの経験主義、というか、現象論的根拠から出発しないと科学にならないという風潮があったんやね」と私は納得した。こう考えると、20世紀初頭の2つの新しい波、相対性理論と量子力学の発展は、それまでのヨーロッパの実証主義的考えから、かなりの飛躍をして、ユダヤ人的原理的思考の産物ということもできるのだ。確かに、現象をしっかり見てそこから演繹的に法則を導き出すというのは、科学の常道だが、時には原理から出発しての演繹する志向で、飛躍できるのだなあ、こうしたことがちょっと見えてくる。

量子力学は、原子の構造から始まっている。原子核の周りを電子がまわっていることを使って古典的に、どんなエネルギー状態になるかを見たいと思えば、ちょうど地球のまわりを人工衛星が飛んでいるようなもので、軌道は速度と釣り合う所できまる。だから、適当に速度を設定すれば、軌道を連続的に変えられる。ところで、原子核の周りをまわっている電子は、あるきまった軌道にしかいない。どうして連続的な軌道に乗れないのか、この差がミステリーだった。そして、ヨーロッパではボーアをはじめとして、いったいどういう軌道が観測できるかを、原子の励起状態の観測から一生懸命調べていた。まさにヨーロッパの経験的観測的方法論から出発したのだなあ、と納得した。

ところが、一方、相対性理論は、原理から出発して時空の構造の味方の対転換をもたらした。原理から出発する思考の大成功だった。

「原理から出発する」という方法論は、その後、特に対称性という大原理(これは物理の現象が客観的な数量、不変量で表現できる基礎となっている)、特にゲージ対称性の原理で、見事に説明できたいきさつから考えても、いろいろな場面で成功している(ただ、原理だけではだめで、その実現の方法が多様にあるということもまた面白いのだが・・。そしてそれを実際に示したのが、南部先生だ。(この点については、南部モード・・・南部先生の物理(ブログ その106)参照のこと)。実に目を開かされた話題であった。

戦争のこと

「ピケティという経済学者がいてね。彼は、平等化の傾向は、大恐慌や戦争で資本が破壊されたために起こった例外である、といっている」と佐藤さんは始めた。

「え?社会が進歩して、だんだん人間社会は平等になるんじゃないの?だって、豊かになってくるわけだから、絶対格差はなくなってくると思うけどなあ」と私は反論した「いや、出自によらないで、人々が平等でいられるのは、いわば教育と軍隊だけだ」と佐藤さんは続ける。

「え?だって、戦争ですよ。」

どうも戦争に対する評価が違う。

私たちは第2次世界大戦以後、特に原爆という大量破壊兵器を目のあたりにして、戦争を忌避すべきものという価値観を持っている。そして、私もまた、憲法9条を持つ日本を私は誇りにしてきた。というか憲法9条は、人類が打ち立てた新しい原則、「国際紛争の解決手段としての戦争を放棄し、武力によらない方法で紛争を解決する」と誓ったパリ不戦条約」以後、人類の宝として大切にすべきだと思っている。

パリ不戦条約は、第1次世界大戦後、それまでひしめき合うヨーロッパの国々が、戦争ばかりしてきたのをやめようと、1928年、フランスのパリで調印された。この源をたどると、カントの思想に行きつく。そもそも近代国家になり、軍隊が「傭兵」から「徴兵」に代わり、国家というもの位置づけが変わった。湯川先生の「世界連邦構想」の源泉もここにあることを知ったのは、10年前のパグウォッシュ会議の頃の勉強会であった。そして、この憲法9条は、世界の英知をたまたま日本で実現したものである、と私は思う。

その戦争が格差を減らすなんて、信じられない。ピケティは格差社会の構造を論じているらしいが、その原因についてどこまで正確に論を詰めているのだろうか。

この会話を通じて、もう一度、戦争についてより深く考えてみたいというのが今の気持ちである。今年はパグウォッシュ会議が長崎で開かれる。これについてはまた書いてみることとしよう。

ところで、その後、艸場さんが来られて「佐藤さんから、ピケティの話をきいたよ」といって、この話をしたら、艸場さんは「え?ピケティはそんなこと言っていたっけ。」といわれた。ピケティは今、大流行りの経済学者だとのこと、そう思って気を付けていると、たまたま今はやりの「白熱教室」でピケティが格差社会について講義をしているのがテレビにでていた。確かに佐藤さんの言われるような分析はしていない。佐藤さんらしい、独特の解釈なんだな、昔からそうだったが、独創的な思考の持ち主だ。艸場さんと2人で、「やっぱり、オリジナルな解釈だなあ」と感心した。

佐藤さんと色々な話をしたが、考えさせられることがたくさんあった。

帰り際、「パグウォッシュの勉強会を定期的にやると思っているのでまた出てきてね」といったら、「いや、もう後が短いから書くのに精を出している」とのこと。まだ本を書き続けているのだ。「アマゾンで洋書が手に入りやすくなったので、次々読んでいる。面白い。数式の出ない本ばかりだけど、近頃慣れてスピードがものすごく速くなった」という。私は最近、生物分野の英文をy無のに能率が悪くて辟易している。ともかく生物は独特の難しい名詞が多く、日本語でも意味が分からないのに英語は頭に入らない。佐藤さんは哲学まで含めた英語を読みこなせるまでに四後いうことなのだ。これには参った、「アマゾンで買った本の分ぐらい、書いて取り戻せばいいんでね」とのこと。いつまでも好奇心も才覚も衰えていない。